鴨跖草の遺言
警視庁深夜のD課面談室。珍しく水瀬から面談時間前に「相談したいことがある」と降谷に一報が入っていたため、面談後に時間を取ると返信はしていた。水瀬も降谷の面談時間に相談事を持ち出すことは一切無く、むしろ前回甘田の件があったために降谷の面談に集中していた。降谷としては諸伏の件も片付き、数値も安定してきていたため面談時間内に相談を受けてもよかったのだが水瀬の医者としての矜持だろうと大人しく水瀬の面談を受けた。
諸伏の一件に関しては公安にて相当波乱を呼んだ。諸伏の正確な所属部署は警視庁公安部外事第四課であり主に国際テロを扱う部署である。件の情報漏洩の刑事も元々ここの所属であったのだが、とある週刊誌に顔写真が載ってしまったことによって公安第四課へ異動。公安第四課は資料を扱う部署であり、閲覧制限のある機密性の高い文書の管理や公安内部にて集めた情報の統計精査を主に業務としている部署だ。間違っても外に出る部署ではない。そのため潜入捜査官を外された後の独自捜査に関しては完全なる越権行為として査問委員会にかけられ、結果として諭旨免職という流れとなった。本人も己の正義に基づいた行動だったのだろう、それが後輩である諸伏の命を危険に晒し1人の潜入捜査をお釈迦にしたとなったことを聞き酷く憔悴し辞職と相成った。元から自身の中で「こう」と思い込むと周囲が見えなくなるタイプではあったらしい。それもあったからこそ組織の案件から外されたんだろうと降谷は納得した。
しかしながら、諸伏のホットラインに関する聴取に関しては一切を否定。取調べを行った刑事も嘘をついているようには見られなかったと述べたという。実際事件当初の時間帯、別件で所轄へと赴いていたというアリバイもあった。となれば、別に裏切り行為をしているものがいる可能性が高い。
免職ついては大きく公安の組織を揺るがすものだった。優秀なものの多い部署であり、仕事に対するプライドも高い。公安というだけで他部署に嫌われることの多い立場のため、公安内部での結束も強く例え顔も名前も知らない刑事だとしても、公安の誰かが免職となったこと、そしてまだ問題が解決していないのだということは詳細を知らずとも察するところはあったのだろう、ほとんどの公安所属刑事のダイナミクス数値はガタガタに揺らいだ。おかげで水瀬も相当忙しくなり、一時期はほとんど帰宅できず出来たとしても諸伏へ食料を配達してそのまま警視庁へ蜻蛉返りなんて状態になっていた。もちろん裏取を行った上での処理のため水瀬が面談の情報を開示したという事実は降谷、諸伏、風見とその上司の一部しか知らないことだ。水瀬の予想通り本人が諸伏の情報を意図して流していたわけではなかったが、まだ脅威は去っていない。万全を期すため諸伏は公安に戻ることなく表向き死亡したとして扱われることとなった。そのため水瀬と諸伏の同居も継続、降谷は珍しく心労で胃を痛める羽目になった。
「ヒロのことか?何か粗相でもしたなら遠慮なく俺でも風見でも相談に乗るが」
「違いますよ」
面談終了の挨拶を水瀬がしたと同時に降谷は切り出した。なんなら相談内容が気になり面談どころではなかった。両手で違うと降谷を諌める水瀬に本当か?とじとっとした降谷の視線が刺さる。なんせ仕舞われてしまう可能性がある。諸伏の手を出すもんか、という発言を降谷は微塵も信用していなかった。
「実は今日こんなメールが来まして」
そう言って水瀬が差し出したスマホを降谷は受け取る。英語で書かれた内容をざっと見た降谷はふむ、と顎に手を当てた。
「シンポジウムと、その後の懇親会ね」
各国で力を入れて進められているダイナミクスに関する研究。そのため医者ではあるものの一研究者としても活動を行なっている水瀬は頻繁にセミナーやシンポジウムに参加していた。もちろん業務との両立の兼ね合いから専ら国内のものに限定している。降谷に見せたメールに関しても出身大学である米花医大の教授伝手で回されたものではあるが、主催からぜひ水瀬もということで声がかかったのだ。学生時代には参加したこともあるが平日に開催されるのもあって今回は見送ろうかと思っていた水瀬だが思いとどまり降谷へ話を持ってきた。
「毎年この時期に行うものではあるんですが、懇親会は初めてで……おまけに参加者リストに警察病院の先生がいるんです」
添付されているPDFを水瀬の指がつつく。展開されたそこには参加が決まっている教授の名前やその所属がびっしりと並んでおり水瀬がいうように警察病院を所属とする精神科医も多く名を連ねていた。
「……お一人、ドイツ人の方もいて」
「すぐ俺に報告してくれてよかったよ」
思わず快活に笑ってしまった降谷は思わぬ収穫に上機嫌だ。警察病院にどう探りを入れようかと思っていたときに棚からぼた餅。これを使わない手はない。参加者リストを見ると医学会に留まらず製薬会社の取り締まりや企業の営業担当なども。医学会だけであれば降谷が潜入してもいいが、その他の事業体については組織に潜入中の身としては都合が悪い。リスト上だけでは問題なさそうだが、追加で参加してくる参加者の中に組織につながっている者がいないとも限らない。しかし諸伏を保護している経緯もあるため水瀬を単独で、というのも心配が残る。個別に声をかけられているということは多方向から衆目を集める可能性もある。
「懇親会はドレスコードもあるのか……家族友人も3名までなら参加費用を払えば参加可能……エスコートで誰かつけられるな」
「えすこーと」
初めて聞きましたと言わんばかりの発声をする水瀬はあれと首を傾げた。参加するなと止められると思っていたのだ。
「参加してもらうぞ?君も立派な捜査員だからな」
まさか頭数に入れてもらえるとは思ってもいなかった水瀬は呆然としつつなんとか頷いた。ふっと笑った降谷は思わず水瀬の頭に手を伸ばしそうになるも手を持ち上げる前に動作を止める。この日の面談でも降谷は水瀬に全く接触をしなかった。ケアの必要性を感じなかったこともあるが、何より罪悪感による躊躇いの方がまだ大きいのだ。
「俺とヒロは無理だから風見か……この件を捜一から公安が引っ張ったのは聞いてるか?」
「はい」
警視庁前で遭遇した佐藤にこれでもかと聞かされていたため水瀬は頷く。面談時に萩原もうーうーと唸りながらそんなことを言っていたので把握はしていた。
「警視庁の刑事を誰かつけることになる、参加の意思と同伴者が懇親会に参加する旨返信してくれ」
「わかりました、シンポジウムの方は私だけでいいですか?」
「そっちは別口で誰か潜入させよう。そのメールは俺とヒロ、風見のPCの方へスクリーンショットで送付しておいてくれ」
フラー事件に関してはさまざまな可能性が考えられるため、公安の各課からできる限り優秀な人材を集めて捜査を行なっている。捜査一課の捜査履歴を見てもその方が早いと上層部で判断が降ったのだ。基本的に捜査は一つの課、ないし複数の課で行うにしても二つか三つの課の合同捜査が限度だ。しかし警察内部とはいえことが露見すれば大問題になりかねないため優秀な人材を最小限、各課から集めての調査とし詰所を作成。捜査にあたることとなった刑事にはもれなく箝口令を敷いている。言わずとも公安刑事であれば捜査内容を例え同僚でも漏らすことは滅多にないのだが、念を押しての指示はそれだけことの大きさを示していた。諸伏の件でダイナミクスが荒れている面子が多くいる中でこんな事件だ、よりD課も忙しくなるだろうと降谷は気遣うように水瀬へ目を向ける。
「明日の勤務は?」
「今日が遅番なのでありません、出勤します」
躊躇いなく休日出勤を宣言した水瀬に悪いと思いながらも降谷も甘える。水瀬無しでは話が進まないのだからこればかりは仕方がない。
「15時に公安部のフロアに来てくれ、エレベーターホールから進んで右手に庶務課があるのはわかるか」
「はい」
「庶務課の前を通り過ぎてすぐに小会議室Aがある、そこに入って待っていてくれ。迎えをよこす」
「わかりました、お願いします」
ここで自分で向かうと言わないあたり、水瀬は公安のことをよくわかっているなと降谷は満足気に笑った。ほぼ全員と面識があると水瀬といえど部外者だ、下手に1人で歩き回られるのはよろしくない。
「ところで」
スマホを水瀬へと返しながら降谷はニッコリと笑った。
「君、ドレスは持ってるのか」
投稿日:2022/1216
更新日:2022/1216