対価の訓戒
不安で不安で、本当に不安でしかなかった。
シャノンは隠しているつもりらしいが、私はシャノンがなにかを始めた事に気が付いていた。私に隠せると思ったのだろうか、それは分からないがあんなに必死になって何かをしている彼女の妨げになるような事が出来ないことは確かであった。毎晩の様に夜遅くまで机に向かっているのに、昼間は今まで通りに私達のそばにいて眠たそうに瞬きを繰り返しては眠気を誤魔化そうとしている。それでも昼寝をすることも、机に向かうことも私たちの前では決してしなかった。眼の下に薄らと隈をつくり、食も細くなったとばっちゃんが心配していた。
こっそりと机の下に隠すように積まれた本を覗き込んで、そしてそれが錬金術のそれだと知った時、明確に恐怖を覚えた。なんだってあんなことがあった後に、隠れる様にしてこんなに必死になっているのかわからなかった。多分始めたのはエドが国家錬金術師になると決めたあたりだ。エドにもアルにもそれを隠してまでなにをしたいのかは分からない。それでも、あの子が決めてあんなに頑張っていることを邪魔したくなかった、できなかったのだ。
それをこんなにも後悔するなど、思わなかった。嫌な予感が全身を付きまとい、悪寒が止まらず情けなくも指先が震えた。
「……どこいっちゃったの…?」
少しでも油断したら絶対に泣いてしまう。それくらいに余裕がなかった。エドに話した時のあのエドの表情が頭から離れない、驚いて唖然として、切羽詰まったようなそんな顔だった。怖いとすら思えるほどの焦燥感だった。
本当に余裕、ない。多分それは、唯一探していないこの場所を思い出してしまったからだ、できれば思い当たりたくなかった。でもあの二人は絶対にあそこには行かないだろうし、ばっちゃんとも昨日探していない。なんの為に隠して、必死に錬金術を学んでいたのか。もう少し考えれば、簡単にわかってしまいそうで、でもそれがとてつもなく怖くて私はそこで考えるのをやめた。そんなこと、考えたくもないと思ってしまった。
「……おじゃま、しまーす」
恐る恐る、一年ぶりに来たエルリック家の扉を開ける。今思えばシャノンはここで錬金術の資料を得たんだと納得する。こんな田舎で錬金術の資料がある場所なんてここ以外思い当たらない、ここ以外にそんな場所ない。きっと最初はビクビク怯えながら入ったんじゃないかな、今の私みたいに。エド達には悪いけど、本当は一人でなんか来たくなかっただろう。それでも今私の足を動かしているのはシャノンを探すためだ。自分のためにこんな必死になってこの家には入れない。だからきっとシャノンも頑張って、誰かの為にここにきたんだ。ああでも、隠すくらいなんだから私はそれを応援できないかもしれない。シャノンは一人で何を頑張っているのか、知りたいけど、やっぱり不安だ。一歩踏み出す度に少しだけ床に積もった埃が靴の下で滑り、それだけの時間経過があったのだと体感した。
「……シャノンー……っ…い、いないのー?」
できれば私の思いすごしであってほしい、どうかここにはいないでとそんな風に思ってしまう。返事を求めているのに返事が聞こえてくるのがいやでしょうがない。ここではなく、エドたちがもうシャノンを見つけていればいい。
どうか、そうであってほしい。しかしその瞬間、私の不安は確信に変わった。
___バチバチバチッ!!!!
階段の上、二階から突然カミナリのような激しい光と音。おもわずギュッと目を瞑り耳を塞いでその場にしゃがみ込む。声こそ恐怖に引きつって喉に張り付いて出てこなかったが、呼吸は震えてガタガタと体までが同じように震えた。どうしてシャノンは今私の隣にいないのだろう、こうやって雷が鳴る夜は同じ布団に潜って二人で過ごしたのに。雷が怖い訳ではない、それでも二人でより添っていれば一つも怖いことなんてなかった。それなのにこんなにも体は震える。でも、あれ、待って。私はこの光を知ってる、この音を知ってる。雷なんかではない、もっと近いしそして雷よりは小さい。
「……錬成の…時の、…」
そして、どうやってもあの時と重なった。エドとアルがあんなことになったあの日、雨は降っていたが雷なんてなっていなかった。それなのにアルが鎧になって、血まみれで手足のなくなったエドを連れてきた光景がフラッシュバックする。
「…っ!シャノン……!」
怖い、怖い怖い。まだ鳴り止まない錬成光が怖くて堪らないけどそれだけじゃない。恐い恐い恐い…!あの光がアルを連れていってエドから足と腕を取った…っ!錬金術が、二人を不幸に突き落としたのだ!転ぶように足を回しばたばたと音を立てて床を蹴る。そのはずなのに自分の足音が耳に届かず息が止まりそうなほどの苦しさを覚えた。
「シャノン、…シャノン…!!」
きっと今誰よりも恐怖のど真ん中にいるのはシャノンなのに、みっともなく私は泣きながらガタガタ震える身体を無視して階段を駆け上がる。いるのだここに、私の妹がいるのだ。思いすごしでもなかった、悪い予感ほど当たると誰かが言ってたが本当にそうだった。階段を登り切ると図ったように錬成反応が収まる。しん、と静まり返る周囲。背後で舞っていた埃が緩やかに落下していく音が聞こえそうなほどに音が消え失せた。
かわりに心臓が今までにない程にバクバクと、壊れるんじゃないかと思わせる程に早鐘を打っていて、耳には自分の覚束ないゆっくりな足音とその心臓が流した血液が流れる音が嫌に聴こえた。嗚咽が混じっているのだろうが、自分の出すその二つの音しかわからなかった。
勝手に涙が出て、視界がぶれる。ぼやける廊下の壁が瞬きの度に一瞬鮮明になるがまた滲む。一度目を閉じて扉に手をかける。頬に生温い雫がぼろりと頬に伝う感覚がやけに皮膚の神経をざわめかせる様だった。扉を恐る恐る開けると、目に入るのは赤黒い液。鼻につく匂いは診療所でも嗅いだことのある匂いだったがそれでも背筋が震えるようだった。大きな白い錬成陣の端に捜していたその場に似合わない明るいオレンジの眼を見つける。その陣の中心からは大量の黒い液体、薄暗い室内のせいで黒く見えるだけできっとそれはそれは血なのだろう。あんな量のそれを見たことがない。
ばっちゃんから話でしか聞いていないがあれが人体錬成のあとなのだろうか。
ただ話と違うのはその中心に、化け物のような何かは存在しておらず、粉なのか何なのか、この暗さでは解らないがそういう物が入った大きなタライが一つと、その傍に恐らく同じ物が入った小さなタライがあるだけだった。それ以外、ただ、血、血、血、血。私をみてすまなそうな、泣きそうな、絶望したような、納得したような…私の妹。その目だけがこの部屋の中生きている色を持っていて、ここに来て初めて安堵を覚えた。
「…っシャノン!」
安心やら驚きやら、なんでそんな顔するのかとか色々ゴチャゴチャと頭の中が整理されなかったがそれでも絡みそうになる足で傍に駆け寄った。私を見ても起き上がらずに倒れたままでいる彼女を見て全身から血の気が引く様な気持ちになった。
ゴポ。
いやな、音だった。どこかからか水があふれる様なそんな音だった。水の中の水泡が水面に上がってきたようなそんな音。遂に崩れる様に膝をついてしまって擦ったような熱で痛みを覚えた。それでもシャノンの元まではたどり着いた、目の前だ。そんな彼女から、血があふれていた。床に広がるそれよりは少ない、けれども確かに妹から湧いたように血がでていた。目の前の光景に呆然としてしまう。焦点もなんだか合わない。昨日ぶりの彼女は、それこそ昨日と変わらないように見えたのにそれは違ったのだ。
「……シャノン?」
血を、吐いていた。
小さな口から零れたそれはコップ一杯にも満たない量だったがそれでも私を凍らせるには十分すぎた。どこで間違えたんだろう、どうしてこうなってしまったんだろう。こんな妹を見たくなかった。昨日までけらけらと笑っていた口元からは笑い声ではなくとろりと赤い液体が溢れてくるだけ。こんな、こんな…
「う、嘘でしょ、やだ、よシャノン…舌………ない…の……?」
なんの代償なのか、一体変わりに何を得たのか。
シャノンは声を、あんなに綺麗な声を失った。
2014.9.11
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905