だって悪いじゃない
どうしよう。狗巻は珍しく本気で参っていた。基本的には悪ふざけが好きなごく普通の男子高校生のため、ある程度のことは笑って流せる神経を持っている狗巻だったのだがこれはまずいと心底うろたえてしまっている。「にゃあ」
乙骨が目に入れても痛くない、なんなら持ち歩いて携帯したいと願ってやまない蒼水。狗巻と蒼水に接点はそこまでない。せいぜい会釈をする程度、友人である乙骨の嫌なことをしたいとは思わない狗巻は蒼水と話したことがないからだ。話そうと思ったところでおにぎりの具でしか会話ができないため、蒼水を困惑させることにもなっただろう。しかしまさかこんな状態の蒼水とここまで接近することになるのであれば多少なりともかかわりを持つべきだったと今更ながらに後悔していた。
蒼水の耳のある位置には、どういうわけか動物の耳がにょっきりと生えていた。横、というよりはやや下に向いているきれいな三角形の耳。毛色は蒼水の毛髪と近いが手触りはきっとずっと柔らかいだろう。内側はほんのりと桜色をしており、ぴるぴると怖がるように動いている、血が通った猫の耳だ。極めつけに狗巻の腕に助けてとすがるように絡みつく黒くしなやかなしっぽ。目で辿れば当たり前のように蒼水のスカートの下からそれは伸びており、狗巻は慌てて制服の上着を脱ぎ棄てて蒼水の腰へと巻き付けた。一瞬はなれたしっぽだが、それでもゆるゆると狗巻の腕へと伸びてきてまた絡みついたので狗巻は自由な手で顔を覆った。ぎゅん、猫好きな狗巻にクリティカルヒットして刺さって抜けない。あまりに特攻すぎた。
この際蒼水に猫耳、しっぽが生えたことは置いておこう、どうせ呪い関連だ。以前五条が面白がって触れた者に呪いを付与する呪具を持ち出したせいでパンダの黒い毛がすべて抜け落ちたこともある。友人の思い人の女の子に猫耳が付いたくらいどうってことない、いや嘘だちょっとびっくりするくらい記憶にやきついてどうしようって思ってるけど。ひとまずいいのだ。
「にゃあ」
「……しゃけ」
困っているのは、お互い言語が縛られてしまっていることだ。片や猫語、片やおにぎりの具材。タイミングが悪くスマホやメモを所持しておらず意思疎通の手段がない。それなのに身体の異変にすっかり委縮しているらしい蒼水が動くのを嫌がり、かといって狗巻においていかれるのも嫌らしく甘えるようにしっぽを巻き付けてきているなんて状況が完成した。
「やまわさび……」
やばいまじ。万が一にでもこの光景を乙骨に見られでもしたら。狗巻は消し飛ばされるかもしれないとぶるりと背筋を震わせた。乙骨曰く「狗巻君はすごいしかっこいいし、蒼水さんが特別にしちゃうと困るから」。やきもちかと最初はからかっていたのだが、そういっていられないほど乙骨の嫉妬は業火だった。一瞬呪われた?と錯覚するほどだった。痛い思いをしたくないし、乙骨に嫌な思いもさせたくない。乙骨がそれだけ大切にしているというのならと狗巻は身を引いて蒼水を観察するにとどめていた。
だからこそ、乙骨も狗巻には蒼水のことをよく話して聞かせていた。感情を発露させる場所が欲しかったというのもあるのだろう、まさに惚気といわれてもおかしくないマシンガントークだったが狗巻はそれなりにたのしく乙骨の話を聞いていた。同時に乙骨のやばさを一番よく理解しているともいえる。
それが突然この距離、そしてこの状況。ちら、と蒼水に目を向ければ女の子らしい小さく細い、鍛えてない身体と猫の耳としっぽ。特にしっぽは狗巻がすこしでも動くと不安そうに強く締め付けてくるため先ほどから狗巻は心臓がいたかった。背徳感、罪悪感。それらは時にスパイスとして絶妙な働きをするということを狗巻は思い知った。
そもそも乙骨はどこにいるのだろうか、という疑問が狗巻の脳に浮かぶ。蒼水が高専に来訪する際にはベッタリとくっつき片時も離れないというのにこんな時に限って。いや離れてしまったからこそ蒼水が呪われて耳など生やしているのか。そしてハッとする。もし、もしだ。乙骨がこんな蒼水を見てしまったとして正常でいられるのだろうか。あいつはついに犯罪を犯すかもしれない。正直今でもギリギリだと狗巻は思っている、ちなみにギリギリアウトの方だ。友人はこんな姿の思い人を目撃して人間の形を保てるだろうか。
「おかか(むり)」
乙骨の執着、思いの拗れ具合をよく知る狗巻だからこその断言である。
乙骨のスマホのカメラフォルダには蒼水の専用フォルダが存在している。本人に了承を得てしっかりとカメラ目線、なかには笑顔を向けている写真もあるにはあるがそれ以上に隠し撮りと思われるショットが異常に多い。駄目だよと指摘したこともあるのだが、乙骨は「でもこういう気の抜けた顔とか、声をかけたら撮れない……気が付いたら撮ってるんだよね。それに小春ちゃんは僕のこと許してくれるよ」と照れたように笑っていて狗巻は諦めた。スマホのロック画面もホーム画面も蒼水の写真だ。万が一顔を認識したことで発動する術式使いがいたらどうすると思わなくもないが、それくらいは乙骨も理解している。現場や高専の外でスマホを触る際には呪力で覆って使用するよう徹底していた。そこまでして?と思ってしまったが乙骨の呪力量であればまあ雀の涙程度の労力なのだろうとむりやり納得した。こと蒼水が関わる乙骨の言動を理解しようとするなど馬鹿のすることだ。どれだけ考えても理解不能なのだから時間の無駄である。
蒼水が何をしても乙骨には心臓に悪い、らしい。あくびをしても瞬きをしても歩いていてもなんなら呼吸音でも乙骨はときめいている。「小春ちゃんがぼーっとしてるときの呼吸ってかわいいんだ」とうっとりした顔で言われた狗巻は返答にものすごく困った。なんに耳をそばだてているんだと思ったしうわぁと引いた。顔にも出ていたため乙骨には「引かないでよ!」と言われたが無茶言うなと狗巻は一蹴した。
一度着ていた服を濡らしてしまい、乙骨が制服を無理やり着せたことがあるのだがあの時の乙骨のあらぶり方は今でも色濃く記憶に残っている。それだけ強烈だったのだ。真希も共にいたため、はっきりと「きんも」と言われていた。過去をどれだけ思い出しても今の猫耳以上の非常事態はない、そして狗巻ですらグッとくるような蒼水の状態をみて乙骨がどうなるか。考えたくもない。
「にゃあ」
しなびた鳴き声に視線を向ければ完全に耳が垂れ下がってしょぼしょぼとしている蒼水がいた。おもわずよしよしと撫でたくなる庇護欲を掻き立てる様子だったが狗巻は耐えた。そしてその狗巻の忍耐に報いるように、同時にあざ笑うように呆然とした声がその場に響いた。
「小春ちゃん……」
がこん、という落下音。びくりと狗巻に巻き付いていたしっぽが震える。ああかわいそうにと思いながら振り返れば目をかっぴらいた乙骨がいた。足元にはペットボトルが二本、どうやら蒼水のために自販機へ向かっていたらしい。瞬きを一切せず、蒼水を凝視する乙骨は控えめに表現しても怖かった。口を開いてもにゃあと情けない声しか出ない蒼水だったため、話すことを諦めていたのだが不安が募ると勝手に喉が開くのか、狗巻と二人でいた時と同様また鳴き声が飛び出てしまう。
「にゃ……」
カッとさらに目を開いた乙骨は目にもとまらぬスピードで駆け寄り蒼水を抱き上げた。脇に手を入れて持ち上げられた蒼水は声を上げる間もなくまるで赤子のように抱えられる。くい、と狗巻の腕も持ち上がる。しっぽは相変わらず狗巻の腕を拘束したまま、突然視界が持ち上がった蒼水は完全に怯えているのかしっぽからふるふると感情が伝わってきた。
にゃあと震える声で鳴く蒼水に、乙骨は目を走らせる。常時全く呪力を帯びていない蒼水の身体にどうしてか呪力が走っている。尾てい骨からしっぽが伸び、本来人の耳がある位置には猫の耳。ひゅ、と乙骨の喉から理性の死ぬ音が転がり落ちた。
「かわいい」
「しゃけ(ゆうた)」
「信じられないくらいかわいい」
「しゃけ、しゃけ(おちつけゆうた)」
「どうしよう、どうし……ねこずるい」
「しゃけ(わかるけど)」
「くろねこ?幸せの象徴、ほんとだ幸せの形してる信じられない」
「しゃけ(それもわかるけど)」
「……飼える」
「おかか(やめろ)」
こら。狗巻は乙骨の尻を容赦なくぶん殴った。まったく体幹をぶれさせなかった乙骨はまだ辛うじて耳が聞こえているらしい、狗巻の声に「先生におねがいしたらダメかな」とごねている。無理に決まっているだろう帰ってこい。狗巻はもう一度拳を叩きつけた。ゆるゆると乙骨は蒼水を引き寄せて抱えなおす。腰に片腕を回し、余った手で耳に触れる。興奮からか、乙骨の指先はがたがたと震えていた。
「わ、わ……あったか……」
「う」
耳を触られると力が抜けたのか、狗巻に巻き付いていたしっぽがするりと離れていく。ちょっとだけ名残惜しいと思ってしまった狗巻だったが、友人の暴走が想定よりは多少ましだったため安堵の方が強くため息を漏らす。狗巻の命も見逃されたらしい。嫉妬以上に蒼水の状況に乙骨のキャパが持っていかれたからこそだった。乙骨の顔は見せられないものになっていたが、まあしょうがないと狗巻は諦める。耳を乙骨のしっかりとした指先で遊ばれた蒼水は喉がコロコロと鳴ってしまって恥ずかしさから顔を赤く染めた。乙骨はますます顔をとろけさせ、ぶるぶると震えながら歓喜した。
「首輪……」
「おかか」
離れたい狗巻だったが、蒼水を守るためにも乙骨をこれ以上暴挙に至らせないためにもその場で二人を見守り続けた。幸い時間経過で呪いが解けた蒼水は、この間の記憶を一切なくしていた。完全にアウトな乙骨の発言もきれいに忘れてくれたようなので、乙骨を密かに応援している狗巻は一人ホッとしたのだった。
投稿日:2022/1229
更新日:2022/1229