鴨跖草の遺言

「警察病院の内科だとD薬の処方ってあるんだっけ」
 水瀬がなんでもないように浅井に問いかけた。D薬、ダイナミクスの数値をコントロールすることに特化した薬の総称である。特化、というのはどのような薬だとしても大なり小なりダイナミクスに影響することがあるからだ。例えば市販の頭痛薬でも副作用でGlare耐性が揺らぐものがあったりする。副作用で本来のダイナミクスに影響を与える薬はDマイナーと呼ばれ、市販の薬には必ずその表示をするよう義務付けられている。
「警察病院ではやってましたね。もちろんダイナミクス科の先生に一度確認はとってましたけど」
「処方箋とかしばらく出してないからなぁ、今できないかも」
 水瀬が気を落とすように肩を沈めた。浅井がキョトンと目を丸くする。
「出してない?なんでです?」
「面談……カウンセリングで処方が必要なレベルだと他の病院に振るから……組織的にもあんまり投薬を推奨してないっていうのもあるかな」
「へぇ」
 松田は初めて聞く警察組織の内情を聞き目をぱちくりとさせた。レベルについてはよくわからなったが、おそらく水瀬が普段いうところの入院まっしぐらの患者のことなのだろう。ちなみに警察組織では他の病院施設ではカウンセリングというところを頑なに面談と称している。これはカウンセリングとカウンセラー、患者という名称で始めた当時、相当数の刑事が「俺は病んでいない!」などといって診断を無視するという事態に陥ったからだ。それに一番苦労し迷惑をかけられた佐原は以来、横文字を嫌がるベテラン刑事を唾棄するごとく嫌っている。
「D薬は取り扱い難しいですし、生活習慣が不規則なお巡りさんだと確かに処方躊躇いますね」
「効きはいいけどピーキーだし、服薬は病院内だけだから毎回決まった時間にきてもらわないと厳しいよね……バスとかタクシーの運転手さんに、消防士さんとか自衛隊員さんとか……危険職業の人は処方事態NGだし。職業的にっていうのは実は結構あるんだよね」
「それをサラッと覚えてる水瀬さん相変わらずだなって思いました」
「ええ?」
 浅井が眉をへたりと下げて笑う。あまり裏を感じない表情に、松田はこんな男いるんだなと感心した。遊び呆けて擦れていてもおかしくない顔立ちだというのに浅井という男は純真を絵に描いたようだ。それでいてどこか薄暗い。それを感じ取れたのは捜査一課に配属されて暫く経った所以だろう。何かあるんだろうなとは思うも、興味本位で突き回していいものでもなくその時でもないだろうと松田は口を閉じた。
「……まあ、だから中途半端な知識だけの俺が判断するの怖くて結局ダイナミクス科の先生にセカンドオピニオンしてもらってたんですよ。二度手間になりますけど紹介状ない限り初診でダイナミクス科に通されることって滅多にないので患者さん的にもその方が楽ですし」
 実際そのあたりについては警察病院へ患者として潜りこんだ萩原がかなり辟易として苦言を呈していた。まず第一にダイナミクス精神科へ予約を取る方法がない。他の科を受診してからようやっと本丸というのはかえってストレスになりそうだと思ってしまうも、医者が足りないと言われてしまえば大抵の人間は閉口してしまう。一般企業に勤める会社員などは健康診断のタイミングで面談が用意されているため問題ないらしいが、自営業の人間だとそうもいかないらしく一時期ニュースなどでも取り上げられていた。福利厚生の面で必須にすべきだとか、国の制度として整えるべきだとかコメンテーターが小難しい言葉を並べていたことを松田は記憶してた。そういった意味では警視庁はかなり恵まれた環境なのだろう。
「日本ではその流れが主流だよね、そっか警察病院も初診で診ないんだ」
「警察病院は患者を取ってる精神科の先生が少ないっていうのが大きいと思いますよ、研究で引っ込んでしまった方が多いって内科の担当医がぼやいてたので」
「研究、かぁ」
 水瀬は体を強張らせた。しかしあまり深く突っ込みすぎるなとも河野や諸伏、風見に指導されていたため水瀬は「どんな内容の?」と聞きたい欲求をグッと堪えた。そもそも浅井がその研究の詳細を知っている可能性の方が低い。研究をしていた先が内科であれば研究についてまで教えられていることはないだろう。何せ浅井も研修医という立場である以上部外者だ。
「浅井君は米花中央病院の内科希望?」
「……そうですね、ただ田舎の診療所も捨てがたいなって思ってるのでどうしようかなと」
「あはは、浅井君似合うなぁ。休憩時間に釣りとかしてそう」
 そうか?と松田は疑問符を浮かべるも浅井は心配するでもなく平和な光景を思い浮かべて笑う水瀬を眩しげに見つめる。昔から水瀬という人間の人柄は変わらない。深入りするでもなく否定するでもなく、わかったように相槌をするでもなくただただ寄り添うだけ。ダイナミクス精神科医を目指すと水瀬が決めた時には納得したと同時にその姿を早く見たいと浅井は思っていた。しかしまさか医師免許と同時に国際資格まで獲得するとは夢にも思っていなかったが。日本でこの偉業を為したのは水瀬で3人目だ。女性では初のことでそれはもう米花中央病院は広告塔にもなると大喜びしていたというのに、当の本人はしれっと公務員試験を受けに行き警察学校へ入校を決めていたものだから大学でもその破天荒ぶりは話題になりいまだに語り継がれている。
 浅井はダイナミクス精神科医を目指すと同時に警察になると聞かされていたため有言実行した水瀬を称賛するだけで止まったが、寝耳に水だった教授陣は水瀬が在籍していたゼミの教授である冨田に詰め寄って訳を聞きにしばらく人が絶えなかったという。
「浅井君が決めた道なら絶対うまくいくよ」
 確信したように欲しい言葉を無造作にくれる水瀬に、浅井は少年のように笑った。


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投稿日:2023/0611
  更新日:2023/0611