鴨跖草の遺言
「え」
複数名の驚愕の声が重なった。松田と萩原は初めて降り立った公安のフロアを興味深くキョロキョロと見渡し、伊達は普段とは道順が違うなと首を傾げていたのだが河野が開けた小部屋の中にいた人物を見て全員が目を見開き、そして待機していた水瀬も目を大きくさせた。
「……なんで?」
代表して萩原が声を出したが水瀬もなんと説明をしていいか分からず眉を下げる。
「……上からの指示で今日から捜査に参加する人員がここにいると聞いてたんだが、水瀬さんが?」
河野が問いかけると水瀬は恐る恐る頷く。水瀬も捜査員とは宣言されてはいたが、やることはおそらく懇親会へ参加することくらいである。それらしい捜査には混ぜてもらえないだろうなと思っていたため返答がぎこちなくなった。
「……とりあえず移動するか」
おいでと河野が水瀬を呼び例の詰所まで進む。萩原と松田はこの日に限っては捜査一課からエレベーターにて移動してきたが、今後はおりを見て河野が自宅から送迎を行うと伝える。当たり前だがマイカーは当分の間乗り回し不可と無慈悲な決定事項を伝えられた。目立つスポーツカーであることは自覚していたため二人は大人しく従った。
チラチラと萩原は背後を振り返っては水瀬へと視線を送る。松田に関しては水瀬の後ろを陣取りこれみよがしに水瀬を睨みつけていた。なるほど暗号 解いたのこいつか、と勘のいい松田はすぐさま察して舌打ちをこぼした。どうして捜査一課で、松田の前で解かなかったのかと悪態をついしまいそうだったが松田もそこまで子供ではない。睨みつけるだけにとどめた。
「2人とも独身寮出ててくれて助かったよ、でなきゃ俺と同居だった」
「マジでよかった無理して出てよかった」
「伊達はまたお前らに任せるからそのつもりでいろよ」
萩原が二の腕をさすって本気で嫌がった。例え朝ドラ俳優ばりの爽やかな形相をしていたとしても年上の男と同居などまっぴらゴメンである。しれっと盥回しにされた伊達は少し凹んだ。
「ここだ、俺と来れなくなることはまずないだろうがノックの仕方は覚えておいて」
内側から開けられた扉の先には高伊。人員が増えることは聞いていたのだろう伊達の時と同じく気さくに萩原と挨拶を交わしているのを見て河野はこいつら似てるかもと感じた。高伊も笑顔で威圧するタイプの人種だ。とはいっても高伊のそれは完全に河野から学んだものであるのだが。
「あっれ、ええ……?渚ちゃんだ」
「こんにちはウメジさん」
高伊の声が聞こえた複数名が驚いた顔で振り返る。まずもって公安部で会うことはないだろうD課職員、己の担当医がなぜここに。水瀬はいたたまれないと頭を下げながらどうしたものかと思案した。
「後で説明します、水瀬もこっちだ」
資料の山の奥から風見が声をかけ視線が若干ではあるが四散する。ペコペコと頭を下げながら歩く水瀬に数名が声をかけているのを見て松田は本気で公安全員担当してるのかこいつはと水瀬のつむじを後ろから見下ろした。各々が風見と挨拶を交わし、席に着いたところで松田が水瀬を親指でさした。
「そんで?えっと風見さんだったか、こいつに関しても聞きたいが現状の捜査結果を聞きたい」
息つく間もない。風見は前日に降谷より指示を受け、「松田と萩原は面倒だから気をつけろ」と言われていたことを思い出してため息を吐きそうになった。なんだって一つ下の代は面倒なのが多いんだ。そこで水瀬が学会に呼ばれているということ、そこに真意を知る関係者が出席している可能性が非常に高いことを端的に伝える。
「ええ、じゃあ水瀬ちゃん人体実験してるかもしれないクソ野郎と歓談しなきゃならないの?マジで?どうしても?」
「萩原黙ろうな」
伊達が心配して詰め寄ろうとした萩原を背後から捕獲し口を塞ぐ。もがもがと抵抗する萩原を無視して松田は水瀬を見る。腹は決まっているようだとその顔を見て判断した松田は風見に続きを促した。
「警察病院に絞って諸々の調査をしたところ……まず伊達、藤田一家の死亡事件直後警察病院にてカウンセリングを受けてるが記憶はあるか」
「……そうでしたか?」
なにぶん所轄にいた時にも警察病院にてダイナミクス面談を受けていたため記憶が曖昧で、と伊達はぼやく。所轄に専属の精神科医がいないため外部に赴く必要があるのだ。米花所轄は警察病院の精神科にかかることが義務付けられていた。
「伊達だけじゃない、住人の全員が警察病院の精神科に行ってる」
「おまけにこいつだ」
いつの間にか席を立っていた河野が資料片手に戻ってくる。テーブル中央に広げられたのは死亡診断書。そこにある名前を見て松田と伊達は驚きの声を上げた。
「こいつ……!」
「死んだってか!?病院で経過観察中だと……」
「待って誰これ?事件関係者?」
訳がわからない萩原と水瀬が怪訝な顔で診断書を眺める。警察病院にて死亡したらしい、理由は心不全。ありがちな死因だがこの若さでか、と水瀬は鑑定書の生年月日を見ながら年齢を計算する。
「ちょっと前にあっただろ、Subの女性を狙った連続殺人。そのホシだ」
伊達の言葉に水瀬は目を見開く。では、薬物を摂取していたという市役所の。
「組体に捜査が渡ってしばらくしてだ、病院で死亡してる……藤田直哉そっくりじゃないか?」
「……じゃあ病院側は警察で容疑をかけられた人間を選別して何かしらしてるかもってことでいい?こいつもその被害者かもしれないって?」
萩原の言葉に理解が早いなと風見は頷く。水瀬は顔を真っ青にしていた。無理もない、同業者が殺人紛いのことをしているのだ。おまけに死んだ犯人の逮捕には水瀬も関わっている。見ていられないほど顔色の悪くなってきた水瀬に松田は多少音がなる程度の強さで背中を叩いてやる。警察病院だけの問題ではない、場合によっては警察内部にも裏切り者がいる可能性が高くなってきた。以前萩原が水瀬に聞いたという伊達が警視庁にきたタイミングであの手紙が届いたという出来すぎた偶然を思い出した松田は風見に問いかけた。
「内部に『いる』可能性を考えてこの人数しか集めてないって認識で間違いないっすか」
「最悪は想定している、加えてだがとある宗教団体の関与の可能性も視野に入れて調査している」
「宗教団体?」
伊達が過去に住んでいたアパートは取り壊された後、跡地に別のアパートが建築されており一見他と変わりないごく普通の住宅となっている。しかし公安ではそこが宗教団体の信者たちが住む宿舎として使用されていることを掴んでいた。元から土地の利権で揉めたこともあったらしいという事実を聞いた伊達はハッとする。
「そういや妙に宗教の勧誘多かった」
「どこに住んでても一定はあるよなぁ」
「……最悪はその宗教にのめり込んだ警官がいた場合か?」
偏見はないが、それで職務をおなざりにするのはと3人の顔が顰められる。まだ憶測の段階とはいえ公安でもその線で捜査を進めていると風見は肯定してみせた。
風見の言葉を借りるのであれば、最悪を想定した上で信用できる精鋭を集めた結果がこの人数だということだ。萩原は目を細めてぐるりと室内を見渡した。捜査一課の詰所とは大違いだ。万が一内部に犯人に通じている人間がいるとしたら、捜査一課のやり方は愚策と言えただろう。捜査一課と同様、こちらも紅一点なのか一人女性の捜査官の姿が見えて萩原はへぇと内心で感心した。
「場合によっちゃ警察病院に患者としてって話を先日河野さんに受けたが、懇親会の際水瀬の警護にあたる場合はそっちは無しだよな」
「そうだが、なぜそのようなことを?」
「あいにく俺はおとなしい患者じゃないもんでな、探るならまだ水瀬のでる懇親会の場の方が動きやすそうだ。おまけに誰の目があるとも知れない場に公安さんが堂々と出席する方が問題あんだろ?」
松田の言葉に風見は一考するように沈黙する。河野も松田の言い分を脳内で検討しているのか、風見と似たような表情で黙っている。それを見た萩原は本当にこの人公安だったんだなと思わずジロジロと眺めてしまった。
萩原も松田の提案は理解していた。何より河野から聞いた段階で松田に患者としての潜入はまず無理だろうと思っていたのは萩原だ。何せこれまでまともにケアすら受けに病院や施設に行ったことすらないのだ。勝手がわからないだろうし何よりこれまで受信歴のない松田が急遽このタイミングで警察病院に飛び込む方が不自然。何度か自身で診断書を発行したことのある萩原は裏面に更新履歴が記載されることを知っていた。松田の裏面は健康診断以外まっさらだろう。もしかしたら水瀬によって多少は履歴が追加されているかもしれないがそれも微々たるものだ。伊達もこの件で目をつけられている可能性があるため、患者役は萩原と河野が妥当。
「多少だがこいつに聞いてからダイナミクス関連の論文も読んだ」
「陣平ちゃん暇なの?」
萩原の本気の問いかけに松田の睨みが向いた。水瀬も思わぬ事実に喫驚した。本来ダイナミクスに関する細かい知識を患者たる人間が持つこと自体あまり推奨されていない。水瀬も松田の性格を考え止めることも釘を刺すこともしていなかったがまさかそこまで自分で踏み込んでいくとは思ってもいなかった。心の中で水瀬は松田の面談方法をまた検討し直さなければと頭を抱えた。
「多少でも知識があるなら都合はいいが……河野さんかウメジさんをつけようと思っていたんですが」
「どっちもどっちだな」
風見が相談するように河野に問いかける。バッサリと切り捨てた河野は入り口付近で資料を仕分けしている高伊に目を向けて、うーんと唸った。高伊も潜入をしたことはある、あるのだが河野が把握しているのはホストクラブへの潜入だけだ。2年公安を離れている間に他の潜入をしたことがあるのであれば高伊でいいだろうが風見のためらう様子を見るにないのだろうなと河野は察する。学会の懇親会、知的な水瀬の隣に並ぶには高伊は少し浮つきすぎている。どちらかというと公安刑事は見た目も堅物が多いため高伊のような見た目は重宝するのだが今回に限っては場違いだった。他の刑事だと歳が離れすぎていて関係性をつけにくい。
「俺は駄目だ、もともとここにいた時の面談に警察病院使ってたから顔が割れてる可能性があるから、行くとしても裏方だ。水瀬さんと並べば思い出される可能性が高い」
河野の言葉に風見はそうだったと顔を歪めた。
「風見さんは?」
それこそ候補だろうと萩原が指摘するも風見は首を横に振る。
「俺は医学生として学会に潜入予定だ、懇親会は別の方にと指示も来ている」
「水瀬決めろ」
松田が水瀬へ不意に言葉を投げた。伊達は容赦ないなと白けた目で松田を見てしまう。突然矛先を向けられた水瀬はぎくりと肩を持ち上げて松田を上目に見やった。
「不都合が一番ない方で……」
「お前がどういう面目で連れていくかによるだろうが」
それもそうか、風見と河野も納得して水瀬の言葉を待つ姿勢をとった。
「面目」
「学生の時の知り合いとか、親戚とか……恋人とか?」
萩原がニコッと水瀬へ笑顔を向ける。職場の先輩はアウト、警察関係者であることは何があっても伏せねばならない。ただでさえ水瀬が警察であることは曲げられない事実なのだ。不必要な警戒は減らしたい。関係性の詐称は必要になる。恋人と聞いた水瀬は目が落ちるのではと思うほど瞼を持ち上げた。面白がっている萩原を見て伊達は呆れたやつだとため息を吐く。
「こ」
震える水瀬の口から情けない音が漏れた。
「……恋人の設定は同伴に違和感を持たせないためこちらでも候補に上がっている」
風見の追撃にとうとう水瀬は口を閉ざした。無茶言うなと水瀬の目が訴えている。伊達は空気を読めるようで読めない人なんだなと風見の評価を改めた。追い詰めてやるなよ。
「松田なら工学系の大学院在籍、一浪か二浪しとけば大きく歳を誤魔化す必要もない……ダミーの学生経歴あったよな確か」
河野がそれらしい経歴を並べ、最後に確認を風見に飛ばす。松田もなるほど、と頷いた。たとえ工学系の質問を出されたとしても、大抵のことなら回答が可能だ。爆弾に関する工学、科学、力学に関することのみだが、帰結する場所が爆弾処理の方法であっても知識自体は工学部学生でも通せるほどに有している。公安刑事でもある程度の知識はつけられるだろうが爆発物処理班に所属していた松田には負けるだろう。河野もいいんじゃないかと水瀬に促す。
「ありますね、新人用の潜入練習で稀に使用するので」
「こわ」
風見の言葉に萩原が慄いた。
「大学より高校からの付き合いの方が自然か?医大を卒業してから再会して交際スタート。違和感も持たれにくいし医大の知り合いにもそれなら通せる」
河野が容赦なく地盤を固めたためゲホと水瀬が耐えきれずにむせた。
投稿日:2022/1229
更新日:2022/1229