だって駄目じゃない

「まじでびっくりした」
「私もびっくりしたよ、悠仁君変わってないから安心もしたけど」
「なんで東京?こっちの高校なの?」
「違うよ、花桜に進んだ」
「めっちゃ頭いいとこだ!」
「君は変わんないな本当に」
 あれはなんだと伏黒はまるで呪いにでもかかったかのように息をとめ状況判断のために一切の動きを停止させた。鍛錬の休憩時に一度着替えようと寮への道を歩いていた時に、その信じがたい光景が目に飛び込んだのだ。
「小春も変わんなくね?俺すぐわかったよ」
「小6から変化なしなのも複雑」
「それは俺も言われて思ったよ。あ、伏黒」
 こんな時に限って目ざとく伏黒に気が付いた信じがたい光景の一部――虎杖は呑気に「よ」と片手をあげて伏黒に声をかけた。こうなってしまっては逃げるのもおかしい、伏黒は死地に向かう心持で彼らの元へ足を進めた。
「……こんちわ」
「伏黒君も久しぶりだね」
「マジ?知り合いなの?」
「何回か来たことあるから」
「……俺も聞きたいんすけど」
 覚悟を決めて伏黒は口を開いた。
「虎杖と知り合いだったんですか」
 伏黒に問われた蒼水は素直に頷く。
「小学校一緒なの」
 そういえばこいつ仙台の任務で拾ったんだと、虎杖との衝撃的出会いを走馬灯のように思い出した伏黒は眉間にしわを寄せた。思えば蒼水と虎杖は雰囲気が似ている。育った環境が彼らをこうしたのだろうか、いやでも同じ仙台でも乙骨は正反対だしなと伏黒はちら、と蒼水の背後に張り付く男を見上げた。
 そう、虎杖と楽しそうに談笑する蒼水の背中に大柄な男が張り付いている。身長180センチと蒼水と比較しても差がある乙骨がべったりと、重たすぎる空気をまき散らしながら蒼水の右肩に顔を押し付けながらそこにいた。耐えきれなくなった伏黒は蒼水に目線で「それは」と訴える。首を傾げながらも伏黒の問いに思い至った蒼水は心得たように笑った。
「いつものみたい」
 いやいつもの扱いするな。いつもよりやべぇよ。虎杖もそれで納得するなと思うが、基本人に言われたことは鵜呑みにする人間が虎杖という男だ。昔から知る蒼水に言われてそうかと流そうとする間抜けを伏黒はバシンと拳で殴った。伏黒は蒼水が虎杖に笑顔を向けたとたんにどんよりと落ち込み、そして虎杖のことを名前で呼んだ瞬間にどす黒いオーラを発して蒼水の背後に回った乙骨をしっかりと目にしていた。大方名前で呼ばれる虎杖との仲に嫉妬しているのだろう。近寄るだけでもアウトだというのにこいつ、と虎杖を睨んだ。
「いって!なに」
「空気読めよ」
 言わせるなと伏黒はすさまじい眼力で虎杖を睨みつけて黙殺した。どちらかというと虎杖は空気が読める方だ、ただ久しぶりに再会した友人にテンションが上がってしまっておかしな行動をし始めた先輩をスルーしてしまっただけだった。伏黒がなにを言いたいのかをやっと気が付いた、というより思い出した虎杖は蒼水の背後にのっそりと立つ乙骨に目を向ける。ピクリとも動かず、長い両手を蒼水の肩に回して抱えている。こういうお化けいたよなと虎杖はぼんやりと乙骨を眺めた。
 乙骨の独占欲は面倒だ。少なくとも伏黒は絶対に回避したいと嫌煙していたし、地雷を踏みさえしなければ優秀で話の通じる乙骨のことをそれなりに尊敬はしていたので蒼水にだけは触れないよう注意していた。その地雷と仲がいいどころか、乙骨よりも前からの知り合い。乙骨からしたら面白くないだろうことは明白だ。蒼水に関わることすべてに対して乙骨は爆弾だった。分かり易いといえば分かり易いが、その束縛を受けてなお奔放に過ごしている蒼水という人物の図太さたるや、これまた虎杖を思わせるところがあるなと伏黒は頭を抱えた。
「悠仁君も宗教系に進むんだもんなぁ」
 蒼水を抱えている乙骨の腕がびきりと音を鳴らす。伏黒の目には力を入れすぎて血管が爆発するんじゃないかと思うほど浮き出た乙骨の手が映った。蒼水が一切気付かないのがまた怖い。掴んでいる乙骨自身の肘が粉砕するのではという力の入れ方だ。伏黒は見なかったことにした。
 蒼水は小学校、そして中学校の知り合いがまさか東京の学校に進学し同じ学校に通っているなど思いもよらなかったし、そこが通常の学校ではなく専門学校だと聞いて驚いたのだとのんびり語る。呪術高専は表向き仏教関連の高校として周知しているため、呪術界隈の事情を一切知らない蒼水に乙骨がそう説明していてもなんら不思議ではなかった。実際は本当のことを伝えようか迷っていた乙骨だが、五条に釘を刺されたため蒼水に事実は教えていない。多少ではあるが呪霊が見えると言って拒絶されるかもしれないという恐怖を乙骨がぬぐい切れていないのを五条は見抜いていた。
「あー、えっと小春は進路どうすんの?」
 知らないのであればその方がいい、伏黒も虎杖もその考えは一致したためとくに訂正はしない。高校三年生といえば受験かと虎杖は思い至り話をそらすようにして問いかける。伏黒が思い出させたせいで乙骨の態度が気になり始め口調はたどたどしかったが蒼水は気が付かなかった。
「北海道の大学考えてる」
「だめ」
 これまで一切動かず声も発さなかった乙骨から恐ろしく低い声が発せられて、後輩ふたりはびくっと面白いほどに飛び上がって驚いた。
「え?」
「だめ」
「なんで?」
「だめ」
「東京からなら飛行機一本だし、仙台より時間かからないとおもうけど」
「だめ」
 一定の声色で拒否を続ける乙骨に蒼水は困ったように眉を下げる。虎杖は不思議そうにしていたが伏黒には乙骨が拒否する理由が手に取るように分かった。北海道の呪術協会はアイヌの関係で独自の形態を築いており、東京と京都を二大拠点に置いている本州の協会とは別もなのだ。そのため北海道への任務は滅多なことでは起こらないし、場合によっては立ち入りを禁止するような風潮すら残っている。特級呪術師として認定されている乙骨など目立つ存在が友人に会うからという気軽な理由では踏み入ることができないのが北海道だ。逆に言えば日本国内の、そこ以外であれば問題ないのに見事地雷を狙い撃ちする蒼水に伏黒は哀れな目を向けた。
 だめ以外の言語を話さない乙骨に一つため息をついた蒼水はなだめる様に首元にまかれた腕をぽんぽんと叩く。目に見えて力が抜けた乙骨の腕に虎杖も気が付きおお、と感心した。
 だめだといわれても、さすがに進路や今後の未来に関わってくることだ。友人一人の意見で揺らぐほど蒼水は子供ではなかった。
「いい判定もでてるし」
「だめ」
「やりたいことあるし」
「だめ」
「奨学金も申請できそうだし」
「だめ」
「乙骨君応援してくれると思ってたんだけど」
「だめ」
「北海道いったら乙骨君は仲良くしてくれない?」
「……」
 うっわずる。虎杖はちょっと乙骨がかわいそうになった。どうしてだめだというのかは理解できていなかったが、離れたくないとその言動が示している。そんな相手にそんな聞き方は、と蒼水にじとっとした目を向けてしまった。やっぱり気が付かない蒼水は「だめかー」とぼんやり呟いていた。

 虎杖と伏黒が時間だからといなくなってからも乙骨は蒼水の背中にへばりついていた。なにをするにもその体勢から頑なに変わろうとしなかったため、蒼水は諦めて乙骨を張り付けたままベンチに座り込んだ。当たり前のように背後を譲らなかった乙骨は蒼水を足の間に挟んでより密着している。会うたびにひどく疲れた顔をしている乙骨に東京に連れてこられること自体、不満は全くない。進学した高校が違ったため噂で学校を辞めて、都内の高校に編入したと聞いた時は驚いたが、地元を離れて人間関係をリセットするのもありなのかと納得したのだ。それほどまでに乙骨を取り巻く環境はよくなかったと蒼水は認識していた。学校にとどまらず、家庭環境もだ。そのなかでも蒼水には声をかけて現状を教えてくれたことをうれしく思ったし、全身全霊で寂しいと訴えられるとどうにかしてやらねばと思ってしまう。
「……虎杖君、仲良かったの」
「悠仁君?二つ年下だけど、まあ」
 元気代表虎杖悠仁。体育祭や学芸会でも一目置かれる年下の男の子はその元気に見合ったやんちゃっぷりで時折年上の生徒の不興を買っていた。何度かそんな場面を目撃しては手を貸すうちになついてくれた、というのが蒼水の虎杖の認識だ。年上に囲まれようがまったくひるまず、なんならやり返していたのが虎杖なので蒼水の手助けなど不要だっただろう。しかし虎杖にとっては気にかけてくれていたことが重要で、年上だからと言って偉ぶることなく、間違ってると思うことは窘めるようにして教えてくれる蒼水という少女の存在はありがたいものだった。
「最後にあったのは悠仁君が10歳とかの時かな……学年も違ったし、そこまで関わることが多いわけじゃなかったけど」
「それ」
「それ?」
「……名前」
「名前?」
 乙骨のいうことが理解できず、思わずオウムのように言葉を繰り返してしまう蒼水。乙骨は蒼水に回していた腕にきゅっと力を入れてゆっくりを顔を上げた。その瞳はほの暗くの何も映していない。どんよりと重たい空気を発する乙骨に、蒼水は全く気が付いていない。先ほどから乙骨が重たい呪力を迸らせているせいで、近辺には人っ子一人寄り付いていないためしんとした空気が漂っている。
「僕は乙骨なのに、虎杖君は下の名前だから」
 乙骨の言わんとすることを理解した蒼水がそれじゃあと何の気なしに口を開いた。
「憂太君って呼んでいいの?」
 がば、と乙骨は蒼水の身体を押して自身から離した。咄嗟ともいえる行動に蒼水は驚いてされるがままに身体を前傾させる。咄嗟だったため多少力が入ってしまったが乙骨は蒼水が痛がらない力加減を常に意識しているため、蒼水が吹き飛ばされてベンチから落ちるなんてことはなかった。
「ど、どうしたのびっくりした」
「もういっかい」
「え?」
「もういっかいよんで」
 蒼水は首だけ振り返って乙骨に目を向ける。両手を伸ばして蒼水の肩に手を置いた乙骨は真剣ながらも顔を真っ赤にしてそこにいた。懇願する声に蒼水は反射のように要望に応えた。
「憂太君」
「……うん」
 ふにゃ、と幸せそうに笑う乙骨にそういえば、と蒼水は思い出す。気が付いた時には乙骨に下の名前で呼ばれていたなと。乙骨が下の名前で呼ぶのは……と考えた蒼水はある名前を脳裏に浮かべた。
「里香ちゃん」
「え」
「乙骨君が下の名前で呼ぶのってその子だけだったなって、今は真希ちゃんもか」
 中学に里香という名前の生徒はいなかった。けれど乙骨が泣きそうになりながらその名前を何度か呼んでいるのを聞いたことがあった蒼水は、仲のいい子なのだろうと思っていた。ここ、高専にきてからもなんどか聞いた名前だったためまだつながりはあるのだろう。里香という人物には未だあったことはないが、乙骨が中学からずっと肌身離さず大切にしていた指輪が、彼の指に収まっているのに気が付いてピンと来ていたのだ。
「だから呼ばないほうがいいかなって」
 乙骨は途端に顔を悲しみに染めて、そんな情けない顔を見られまいと蒼水の背中に顔をうずめた。確かに里香が解呪できていないときに異性に下の名前に呼ばれなどしたら大変なことになっていただろう。小学校のときクラスメイトで乙骨を下の名前で呼んでいた子は軒並み怪我をした。呼ばないでくれと思っていた時期も確かにあり、中学はまさにそう思って過ごしていた。言葉に出さない乙骨の不安や思いを蒼水は正しく読み取ってくれていたことをうれしく思うと同時、とてもかなしいと思う。逃がさないよう、乙骨は蒼水の身体に腕を巻き付ける。石鹸の柔らかいにおいの奥に、ほのかに甘いにおいが鼻孔を擽る。眠気を誘う香りに瞼を下ろして、額に感じる蒼水の心臓の鼓動が平坦であることに歯を食いしばる。
「呼んで欲しかったよ」
 背中に押し付けた頭をぐりぐりと押し付ける。擽ったいのか身をよじる蒼水だが、乙骨の拘束からは逃れられない力の弱さの抵抗しか見せない。乙骨の前髪が蒼水の背中にすれてくしゃりと乱れた。
「呼びたかったし呼んで欲しかったよ、ずっと」
「そっか」
 深くは踏み入れてこない。そんな蒼水にずっと助けられているくせに、聞いてほしいと乙骨は思う。乙骨ばかりが蒼水にねだってばかりで蒼水は与えるばかりだ。それが蒼水のよさであるし、だからこそ乙骨は気にかけてもらえてたんだとも理解している。博愛である蒼水を尊く思うが、同時にとても憎い。
「北海道への進学はやめてね」
「あれ話が戻った」
 とりあえずは、進学を関東圏で決めさせよう。乙骨は任務の間を縫って近場の大学のオープンキャンパスに蒼水を連れまわし、蒼水を心変わりさせることに全力を尽くし見事東京の大学へと進学先を変えることに成功した。


 - return - 

投稿日:2022/1229
  更新日:2022/1229