だって大人じゃない

 蒼水小春が呪術高専への来訪を許されているのは、乙骨を懐柔しようとする上層部の思惑が強くあるからだ。それをよく知る五条はなんどか力のある術師が誰かを贔屓する危険性を説いたのだが、乙骨はそれでも折れなかった。
「身を守れない小春を、憂太の弱点としてみる呪詛師は絶対にでてくるし上層部だって交渉材料に持ち出してくるよ。悪いこと言わないから距離置きなさい」
「じゃあフリーの呪術師になります」
「呪術師やめるっていわないあたりガチだよねそれ」
 幸いにも、というか当然のことなのだが乙骨のこの発言が出たのは折本里香の解呪直後。上層部は乙骨の血筋だけを重視していた段階のため、仮に乙骨が呪術協会の支配下から逃れたとしても、その後の足取り――乙骨の子供や子孫をマークすれば良いとしていた。そしてこれまた幸いだったのは特級呪詛師として名をはせていた夏油を退けたあとだったこともあって並みの呪詛師は蒼水に手を出すことをしなかった事だ。里香の力を無くした乙骨の力を見誤っていた上層部は乙骨を四級へと格下げし、蒼水が高専へ訪れることを断固拒否。そうなると乙骨のとる行動は一つ、乙骨が仙台に蒼水へと会いに行く、だった。
 皮肉にも手練れの呪詛師が蒼水に目をつけて襲ったときも、乙骨が駆け付けて一命をとりとめている。相手が準一級相当だったこともあり上層部は乙骨の力の真髄に遅まきながら気が付く。だが乙骨に相応の任務をつけようとするも「蒼水さんが危ないので離れたくないです」の一点張り。昇格すら拒む始末。さすがの上層部も優秀すぎる呪術師の機嫌を下手に損ねたくない。ただでさえいきなり四級へと降格してしまった負い目がある。呪術師を輩出する家柄であればそちらから圧をかける方法もあったが、乙骨は家族とは疎遠状態なうえ血のつながりのはっきりしている親族はみな非術師。遠縁に五条まで控えているときており下手に手を出せなかった。
 唯一乙骨の見せた弱みが蒼水という少女、であればその少女ごと囲ってしまいいざという時の楔にしてしまおうと方向を切り替えるのも早かった。掌をかえして蒼水が高専に踏み入れることを許し乙骨の機嫌を取ろうと舵を切った。フリーの術師になるなどとんでもない、上層部は乙骨を留めようと必死だった。四級に降格し乙骨を自由にさせていたツケは大きく、蒼水を丁重に高専で持て成し、なるべく東京に滞在するよう四苦八苦することとなる。そうしなければ乙骨が仙台から離れそうになかったのだ。特に東京より南の任務を拒否し続けていたためこれには上層部も慌てた。必然的に特級としての仕事を押し付けられる結果となった五条も頭を抱える羽目になったが、まあ若人の青春だしなと諦めた。
 だが、依然として蒼水が危険という状況には変わりがない。乙骨の溺愛ぶりはそれはもう呪術界隈では知れ渡ってしまっている。まぁ、会うたびにべったりと張り付いて呪力をまとわりつかせ、離れている間も加護をつけているので大抵のことであれば平気ではあるのだが、それを知るのは五条くらいである。
「今日もすごいな」
「なにがですか?」
 首を傾げている蒼水には、のっぺりと重たい乙骨の呪力が張り付いている。六眼なしではわからないだろう結界のようなそれ。最初にこれを見たときは爆笑した五条だが回を追うごとに重たく堅牢になっていく様をみていて笑えなくなってきていた。感知が得意な術師なら呪力を「纏わされている」と気がつくだろうが、並の者であれば蒼水の呪力であると勘違いする。それも、極限まで圧縮された呪力は表面上はささやかにしか見えない。実態は乙骨の重苦しく濃度の高い呪力であり、万が一が起こった時に展開するような仕掛けになっている。決まって乙骨が蒼水の傍にいられないときにべっとりと張り付けられる結界じみたそれ。教え子が逞しく成長していて何よりだが、重たすぎる呪力は見ているだけで胸焼けしそうだと五条は複雑な心境に陥った。そもそも、蒼水がそうして狙われる原因が乙骨があからさまに大切にしているからなのだ。
 五条の目にはかつての怨霊、折本里香の形をした加護が蒼水を抱きしめているのが見える。かつての女に今の女を守らせるとはこれ如何に。五条は普通の神経をしていないので「やるなぁ憂太」程度で流しているが、まともな考えを持つものがこのことを知れば乙骨を白い目で見ただろう。ついでに自身の呪力の残穢を追うなど朝飯前なほどに乙骨は成長しているので、蒼水の居場所は随時乙骨に把握されていたりする。教師として指導すべき事案である。
 緊急の任務で高専から離れることを避けられない場合、乙骨は断腸の思いで五条へと蒼水を託す。この日も反転術式が必要とのことで突然新潟へと出張が決まった乙骨は呪詛を吐くかのような声色で「行ってきます」と出発していった。蒼水は呼び出しておいて放置されることにも慣れているため「ばいばい」と軽い挨拶で乙骨を見送った。いってらっしゃいと返してもらえなかった乙骨はどんよりと重たい空気を放っていたため五条は笑いを耐えるのに苦労させられたのは余談である。
 素養さえあればいい術師になっただろうなと蒼水を評価している五条は、その「イカレ具合」を気に入っていた。寝たきりとなっている伏黒の姉である津美紀に少し似ている、そう思って恵に伝えて嫌な顔をされたのは最近のことだ。もっとも津美紀よりもずっと狂っているし、常軌を逸しているが。
「君はさ、なんに対しても距離の取り方が上手だよね」
「はぁ」
「僕にもつかず離れず、不快にさせないように気を遣ってくれてるでしょ」
 御三家の人間として本当に多くの人間に関わってきた五条だからこそ気が付いた蒼水の性質だった。寄り添い背中をさする距離ではなく、見守る距離で常にそこにいる。けれど手を伸ばせばすぐにつかんで引っ張り上げてともに歩いてくれるような、そんな距離と空気。当時乙骨に関わり続けた理由は、まさしく乙骨がそれを望んでいたからだろうと五条は察していた。乙骨憂太および折本里香の調査に付随して、蒼水という少女の存在についても調べられた。病院に連れていかれるような怪我だけで、少なくとも5回。それ以上の数里香からの被害を受けていたにも関わらず蒼水は乙骨に関わり続けた。異常極まっている。なにがそこまで蒼水を駆り立てたのかと興味を持っていたが、単に性格の問題だと知った時の衝撃の大きさを五条は未だに覚えている。劇的な過去やトラウマ、後悔があるわけでもない。ただそういう人間性を持っていただけ。乙骨にとっては毒のような甘さだろう、そりゃああなると五条は乙骨に同情した。状況さえ整えば、蒼水は誰にだって平等に慈愛をもたらす。乙骨もそれを理解しているからこそ目を離したくないのだ。自分以上に「許された」人間を作りたくない、明瞭な独占欲はどっぷりと重たい。
「そんなことないですけど」
「無意識なんだよなぁ」
「ごめんなさい?」
「あやまることじゃないからね」
 よくわからん。蒼水の顔に書かれた疑問に笑う。自身の生徒ではなくなんなら住む世界も違う一般人、だが知れば知るほど呪術界では見た事のない蒼水という生き物の生態は、五条が積極的に乙骨に協力する程度には好ましかった。
「いつもお土産もありがとうね」
「喜久福おいしいですよね」
「君のせいではまったんだからね僕」
「宣伝ばっちりですね」
「定期的に食べたくなる」
 仙台にコンスタントに訪れる理由を増やし、乙骨の負担を軽減させる。上層部に感づかれない程度の匙加減で五条は蒼水を見守っている。放課後のバイト代を高専へのお土産に消費させる蒼水に、律儀だなと笑ってしまう。びっくりするほど人畜無害。あまりにも毒のない善良な市民であるため報告をうけた上層部すら、ほんの一部ではあるが懐柔した蒼水の人柄。先日突如猫耳が生えたというそれも、乙骨へのご機嫌取りを兼ねた上層部の戯れだと知った時の驚きったらなかった。おじいちゃんたちどうしちゃったのと素で問いかけてしまったことを思い出しながら、五条は再び笑って和菓子を蒼水へ差し出した。
「これ食べたことあった?」
「ないです」
「有楽町にある店の練り菓子でね、もうめっちゃおいしいの」
「ねりがし……」
 プリンみたい。差し出した抹茶色のそれを眺めて蒼水は不思議そうな顔をする。笹の上でつややかに震えるそれは確かにプリンにも見える。竹の楊枝を差し出してやれば「食べていいんですか?」と目をキラキラさせて問われたためどうぞと頷く。丁寧な所作で菓子をつつく蒼水を見下ろしながらこうしてたら普通なんだけどなと五条は思う。乙骨は勘違いをしているが、蒼水はきちんと人並み程度に恐怖心を持っている。ただ、それを乙骨の前で出していないだけだ。実際五条といる際、呪霊に襲われて怯えていたし暫く震えて小さくなっていた。乙骨にその感情をさらさないのは、乙骨自身が怯えてほしくないと強く思っているからだ。昔から、今もずっと。
 五条は蒼水がいつか耐えきれなくなってしまうのではないかと懸念している。人よりもずっと大きい感情の器、他者の感情すら受け入れてしまえるほどの受け皿。そこから恐怖をあふれさせて、乙骨がそれに初めて触れた時いったいどうなるだろう。恐怖を向ける対象がなんであれ、乙骨にとっては驚愕すべき事態になる。せめて恐怖の対象が乙骨でなければいいが、とガス抜きもかねて五条は蒼水に構っている。乙骨には死ぬほど嫌がられているが、任務の際には仕方ないと任せてもらえる程度には乙骨も五条のことを信頼していた。
「お、おいしー!」
「でしょー!」
 二人にとって最良の形に収まってくれればいいのだが。人として終わっていると他称される五条でもそう思うほど蒼水はきれいに生きていた。


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投稿日:2022/1229
  更新日:2022/1229