鴨跖草の遺言

 
「インクの解析結果です」
 高井がキビキビとした仕草で椅子に腰かけタブレットを操作する。詰所の中でも奥まった位置にある半個室、捜査一課の作業場所と化したそこには壁をスクリーンにしたモニターが設置されている。初めて起動した状態を見た水瀬は物珍しそうにして壁を見上げる。真っ青な画面からすぐさま文字が大量に並べられた画面へと切り替わる瞬間の眩しさに目を瞬かせ、瞳孔が光を調節するのをじっと待つ。高井と並ぶ河野は軽く礼を伝えてタブレットを受け取りそちらに目を通し始めた。高井と河野は同期だという話をこっそりともう一人の高伊――ウメジから聞いていた萩原は同期でもここまで他人行儀なこともあるのかとうっすらと思案しながら疑問を口にする。
「インク?」
「文章や現場に残されていた青色のインクだ」
 スクリーンに映る画面が解析結果のようなグラフと英語の混じったものに変わる。河野は指先でタブレットをタップしながら独り言のように言葉を続ける。
「結果の概要を見るに相当特殊なインクらしい、チタンの含有が多い」
「ホントですね、蛍光X線分析かぁ……」
 使ったことないな、なんてぼやく水瀬に流石と河野が称賛の声を向ける。データ画面にしていたのはどうやら水瀬に解説を頼みたかったらしい。事情があり結果の生データだけしかないのだと河野は渚へと苦笑と共に告げる。公安ではままあることではあるが、慣れない一課面々は顔を顰めている。促されるままに水瀬はゆっくりと言葉を選ぶ。
「成分分析で有名どころと言えばクロマトグラフィーなんですけど、それだと微量分析……サンプル量が少ない場合は不向きなんです」
「クロマトグラフィーって油性ペンの色分けしか記憶にないんだけどなんだっけ」
「それもクロマトグラフィーですよ」
「一口にクロマトっつっても種類が多いからな……萩お前大学でやってただろうが」
「俺はマニュアルに沿って機械いじってただけ」
 萩原の開き直った態度に松田が呆れてため息を零す。マニュアルに沿って、なんていっているが一度ラボの機械の調子がおかしかった時に勝手に中をこじ開けて修理した猛者でもあるため松田は心底怪訝な目を萩原へと向けた。それで原理を理解していないとは何事だ。
「まあ今回クロマトグラフィーは使ってないので……蛍光X線の最大の利点としては微量で済むこともそうですが、なによりサンプルを壊さなくていいことですね」
「へぇ、解析とかとなると専用の液体とかに溶かしてるイメージあるけどな」
 伊達の言葉に頷く水瀬は手を持ち上げてハンドガンを持つような仕草をする。
「一般的にはそうですね。今回使ってる測定器のタイプって確か卓上のものじゃなくてこれくらいの大きさのハンディタイプで、押し付けた場所の成分を出すようなイメージを持ってもらえると分かり易いかと……ただマグネシウムだったかな、よりも軽い元素だと解析できなかったはずです」
「ということで、特急での解析結果になります。今後はさらに厳密な検査に入っていきますがとりあえずということで出してもらいました」
 高井の言葉に全員が納得したように頷いた。本来ならばこのような調査ではなく、もっと具体的かつ細かいデータの出る調査も可能ではあるのだが迅速さよりも慎重を取ったためにこのような形のデータしか手に入らなかったのだ。渚の口にしたハンドガンタイプの機械を協力者から借り入れて、高井がデータを取ったものであるということを知るのはこの中では河野だけだ。
 松田は捜査一課でその解析は進めていなかったのかと眉間に皺を寄せたが、ノータッチなうえすでに一課での捜査がクローズしているため口には出さなかった。それにしてもクロマトグラフィーでの検査をしないのはどうなのかと、やや不審そうにデータを睨む。時間がかかるといっても数日あれば大抵の結果は出るはずだ。水瀬も松田と同様に疑問に感じたが、今は目の前のデータが先決だろうと両者とも思考を飲み込んだ。
「チタン顔料だったら白だろ」
「あー……酸化の膜で色のコントロールはできたはずだけど……陽極酸化だっけ?」
「他の色素と混ぜたら破綻するんじゃなかったか?」
「有機系の色素とか樹脂は分解するはず」
 松田と萩原の専門的な言葉に今度は水瀬が首を傾げた。工業的になると途端に弱くなるなと考えていたが終始ちんぷんかんぷんであった伊達は同じく沈黙したままの風見に身を寄せた。伊達も風見も法学部の出身のため理系の会話にはついていけなかった。
「紙の方じゃないんすよね、この結果」
 松田が高井へと問いかける。河野の後ろから乗り出してタブレットを指先で操作した高井は切り替わったスクリーンを一瞥して「こちらが紙のみの結果です」と淡々と述べた。
「……やっぱチタンの比率高くね?」
「あれだろ、パルプに織り込んでるタイプの紙……広辞苑とかに使われてるのが確かこれだったはずだ」
「ねぇ水瀬ちゃん、この検査方法って透過してインク下の紙の成分まで出しちゃう?」
「いえ、表面にX線を照射するものなので下の紙の成分までということは……どちらかというと測定範囲にインクの乗っていない場所が入ってるんだと」
 ああ、と納得したように松田と萩原が頷く。画面を凝視していた河野が沈黙を破るように口を開いた。
「だがそれにしてはインクありの場合になると飛躍して数値が多い、紙だけの結果を差分すればインクのみの結果になると考えてもチタン含有は多いだろ」
「そりゃそっか……いやでもなんでチタン?普通使わないよね」
「チタンの入った紙もインクも市販じゃ聞いたことないしな、まぁヒントにはなりそうだ」
 伊達の言葉に全員が納得する。特殊な紙とインクを使っていることが判明したがそれだけでも情報としては大きい。本当に優秀すぎるなこいつらと風見は早々に膠着しそうだった打ち合わせをまとめ上げた伊達も含めて嫌そうな目を向けたのだった。

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投稿日:2023/0204
  更新日:2023/0204