対価の訓戒

「帰るぞ」


リビングにつながる扉から、知らない声がこちらに向かって届いた。黒い髪の男の軍人で、その黒が青い軍服に映えてみえる。
この人が、守りたい人なんだろうか。ボンヤリとそんなことを考えているうちに、紅茶ありがとう、とカップを姉に渡して帰り支度を済ませてしまった彼女。それになぜか寂しさを感じてしまって呼びかけようとしたところではたとする。名前すら聞いていなかったことをここで思い出したがもう遅い。

それによく考えればあの男の人はいったいなにを話していたんだろうか。こちら側で待たされていたのだとようやく気が付いた頭の回転の遅さに悲しくなったが行こう、と姉に促されるままに立ち上がる。なぜ軍人がうちに来たのか、それはきっと姉と一緒にばっちゃんから聞けるだろうと考え直しカップを置いた。

玄関に向かう彼らにばっちゃんも付いて行っていて、なんとなしにリビングを覗けば車椅子に乗ったエドがいた。しかし、一瞬彼が誰か分からなくなった。あれは誰だと思ってしまった。俯きがちだったが前を睨むようにして鋭くなった眼光に恐怖さえ覚える。こんな目をするような人だっただろうか、いったいあれは誰だろうか。だがすぐにあの軍人さんの眼を思い出す、真っすぐで鋭くて、突き刺さるような眼。同じだった、あの目だった。エドの瞳の金色が、星の様に瞬く。綺麗だった、息を飲むほどに美しいと思った。

そうして理解する。あぁエドもなにかを覚悟してしまったのだと、置いていかれるとそんな風に思ってこのままではダメだと背を向ける。ひとつ、息を吸ってゆっくりと吐く。
肺に溜まっていた重たい息が体から抜けて、なにか悪いものが抜けていくようなそんな心地になる。今日一日で何度ぐずぐずしていられないと、そう思っただろうか。このままではいけないと思い知っただろうか。こんなにも機会があったのだから私はきっとついているのだと思う。

自分の両手を見下ろす、見慣れた両手の平。きっとこんなに小さくて力のない手ではできることは限られる、それでも決意して覚悟をしようと思ったのだからそんな弱気ではいられない。勢いよくその手を頬にたたきつける。ぺシン、と情けない音だったがじわじわと熱の様に広かる痛みは確かなもので思わず頬が上がった。外から姉の声が私を呼んだので、大きく返事をして駆け出す。


「どうしたの、頬っぺた真っ赤だよ?」


なんでもない、と微笑めばそう?と不思議そうな顔のまま首を傾げている姉。この人にはいつでも笑っていてほしいと、真剣にそうおもう。それだけで何でもできる気がする、そのためなら何でもできる。


「そういえば自己紹介がまだだったわね、妹さん、かしら」


姉からそちらに目を向ければあの琥珀色が真っすぐこちらに向いていた。正面からみたその色はどうしたって綺麗で、少しだけ緊張してしまう。軍人さんはきらい、そういった姉の言葉の通りきっと私もそう思っている。けれど軍人のこの人を、嫌いとは思えない。


「は、い…シャノン・ダンカンです」


「……そう、リザ・ホークアイよ」


差し出された右手は、先ほど引き金を引く様に見えた手だった。私の手よりは大きくて、それでも細くて綺麗だった。恥ずかしいことにその手を取った時に私の手は震えていた、けれどもしっかりと握って真っすぐな目をジッと見つめる。私だって、やればできるはずだ、いややるんだ。私の手よりも体温の低い手は今は触れていて心地がいいと思えるくらいで、あとは姉の手となんら変わらなかった。機械鎧を扱っているせいでところどころ皮膚の固い姉の手と、同じように少し固く感じた。その訳までは分からなかったが、努力をする人の手だとそれだけは分かる。


「元気でね、ふたりとも」


あっさりと離れる手に、今度は寂しさは感じない。車に向かってこちらに青い背を向けたリザさんは、しゃんと歩いていて素敵だと、そう思った。未だに熱を持っている頬が嫌じゃない、自分を叱咤してくれているようで笑顔さえ浮かぶ。


家に戻って軍人の来た訳を聞いても、エドとアルの気持ちを聞いても、もう私が焦ることはなかった。きっともう、エドのあの眼を見た時に私の心は決まったのだ。それが覚悟するということだとこの時の私にはわかっていなかったが、それでも落ち着いた頭ではこれから己がすべきことを考えていたのだからそこからの行動ははやかった。




 - return - 

投稿日:2017/0905
  更新日:2017/0905