対価の訓戒
アルの身体を取り戻すと決めた日から一年がたっていた。一年がこんなに早く感じたのは初めてでもあったが、同時にこんなに時間がもったいないと思ったのも初めてだった。
一年だ、そう啖呵をきってリハビリに挑んだ俺だったがそれに付き合ってくれた二人には頭が上がらなかった。血反吐を吐くぞと言われていた通り、楽な一年ではなかった。
それでも耐えられたのは、耐えなくてはならなかったのはアルがそれ以上に辛い環境だったからだ。俺のせいで眠ることも、体温を感じることも、泣くことすらもできなくなった弟が待っていてくれているのに泣き言なんて言えるはずがなかった。言う気にもならなかった。
国家資格も無事に取ることができ、安心と、軍の駒、鋼という名の鎖の重みも感じながらのリゼンブールへの汽車の中。やっとスタートラインに立てた。やっと、やっとだ。
ここまでくるのにこんなに待たせてしまった弟のために、やっと動くことができる。
そう思うと不安や恐怖より、嬉しくてたまらなかった。
汽車からおりて、見慣れた道を歩く。羊の鳴く声がどこかからか聞こえて普段通りのこの道だって、これから暫くは歩かなくなるのだろうと考えればどこか大事なものに思える。
先ほどまでいた東部と違い、建っている家も少なくよく小さい頃に駆けまわっていた原っぱ。よく登って擦り傷を作った丘の上のくるみの木。食べれば酸っぱい味のする実のなる茂みや秘密基地を作ろうとして失敗した空家の蔵。
簡単に思い出せる場所や記憶に思わず頬が緩む。そうしていざ離れると決めるとこんな田舎のなにもない場所でも大切だったのだと気が付く。失ってから気が付く、人間はそういう愚かな生き物だと改めて思ってしまう。
「兄さん!」
ロックベル家に着くと、デンが吠えているのが聞こえた。それに教えられたようにして戸を開けたのはガタイのいい鎧で、こんなに遠目でも見つけられるようになった弟に機械鎧の手を振れば、ガチャンガチャンと盛大に音を響かせながらこちらに駆け寄ってくるのが分かった。どんどん近くなる音に苦笑しながらもこちらも足を速めれば左右で音の違う自分の足にまた苦笑が漏れた。
「これで一歩前進、ってな」
カシャンと証である銀時計を右手で持ちながらアルに見せてやる。二人で取る意味はないと言いくるめて俺だけが軍に頭を垂れた、初めは納得しなかったアルだったが何度も何度も言い続ければ俺が折れる気がないことを悟ったのか諦めてくれた。これ以上の重荷を弟に背負わせるなど俺が耐えられなかったのだ。軍の狗、本来の錬金術師の行いに背いた裏切り者。己の欲望が故にその資格を欲し、膨大な研究費用と権力を得る。その通りだった、俺は自分の目的のためにこの資格をも利用してやろうとしているのだからなんら間違いはない。
「……そっか」
静かな声で頷く弟の表情は変わらない、変わらなくなってしまった。
それでも声色でその表情を想像することは出来る、きっと晴れない顔でそれでも笑おうとしてくれているのだろうとなんとなくわかる。だからこそ俺も多くは言わない。余計な言葉は無用だと思った。
そうして思案する、試験に行く前に話していた内容を、アルとともに決意したことを。
家を、生まれ育った母との思い出の詰まるあの家を焼こうと、そう話していたのだ。
どちらともなく言いだして、納得した。そうするべきだとお互いに思ったのだ、これから甘えなど許されない。あんなことをしでかしてしまったのだ、それくらいは然るべきなのだ。
夕暮れに赤く染まった街並みはなんだか燃えているかのように見えてしまって、思わず眩しさに目を細める。家には、あの日から戻っていなかった。思い出以上にトラウマの方が濃かったのだ。
それでも焼くと決めれば、ここを離れると決めた時と同じような感情が湧く。
母が世話をしていた裏の小さな畑も、死んでしまってから簡単に枯れてしまった。
よくどちらが乗るかで喧嘩をしたたった一つのブランコも、紐に蜘蛛の巣がかかって劣化してしまっていた。それでも、トラウマのようなあの出来事にだって負けないくらいの何かも確かにあの場所にはあるのだ。そんな優しいものに、いまは甘えていられない。
「エド!……おかえり」
「…おう」
話し声を聞いたからかバタバタとやって来たウィンリィも、俺の手にするそれに黙って何も言わなかった。軍に親を取られてしまったと知っているのに目の前でまた軍属に成り下がったのだから、こんな顔をされてしまってもしょうがなかった。眉を下げ不安げな表情は最近ずっと見てきたものだったが慣れないものだ。こんな顔をさせているのは己なのだ、だからこそ少しでも不安がなくなるようにしようとアルと話した。
「あれ?そういえばシャノンは?」
アルが出した名前に、思わず手にある銀時計をぎゅっとにぎる。シャノンは最後まで俺が国家資格を取ることを嫌がっていた。直接言葉でそう言われた訳でも嫌そうな顔をされた訳じゃないが、シャノンの声がそれを拒絶しているような気がしていた。国家資格の話しになると、焦っているようにそわそわしだしたり、急に黙り込んで考え出したりしていたもんだから余計に俺はそうだと思った。
「……、それが…昨日出かけてから何処にもいなく……、て…」
言いながら涙を浮かべるウィンリィに呆然としてしまう。昨日からいない、一晩帰っていないというのか。そんなこと今までなかった、どこに行くにもウィンリィにくっついて行っていたようなそんな奴が、無断で外泊した。外泊なんて言ってもこんな田舎だ、思い至る場所はきっともうウィンリィが当たっているだろう、それなのに何処にもいないといった。茫然とその事実を受け止めようと必死に頭を働かせてもどういうことだか理解できない。
「な、なんで言わなかったんだよ!」
「だ、だって…アルもエドの事あるのに……ずっと、ばっちゃんと探しててもいなく、て……」
「ご、ごめん……」
弟もそのことを知らなかったらしく、責め立てる様に声を荒げた。きっと気が付かなかった自分をも責めているのだろう、でもそれは俺だって同じだ。こうなる前にきっと前兆はあったはずなのだ、それを見逃してしまって、自分たちの事で頭がいっぱいになって。ウィンリィの言葉を聞いて、ハッとした様に謝るアルの姿も今は何だかやけに他人事の様に感じるほど、俺の中では嫌な予感が渦巻いていた。試験に行く前の見送りの時は、普通に見えた。でもその時にはきっと普段と違ったんだろう。それに気が付けずにいた己が悔しい。
こんなにも胸騒ぎがするのは、このタイミングでシャノンがこんな行動を取る理由が全く分からなかったからだ。こんなことをする奴じゃない、姉であるウィンリィに心配をかけるような事をできるような奴ではないし、俺が機械鎧のリハビリをしていた時もしょっちゅうアルを思って傍にいたような奴が、どうして今回に限ってこんなことになっているのだ。
「…っ!とりあえず探すぞ!」
何かが手遅れになる気がした。
体の中の血液が逆流して暴れているかのようなそんな肌が泡立つような寒気と心拍の上昇がまだ生身の手足の指先を冷たくさせた。どくどくとまるで耳のそばに出来てしまったようなくらいに心音が大きく、他人のもののようなそんな気にさえさせられる。
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905