鴨跖草の遺言

 開始時間となり、徐々に照明が落とされ始めてからやっと水瀬と松田は解放された。ほとんど松田と水瀬に対する質問ばかりで探りを入れる隙すらなかったため心なしか両者揃ってくったりとしてしまう。周りから人は捌けたが松田は水瀬の手を解放せず、時折遊ぶようにして指先で手の甲をなぞったり、指の間に爪を立てたりしている。なんとなく、いっそ手癖のようなそれに水瀬ばかりが戸惑っていたがそれどころではないと気持ちを切り替える。
前方にあるステージに司会が上がり口上を述べる。どうやら司会はホテル側の人間のようで話の殆どは会場にある料理やバーカウンター、会場を出た先にある談話室や喫煙所に関する説明だった。
『それでは開会のご挨拶を警察病院ダイナミクス精神科、フレンツヒェン・グッテンベルク医師にお願いいたします』
 紹介される形で壇上に上がるフレンツにパラパラと拍手が起こる。拍手をする代わりに松田は水瀬の頭に顔を寄せた。ガチリとわかりやすいほどに水瀬の体が強張ったため喉の奥でクツクツと松田は笑う。恨めしげに水瀬は松田を見上げるもどうしたと言わんばかりに目を細められたため敢えなく撃沈となった。打てば響く反応を返されるものだから松田はすっかり面白くなっていた。おもちゃで遊ぶ子供のような松田に水瀬は一つため息を落とした。
『本日はお集まりいただきありがとう、フレンツです』
 歯を見せて笑うフレンツは写真で見るより美丈夫だった。すらっとした長身に、彫りの深い顔。薄い唇の奥には整った白い歯が並んでいる。
『先程のシンポジウムで昨今のダイナミクスに関する小難しい話は沢山しました、今はぜひこの場に集まった皆様で今後のために交友を深めましょう』
 短く、シンプルな挨拶とともにグラスを持つようアナウンスが入る。ウェイターが複数名、グラスを持っていなかった参加者へ細いシャンパングラスを配って歩き始める。
「どうぞ、ノンアルコールです」
「ありがとうございます」
 声を聞くまで松田も水瀬もそれが河野だと全く気がつくことができなかった。メガネをかけ、ホテルマンの制服を着た河野は目立たないようにか普段の柔和な笑みを見せず、しかし完璧な所作でグラスを渡し去っていく。水瀬は思わず目で追いそうになったがグラスを凝視することでその欲求をなんとか耐えた。そうして我慢している水瀬の横で松田は視線だけで河野を観察し、歩き方まで変えていることに気がついて少しゾッとした。普段と髪型も全く違うため、正面からマジマジと観察しなければ河野だと気がつけるものは少ないだろう。警察病院の精神科にかかったことがあるという河野がなぜ再び、古巣にて潜入をよしとされたのかよく理解できる。手ずから持ってきたということは飲んでよしということだろうと判断し、乾杯の音頭のあと軽くそれを煽った。
 照明が元の明るさに戻され、脇に設置されていたワゴンの料理の蓋が開けられる。飲食についてそこまで注意はしないほうがいいとは言われているが、松田は単純にこういった立食形式の食事があまり好きではないので近寄る素振りも見せない。水瀬も緊張と、諸伏に食べさせられた軽食で食欲が湧かず群がっていく人々をぼんやりと眺めている。
「水瀬さん」
 背後から声をかけられた水瀬は振り返る、同時に松田も首だけそちらに向けた。
「浅井君!」
 嬉しそうに水瀬が声をかけてきた男に笑顔を向ける。女でも通じそうなほど体が華奢で、伸ばしている髪を後ろで括った小綺麗な顔をした青年が気まずそうにしてそこに立っていた。
「お久しぶりです、元気でしたか?」
「会えると思わなかった、希望って内科だったよね?」
「はい、一応そのまま内科志望で行こうかと思ってます」
「もしかして学会もいた?」
「実は」
 ええ、と驚く水瀬に松田が咎めるように「おい」と声をかける。松田に紹介する体で盗聴している連中にも相手が誰なのか説明するよう指示をされていたことを思い出した水瀬は「ごめんなさい」と謝って青年に手を向けた。
「こちら大学で後輩だった浅井成実君、共通科目の授業で一緒に組んでたんです。浅井君、こっちが東都大の院生で……こ、い人の神野さん」
「恋人!?」
 裏返ってつっかえた水瀬の恋人という言葉を正しく聞き取れた浅井はギョッと信じられないものを見るような目で松田を見上げた。
「なんだ?」
「い、いえ……俺の知ってる水瀬さんってそういうの滅法……その」
「なんとなく言いたいことわかったわ」
 鈍感というわけではない。何せ心の掌握を生業にしているような女である。無視をしていたか、ことごとく切り捨てたか。水瀬の性格を考えるに知らないふりが濃厚だなと松田は判断し言葉を濁して水瀬をチラチラと見ている浅井を気遣って納得したふりをした。浅井はあからさまにホッとした様子を見せ松田に苦笑した。本人を目の前に言いにくかったらしい。
「えっと、この前国試だったよね?浅井君なら問題ないと思うけど」
「無事合格しました」
「おめでとう!」
「ありがとうございます。水瀬さんって本当に警察学校に進んだんですよね?もう卒業を?」
「うん、半年で卒業したからもう警察官だよ」
「前から規格外だと思ってましたけど、すごいですね……おめでとうございます」
「ちょっと失礼じゃないかな?ありがとう」
 砕けた言葉を話す水瀬が新鮮で松田はついぼうっとやりとりを眺めてしまう。どうやら今まで話してきた中でも一番と言えるほど浅井とは親しいらしい。心なしか普段よりも声色も明るく聴こえた。敬語ではない水瀬の声に強烈な違和感が纏わりつく。
「研修先が警察病院だったので、もしかしたら水瀬さんいるかもってちょっとだけ期待したんですけど、今思えば警察官になったから配属違ったんだなって」
 警察病院という思わぬ言葉に水瀬がピクリと反応する。
「警察病院だったんだ、珍しいね」
「例の爆弾騒ぎあったじゃないですか、あれで研修結構潰れまして……一部は紹介するからって外部出されたんですよ」
 絶句とばかりに水瀬が驚愕する。米花医大、医大というからには研修先も基本的には付属の病院となるのが常識だ。そして付属先は米花中央病院、なるほど不発には終わったものの病院側でも色々と問題が生じたらしい。当事者である松田と水瀬は苦い顔で浅井を見つめてしまった。
「今日もその時のつながりで呼んでもらったんですよ。精神科の金先生には何度かお世話になったので」
「他の分野なのにか」
 松田が興味深そうにして浅井に問いかける。表情が豊かなタチなのだろう、浅井は少し驚いたのち微笑んで頷いた。毒気のない無垢な笑顔だ。
「医師免許さえ取れば、ダイナミクス精神科以外の患者は全て見られるんです。ただ大抵の医者は得意分野で専攻を決めてその分野に特化していきますね」
「ダイナミクス精神科だけ別なのか」
「国家医師免許の他に国際ダイナミクス医師免許というのが必要でして……基本的に3年以上かけて医師免許取得後に受ける試験なんです」
「ああ、それで規格外」
 医師免許取得と同時に国際的な資格まで獲得したらしい水瀬を見下ろして松田はふーんと雑に感心した。それに気を悪くすることなく浅井は朗らかに笑って続ける。
「どこの専攻に進んでもそれなりに広く浅く色々な知識が必須になるんですけど、ダイナミクス分野については必要な知識が多い割にはそれだけで判断ができないので……例えば神野さんが内科を受診したとして、そこの先生がダイナミクス関連でも影響があるかもしれないと疑った場合必ずそのカルテがダイナミクス精神科医に回るんです。場合によってはその場にダイナミクスの診察ができる医師が来たりとかもザラにあります」
「セカンドオピニオンか……あー、それで世話になったと」
「正解です。まあ、ダイナミクス精神科医に関しては大抵の分野の知識が頭にあるのでその逆は起こり得ないんですけどね」
「ってことは体調悪けりゃダイナミクス精神科に見せれば全部の可能性を加味して最終判断までするってことか?」
「そうなります、ダイナミクスの専攻って結局はオールマイティーに対応できるって意味ですから」
「お前変態か」
 前々からうっすらと思っていたことを松田ははっきり口にした。本当になんで警察になんてなったんだろうかと改めて疑問に思う。
「突然罵倒しますね、びっくりしました。単純に他より新しい分野だからその分知識が構築されてる別分野に関しても考えなきゃならないってだけですよ。それに浅井君も向いてると思うんだけどなぁ。小児科も捨てがたいけど」
「俺には無理ですって」
 互いに優秀、そう言った理由でも仲が良かったのだろうと察した松田は改めて浅井を一瞥する。浅井も水瀬と似て、鼻にかけるような言葉を使うわけでもなく歳上である松田に対しても常に敬意を持って接してきていた。類は友を呼ぶか、と松田は奇しくも己と萩原が一番よく向けられる言葉を浅井と水瀬に当てはめていた。


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投稿日:2023/0514
  更新日:2023/0514