鴨跖草の遺言

 高さを誇る大ホールは、吹き抜けの分フロアに開放感を持たせており水瀬は思わず天井を見上げてしまう。高い位置にある大きなシャンデリアに、どこかヨーロッパの王宮を思わせるような飾りや装飾が多くされた天井。窓ガラスは高い位置から続いておりその分カーテンも見たことのない長さでぶら下がっている。夜景が綺麗だという触れ込みは事実のようで、35階という高さに相応しい見通しのいい景色が広がっていた。立食形式のようで壁側には多くの食べ物がすでに並んでいる。飲み物については会場の奥にバーカウンターが設置され、そこで注文する形となっていた。バーテンダーは3名、うち1人がウメジだと聞いていた松田と水瀬だがそれらしい人物は見つけられず変装をしているのだろうとあまり凝視せずに視線を逸らした。河野もすでにいるのだろうが、すでに8割以上の参加者が到着した会場の中で探すのは困難だった。
「思ったより参加者多いんだな」
「懇親会というよりパーティですね」
 圧倒的に男性の比率が多いのは、やはりダイナミクス精神科医に女性が少ないと言うもの理由にあるのだろう。女性もいるにはいるが、必ずパートナーらしき男性とペアで行動している。松田はこの件がなかった場合水瀬が1人で参加し浮く様を想像してしまった。気にしないメンタルは持ち合わせているだろうが妙なものを引っ掛けそうだなと想像できてしまい、松田はつい腰に回している腕に力を込めた。今日この場でそういった厄介を引き寄せるのだけは御免だったからだ。
 水瀬は受付で渡された薔薇のブローチをどこに着けようかと困って最終的にハンドバッグに取り付けた。ドレスに穴を開けるのもと躊躇ってしまったのだ。どうやら薔薇は、参加者がどういった立場で参加しているのかを明確にするものらしく、ダイナミクス精神科医はホワイト。企業や製薬会社など、商談のために参加している者はゴールド。その他のものはレッドと色分けされていた。見渡した限り、レッドが過半数を占め、次いでゴールド。学会後の懇親会だというのにホワイトが一番少ないと言うのはどうなのだと松田は少しだけ業界の闇を見てしまった気がした。警察の人数不足も年々騒がれているが、ダイナミクス精神科医のそれに比べればましだろう。赤いブローチを胸ポケットに適当に刺した松田は笑顔でこちらに向かってくる男に気がついた。
「水瀬君、先程はお疲れ様。綺麗じゃないか」
 のほほんとした雰囲気で水瀬を褒めたのは、水瀬の大学時代の恩師である冨田だ。初老の男でまるで孫の晴れ姿を見たかのように嬉しげに水瀬を眺めている。
「冨田先生もお疲れ様です」
「もしかしてそちらは」
 松田に目を向けて驚いた表情をした冨田に、軽く会釈をした。
「えっと……お付き合いしている方です」
「神野です」
 神野松海(じんのまつみ)。水瀬が万が一にも咄嗟に本名を呼んでも誤魔化しが効くようにと河野が考案した偽名だ。恋人をうっかり公共の場で名前で呼んでしまうのを恥ずかしがる振りでもすればいいと慣れたように説明する公安刑事の案に脱帽したのは記憶に新しい。本名のままでもいいのではと伊達が疑問を呈していたが、もしも警察病院の医者の中にホシがいた場合「松田陣平」という名前でデータベースを調べられたら身元が割れる上に最悪悪用されると言われて仕舞えば伊達も松田も納得してしまった。万が一にも今回で片が付かない場合の懸念は少ない方がいい。少し前に水瀬からダイナミクス検査数値などの閲覧システムについて教えられたばかりだったため説得力が強かった。
「これはこれは!水瀬君がねぇ」
 ホワホワと、それはもう満面の笑みでよろこばれてしまい松田も水瀬も居た堪れなさが募っていく。冨田は祝福を伝えながらあれこれと松田に質問を重ねていく。
「いつからお付き合いを?」
「一年ほど前に、実は高校時代から知り合いで」
「ああ、もしかしてそれで大学時代は周りに目を向けなかったんだね?水瀬君もすみにおけないじゃないか」
「あはは」
 苦しい。先生も変なことを暴露しないでくださいと水瀬の内心の悲鳴が聞こえて松田は腰に回していた腕にぎりぎりと力を込めた。俺にだけ任せるなお前の知り合いだろうが。
「お互い大学が全く別だったので……」
「ということは医学関連の知り合いではないのか。もしかして警察の?」
「いえいえ、工学部の院生さんです」
「警察と間違われたのは初めてだな」
 間違いというか、警察に見えないと日頃から言われている松田なため冨田である男の勘の鋭さには若干舌を巻いた。ちなみにこの松田の棒読みのぼやきは傍受先の伊達と萩原、そして諸伏の爆笑を引き摺り出した。
「工学部かぁ、専攻はどんなことを?」
「電子工学と分子力学、後は化学も多少混じったようなことを。建築現場での危険度測定とか地盤観測の機械作ったりだとか、そういうのっすね」
「難しそうだね」
 そういってじっと松田を見つめた冨田は、何かに納得するようにまた微笑んで水瀬へ顔を向けた。
「いい人を見つけたじゃないか」
 心からの言葉に水瀬は息を呑んでかろうじて頷いた。喉がカラカラになってしまって声が出そうになかった。

 気がつけば水瀬の知り合いだという精神科医に囲まれており、松田は好奇の目に晒されていた。基本的に精神科医という職業についているからか不躾な質問こそなかった上、松田が不快感を覚えることもなかった。だがしかし刑事の勘とでも言おうか。どこか品定めをされているのだろうことを松田は感じ取っていた。冨田は全くそんな素振りも空気も持っていなかったと思うが、少し歳の若い精神科医希望の学生や、比較的若い精神科医などからのものにはそこまで好意がなかったのだ。松田は心の中で河野に恋人という設定が一番まずい選択だったと念を送る。それも相手は心情を読み取ることに長けている精神科医ばかりだ。おそらく中には松田と水瀬の関係を疑っているものもいる。それを気取らせない術を普段から学んでいるものに対抗するには、と松田はひっそりとため息を吐き出した。河野にも精神科医に対して嘘を突き通すリスクはあらかじめ指摘されていた。そしてその対応法も。最初からその方法でいくようにと釘を刺されていたがあまり気乗りせずにいたため後手に回ったがそうもいっていられないだろうと松田は腹を括った。
 する、と水瀬の腰に回していた手を水瀬のハンドバックをもつ腕に滑らせる。滑るように水瀬の腕を手先までなぞり、ハンドバックを掴んでいた手を持ち手ごと覆った。
「……あの……神野さん」
「あ?」
 ガチガチに強張った声の水瀬が戸惑ったように何事だと問いかけてきた。それを普段通り、いつも通りを心がけて一蹴し首を傾げてやる。河野のアドバイスは演技はするなというなんとも投げやりなものだった。短期間で人格すら偽っての潜入テクニックを身につけることが無謀なため水瀬との恋人関係だけでも嘘を通す方向にシフトしたのだ。本当に最悪の場合は警察であるとバレても仕方がないというスタンス、気を遣うだろうから身分を詐称し、職業柄偽名を名乗ったとでもいえばある程度は通せるというのが河野の言い分だ。今後のことを考慮するのであれば、水瀬にとってもその方がいいだろう。万が一にも松田の身分がバレたとしても心配性の恋人が無理を言ったで押し通せる。
 ぎこちない言葉の応酬は松田には全く向かないと判断した河野は、態度は変えずボディタッチのみ増やせと松田に何度も言い聞かせた。それ以外はほとんど水瀬に関するエピソードや想定問答の回答を頭に叩き込む時間となり、試しに河野に水瀬との関係を問われて違和感なく答えられなければ拳を飛ばされた。
――松田の性格なら恋人ができようが人目のある場所でイチャつくタイプではないと思うが、それをやれ。嫌でもやれ。自宅に女連れ込んだ時の素振りをすればお前の顔と無愛想具合なら本気に見える。
 俺のことをなんだと思っているのだこの人はと気になったが無駄な質問をすればそれでも拳が繰り出されたため松田は大人しく聞き分けたふりをしていた。自宅に女を連れ込んだことなどないというのに無茶をいう。話だけでもしっかり聞いて記憶していた松田の器用さのおかげでこの状況となったわけではあるが、なるほど河野の言いたかったことはこういうことかと松田は納得しそして同時にそこまで見通していた河野を恐ろしく思った。
「水瀬君もそんな顔をするんだね、いやいやお熱い」
 茶化すように微笑む恩師、ショックを受けたように顔色を悪くした数名。カッと顔を赤くして俯いてしまった水瀬。露わになっている耳も髪が結われているために横から丸見えな頬も綺麗に色づいていた。冨田の言葉に松田は同意を示す。お前そんな顔できるんだなと水瀬に全く演技指導を入れなかった理由に松田は思い至り同時に少し哀れに思って、ゆるゆると無意識に口角を持ち上げていた。


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投稿日:2023/0430
  更新日:2023/0430