鴨跖草の遺言

 萩原の家に送られた伊達は、大きくため息を吐きだした後松田の手前閉ざしていた口を開いた。
「あんまり水瀬を振り回してやるなよ」
「ん〜?」
 寝室に鞄を放り投げながら萩原は伊達へと振り返る。口をきれいにへの字に曲げた伊達は難しい顔をしていた。それを見た萩原は自然と苦笑を浮かべる。
「まあ申し訳ないとは思うんだけど、案外しっくりくると思うんだよな」
「フェミニストの自称を今すぐ辞めろ」
「自称したことないからね?」
 松田を恋人役として懇親会へ連れて行くことが決定してしまった時の水瀬の顔色の悪さを思いだせと伊達は額に手を当てる。可哀想なくらい狼狽えていた。対して松田は終始無言。表情が変わるわけでもない、サングラスをしていたため読みにくいと言うのもあったがピクリとも反応せず受け入れていた。松田としては調査の本命とも言える懇親会という場所に行けるのであればどうでも良かったのだろう。
「松田はわからんが、水瀬は特別松田に思うところがあるようには見えないんだがな」
「班長ってば見る目がないなぁ」
 ふふ、と笑う萩原はドスンとソファへ腰を下ろす。繊細そうな顔をしているわりに造作が男臭い萩原はこうした時ふと粗雑な動作をする。
「もしあそこで俺が名乗り出てたらきっと水瀬ちゃんは全く狼狽えずに恋人役で受け入れてたと思うよ」
「……そうかぁ?」
「それよか陣平ちゃんだよ、あいつウメジさんが水瀬ちゃんのこと名前で呼んだ瞬間だよ?あからさま過ぎない?」
「何が」
「あれ班長鈍いんだっけ、Glare漏れてたんだよ」
「はぁ!?」
「ドン引きだよねぇそれで無自覚なんだよ?どういう感情なのかはいまだによくわかんないけど特別視はしてるよね」
 やんなっちゃう、萩原はクッションにパンチを沈めた。伊達は頭が痛そうに眉間を揉む。
「それは……あれか、所有権だけご立派に?」
「今どき中坊でもやらねぇよな」
 呑気にいう萩原だが、萩原とて現状維持がいいとはこれっぽっちも考えていない。だからこそなんとか前進をさせようと思っての恋人という肩書きの提案だった。水瀬には多少強引だったため悪いとは思っているが、現状を見るにいっそ不健全だと判断しての強行だった。
「そもそも水瀬は恋人いないのか」
「いない……はず」
「おいおい」
「少なくとも半年前までは確実にいなかった!んだけど……なぁんかここ数ヶ月は若干男の影あんのよね」
「まずいだろ」
「でもいたらあの場でいうよ水瀬ちゃん、そういう子だし」
「言える状況かぁ?」
 水瀬の僅かな言動からうっすらと男の存在を嗅ぎ取っていた萩原である。流石に保護という形で行方知らずの同期と同居しているとは露とも思っていないが。
「今の段階でどこぞの馬の骨に持ってかれてみなよ、目も当てられないと思わない?」
「思う」
 誰がとはどちらも言わないが伊達は神妙に頷いた。
「だったら見知らぬ誰かさんには尊い犠牲になってもらった方がよっぽどいいでしょ」
 わからないでもない、萩原の恐ろしいところは突拍子もない愉快犯のような行動を取るくせにそこに明確な理由と根拠があることだ。おかげで伊達は納得してしまった。言いくるめられたともいう。
「松田は昔からこうもヘタレなのか」
「ヘタレっていうかその辺の情緒が育ってないっていうか」
 腕を組んだ萩原は過去を思い出す。萩原の姉に初恋をし、その後父親のことがありやさぐれた。高校に進学した段階でやっと落ち着いたが、松田に言い寄ってくる女性は軒並み我が強く気も強かった。おかげで松田が彼女を持った時の口癖は「めんどくせぇイラつく」だ。そのため大学から今までずっと人を遠ざけるような言動が増えた。恋人は面倒でイラつく存在と認識している可能性も捨てきれない。高校時代の恋人も松田から告白をしたという話は一切聞いたことがないため、萩原の姉以来なのかもしれないと思うと複雑な思いが萩原の中にわかだまった。姉の千速と水瀬ではあまりにもタイプが違いすぎる。松田が初恋を引きずっているとは全く持って思わないが、まともな恋愛をしてこなかった男が自覚できるだろうか。そこまで考えた萩原は思考を振り切るように首を振る。
「まだ恋愛感情かどうかはわかんないんだけどね」
「だとしたらどこぞの馬の骨が哀れすぎるだろ」
「それはそれ、申し訳ないから内心で哀れに思っといてやる」
「何目線だ」
 ふと伊達は伺うように萩原を見つめる。
「そういうお前はどうなんだ?少なからず可愛がってんだろ」
 松田から聞いていた話を聞く限り萩原もそういう意味で水瀬を見ているのではと思い出した伊達はじっと萩原を観察する。伊達に問われたことに驚いた様子を見せた萩原はいやいやとすぐに首を振った。
「なんてーの、妹いたらこんな感じかなとは思ってるけど……俺にとってはいつまで経っても水瀬ちゃんってあの時の学生さんだからなぁ」
 考えるようにしばらく沈黙。伊達も思わず押し黙り秒針の音だけがカチカチ響いて10秒後。萩原はうがぁと吠えた。
「酒!」
「乗ったビール出せ!!」
 思うところが全くないわけではないらしい。優しい伊達はそれ以上追求することなく萩原の酒に付き合った。
 
 水瀬を自宅まで送った風見は悪いと思いながらもそのまま諸伏の顔を見に水瀬の自宅へ訪問した。自宅の位置の関係から風見の車で松田をそのまま送る話も出たのだが、万が一にも公安の風見とともに松田が捜査一課刑事に目撃された場合言い訳が立たないため却下となった。そのため捜査一課面々は揃って河野に送迎される形となった、河野は比較的車内が広いスカイラインという車種を選んでいて本当に良かったと心から過去の自分を賞賛した。
 本来ならば風見も降谷も水瀬の自宅へ寄り付かないのが一番安全なのだろうが、水瀬のアパートの駐車場が地下にあり融通が効くこと、視線を切る場所が多いことなどから独自のルートを通れば安全を期して訪問が可能だと降谷が叩き出したためそれなりの頻度で風見も様子見に訪問していた。近くに交番があるというのも大きく加えて密度の高い住宅街。滅多なことでは後ろ暗い連中が近寄ることを避けるような場所というのもあった。
「へぇ、松田と恋人のフリね」
 懇親会についてのメールを見て大体のことを察し、今朝方眠りに帰ってきた水瀬に概要も聞いていたがまさか1日でそんな面白い話になるとは思わなかったと諸伏は笑う。
「当分は警察病院所属の医者の論文を読むことを頼みはしたが、自宅では休めよ」
 風見が水瀬にばっちりと釘を刺す。水瀬は返事をせず曖昧に笑った。自宅で読む気満々である。風見はため息を吐いて諸伏へ目配せした。なるほど監視を頼むのに訪問したらしい。諸伏はしっかりと頷いた。健康管理であれば任せてほしい、何せダイナミクス欲求の解消にもなる。
「捜一の4人と違って水瀬は通常業務をこなしているんだ、無理はするな」
「ありがとうございます」
 しないとは言わない水瀬に今度こそ風見は呆れた目を向けた。
「今更だけどD課の精神科医で出席する人っていないの?」
 諸伏の疑問に風見は首を振り水瀬は困ったように眉を下げた。
「いたらここまで話が進むはずないだろ」
「なんというか……D課にいる先生方は学会とかが好きではないというか」
 なるほど変わり者の集まりかと諸伏はすぐさま水瀬の言葉の裏を読み取って頷いた。そうでなければわざわざ警視庁への出向を好んでする筈がないのだ。今D課に所属する精神科医は全員、各病院や施設から希望者を募って出向してきていることは有名だ。話を変えるためにも諸伏はあまり表情が優れない水瀬の一番のネックであろう部分を問いかける。
「そんなに松田の恋人役不安?」
 水瀬はそんな、と首を振る。大雑把な設定や役の作り込み、潜入捜査のイロハについては河野が松田に叩き込むこととなったため水瀬は設定を頭に入れるだけだ。河野からも水瀬は普段通りでいいと言われているため鵜呑みにさせてもらっている。
「諸伏は会ったことがないだろうが、指導員が潜入捜査百戦錬磨の元公安刑事だからな、多少不器用でもどうにかなるさ」
 松田を不器用と称した風見に諸伏は吹き出した。警察学校時代に散々揶揄されていた、松田は手先の器用さに全てを持っていかれた残念な男だと。性格も言葉選びも世渡りも人間付き合いも不器用そのもの。関わって僅かだろう風見に看過される松田が分かりやすいのか、それとも風見の人を見る目が鋭いのか。どちらもなのだろうと諸伏は笑い、そして羨望を感じた。伊達に萩原に松田、そして信頼する先輩である風見が並んで一つの事件に取り組んでいる。その場にいたいと思うのも致し方ない。
「ドレスはゼロが選ぶって聞いたけど、そしたら俺何しよう」
「え?」
 水瀬は驚いて諸伏に目を向けた。
「もう候補結構絞ってたよ?希望言わないと好みじゃないの持ってくるからあるなら言ってね」
「待ってください降谷さんが選ぶ……?」
「そう聞いたけど、ね?」
 風見に同意を求めて話題を振れば知らないとばかりにブンブンと首を横に振られた。どうやら降谷の独断だったらしい。水瀬本人にもわかるようには伝えていなかったのかと問い掛ければドレスの所持有無のみ問われたという。完全に言葉足らずである。
「松田の普段のスーツだとヤクザにしか見えないからなぁ、あいつのスーツ選んでやるか。例の店予約しても大丈夫ですか?」
「わかった、わかったから俺の名前を使えいいな。明日松田を連れていくから時間だけ後で連携しろ」
 公安御用達のオーダーメイドスーツ店を使うつもりなのだろう。風見は嬉々としている諸伏に苦笑しながらも自身の名前を使うよう指示を出す。寸法だけさせに松田を向かわせればばっちりである。ゼロと相談するかと水瀬と並んだ時の色合いや雰囲気まで気にし始めた諸伏に水瀬は絶句していた。潜入捜査とはそういうものなのだろうか。水瀬には勝手がわからず止めることができなかった。残念ながら表立って共に捜査ができないことへの腹いせが7割である。
「河野さんから多少の注意事項は言い聞かせられるだろうが水瀬は細かいことに目を向けず、怪しまれないように当日を迎えればいい」
 そうは言ってもその場で怪しい人物がいる場合には即座に連絡を入れ、別働隊がその人物の研究室と自宅に秘密裏に押し入る流れとなっている。間違うことは許されないし、見逃すこともあってはならない。松田がいるとはいえおおっぴらに相談もできるわけでもない。そもそも専門知識は水瀬が有しているのだ。最終判断も水瀬に委ねられるだろうと河野も口にしていた。松田は万が一の時のための護衛という意味合いが強い。
「大丈夫だよ、松田の第六感も多少あてにしていいし、ウェイターで潜らせるんですよね?」
「ああ」
 安心させるように諸伏と風見が言葉を続け、水瀬はコクリと頷いた。
「俺もウェイターならいけないかな」
「無理に決まってるだろうバカか」
 降谷と同じことを言い出した外出厳禁の諸伏に風見はピシャリと言い捨てる。幼馴染の所以か、発想がまるっきり同じである。風見は「ウェイターとしてならいけるか?」とボヤいていた降谷を思い出して身震いをしてしまう。恐れ多くもその時はバカとまでは言わなかったが弁えてくださいと言ってしまった風見である。降谷は冗談だと笑っていたがあれは本気だったと短くない付き合いになってきている風見は理解していた。
「ともかく、水瀬も無理はするな。本来は今日非番だったんだろ?諸伏も睡眠できる環境なんだから削るな寝ろ」
 早く寝なさいと言ってそのまま帰ってしまった風見を見送る。諸伏も水瀬も内心では「お父さんみたい」と感想を抱いてしまった。
「風見さんもああ言ってたし、寝ようか。飯食べてきたんだろ?」
「はい」
 公安部の詰所にてあれやこれやと食べ物を差し入れされたためありがたく頂戴した水瀬である。高伊などは堂々と「餌付けしたくなるのよなぁ」と言いながらストックしていたインスタントの味噌汁を差し出していたため萩原が見かけによらず渋い味覚にゲラゲラと笑っていた。
「明日は朝からで帰りは?」
「公安に寄るので今日と同じくらいかな、と」
「うーん昼ってどうしてるんだっけ?」
「食堂使ったりコンビニ行ったりです」
 弁当持たせるか、と食堂の割合は圧倒的に少ないだろうことを察した諸伏は密かに決心した。風見が諸伏の内心を聞いていれば「母親か」と突っ込まれていた内容であった。

 - return - 

投稿日:2023/0103
  更新日:2023/0103