鴨跖草の遺言

 
 浅井と別れた後、松田と水瀬は壁際へと寄って周りの耳を気にしながらぽつぽつと会話を交わすことに徹した。
「あいつの話だと病院全体で精神科の研究をバックアップしているようだな」
「そうですね……浅井くんの言っていた先生は研究に深く関わってないようだったので、人によるのかもしれないですが」
「そいつは知り合いか」
「お名前とお顔は知っていますが話したことはなかったと」
「今日は?」
「学会にはいたので……あ、いらっしゃいました。ステージ脇、ネイビーのスーツに黄色のネクタイをしています。金(コン)先生です」
 水瀬に示された方向を横目で確認した松田は、小柄な男を発見する。40代だろう男が人好きしそうな顔で笑っており、先ほど別れたばかりの浅井が近寄っていくのを両手をあげて迎え入れている。身を乗り出して金を確認しようとした松田はやっと水瀬の腰から腕を離した。2人の前を子連れの男が会釈をしながら歩いていく。薔薇の色はゴールド、めざとく松田と水瀬の薔薇を確認しホワイトが目に止まったのだろう。輝かしい笑みを水瀬へと向けて、しかし無理に話しかけてくるようなことはしなかった。睨みを効かせたのを正しく理解し身を引いたところを見るとやり手の営業だろうと松田は推察した。会場全体を一瞥した松田は、独り言のようにつぶやいた。
「リスト見た時も思ったが、少ないな」
「何がですか?」
「精神科医」
 ホワイトのブローチをつけている人数が圧倒的に少ない。松田の言葉に苦笑しながら水瀬は口を開いた。
「病院に一人いればマシな方ですからね」
 それではケアが間に合わないのではという松田の視線の意味を理解した水瀬が続けて説明をする。
そもそも精神科医はケアが仕事ではない。警視庁はケアも含めてが業務に含まれているために自ずとダイナミクス相性のいい相手との面談が必須となっているが、大抵の病院では同じダイナミクスを持つものを担当とすることだってざらにある。餅は餅屋とは暴論だが、例えば似た趣向を持った同性であれば心の持ちようを参考がてらに話しやすいという患者も少なくはない。Domの患者にDomの医者が付くことだってままあるのだ。
 ただ世間一般的にダイナミクス精神科医がケアが専門のスペシャリストと思われることが多いために、ケア目的で受診する患者も後を絶たない。しかし精神科医がケアまで担当していると患者を捌くことは物理的に難しくなる。それほどまでにダイナミクス精神科医は少ないのだ。
 だからこそ面談とケアは別物として精神科医との面談後に指示を受けたケア専門家によるプレイ、という流れを取っている病院は多い。場合によっては処方箋のように診断結果と必要なケア内容を書面で発行し、外部のケア施設を受診することも可能だ。それくらいに、一般の病院ではケアと面談は切り離されている。
 警察病院もその流れを汲んでいるため、実はダイナミクス精神科医はフレンツ含め3名しかおらず全員Domだったりする。フレンツは患者を取っていないので実質2人で仕事を回しているということだ。これでも多い方だというのだからいかに人手不足であるのか押して図るべきといったところだ。
先ほど浅井の言っていたセカンドオピニオンの件だが、警察病院ではその前にケアも完了させたうえでという注釈も入るので各科にケア要員が配備されていたりする。そうでなければダイナミクス精神科医の仕事量がとんでもないことになってしまうため必要最低限の対応だった。
「ならうちが異色なのか」
「海外では珍しくないんですけど、国内だと異色です」
 へー、と感心したように相槌を返す松田に、盗聴先の風見は眉間をもんだ。ここでそんなギリギリな会話をするな。
 警察病院の医者はフレンツ、浅井が世話になったという金、そして水瀬が知り合いだという滝。滝に関しては萩原が面談を受けたが特段ボロがでるわけでもなく、気になるような点も出てこなかった。心配していた萩原のダイナミクスだが、仕事だと割り切っていたからか良くも悪くもならなかったらしい。
「よろしければグラスを」
 ウェイターに扮している河野が、トレイに複数のグラスを乗せながら畏まって松田と水瀬へ声をかけた。まだグラスの半分ほどしか飲んでいないが、そろそろ手を開けておきたい松田は迷わずそこへグラスを乗せる。水瀬は僅かに残っていた液体を煽り礼を伝えつつ河野に渡した。
「例のドイツ人、先ほどトイレで抜けてそろそろ戻る。水瀬さんはブローチを見えるようにしてここで待機、松田は一旦外せ」
 河野が想定していた以上に松田の他者を寄せ付けない雰囲気が力を発揮しすぎているのである。先ほどのように事件と関係のないゴールド、レッドの薔薇をつけている参加者については悉く睨めとは言っていたものの精神科医まで遠巻きにしてしまっては元も子もない。河野の指示に松田はピクリと眉を片方上げたが、何もいうことなく従うことにしたのか「便所」と河野の脇を通り抜けてその場から離れた。バーカウンターからも近い場所であるためウメジのヘルプも場合によっては見込める。水瀬は鞄を持ち直すふりをして花が見えやすいようにしジッとその場で待った。



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投稿日:2023/0723
  更新日:2023/0723