移ろう少女
お母さんが死んだ。私の唯一だった、お母さんが。病気で、最近ベッドにいることが多くはなっていたが元気だった。変わらずに私に愛をくれていた。誰にでも優しくて、いっつもニコニコしてて全てを包んでくれる大空みたいな人だった。____誰かを幸せにしたいんなら自分が幸せにならないと。自分が幸せになって、その幸せをその誰かに分けてあげるの。そのためにはほら。人一倍笑わないと!!あなたの笑い声を聞くとね、お母さん物凄く幸せな気持ちになるの。だからほら、心の底から笑いなさい!
口癖の様だった笑ってという言葉。そう、"だった"んだ。さっきまでいつも通りの笑顔だったのに、それが過去になってしまった。もう、動かない。笑わないし話さない。怒ってくれもしないし抱きしめてもくれない。一緒に手を繋いで歩けもしないし私を目に映してさえくれない。あんなに温かかった大好きな手もなんだかぬるい。死んだんだ。理解できてなんかないけど、死んだ。泣ばいいんだろうか、でも母さん、笑った顔が好きだっていってたから笑った方がいいのだろうか。悲しいときは泣いた後にその分笑えって言っていた気がする。でもどっちもなんてできない気がする。
「……大丈夫?」
「あ…、大丈夫、です」
お母さんの体調が悪くなってから家に定期的に来てくれていたロックベルさんと言う夫婦のお医者さん。タイミングが良いのか悪いのかお母さんが死んだ次の日にロックベルさん達は家に来た。お母さんとも出会いは治療や診察だったがすごく仲良くなっていたと思う。見ていて楽しそうだったし、なによりお母さんが無理をするのを止めてくれるから、ずっと体調もよかった、なのに急に死んでしまった。
だから大丈夫?と聞いてくれてくれているロックベルさんの目が赤い。お医者さんだから何度もこういう場面に遭遇したことはあるだろうな、なんてぼんやり思う。死んじゃったなんて信じられない私はずっとお母さんの手を握ったままだ。だって、ちょっぴりあったかい。
「お母さんなら、明日になったらいつもみたいに欠伸しながら笑いながらおはようって起きてくる気がして…でも死ん、じゃった……」
自分から初めて口に出した“死“と言う単語に違和感のようなぞわぞわした感覚を覚える。なんだこれ、気持ち悪い。だって、動かないからって死んだことになってしまうんだろうか。もしかしたら笑いかけてくれるかもしれない、明日にはまたご飯を作ってくれるかもしれない。
あれ、でも動かないのならそれはできないよね。だったら、一緒に寝てくれるだけでもいい。お母さんのあっためてくれた布団に私がこっそり後から潜り込んで、まったくもうなんて呆れながらも抱きしめてほしい、いつもみたいに。
あれ、でももうお母さんは冷たいよ。ずっと握っていたせいで私の体温を奪い切った、いつも頭を豪快に撫でてくれるその手はもう誤魔化しきれないほどに冷たかった。誤魔化せないくらいにあったかくなかった。暖かいとおもったのだって、私の温度を奪っただけの事なのだ。
不意に司会が揺らいだ。ぼや、と焦点がずれ繋いだ手と手の境界が曖昧になる。ぱちりと瞬きをすれば転がるように床にまで落ちていったそれを追いかける様に次々とそれは落下していく。なんの前触れもなく流れるそれにどうしたらいいのかわからない。だってどうしたらいいんだろう、もう動かないんだって、お母さん。もう喋らないし、あったかくもないし、ただそこにあるだけのものになってしまったんだって。
初めて自分の口で言葉にした死という単語が、ぐさりとささって現実に引っ張り出してくる。自分で音にしたその言葉が、刃となって心臓を突き刺したかのような痛みをもたらして、息苦しい。
ちょっと前に調子がいいからって作っていたジャム、あれでもうお母さんの料理はなくなってしまう。美味しいから、パクパク食べちゃうから、もうあとちょっとしかない。あれももう、二度と食べられないんだって。
こうやって、分かっていく。普段の、いつもどおりの生活がどんなに奇跡で、大切だったか。もっと、もっと大事に毎日一緒にいればよかった。あのジャムも大事にちょっとずつ食べればよかった、だってあれで最後だ。去年のお母さんの誕生日も、もっとずっといいものをあげればよかった。頑張ってお手伝いもっとすればよかった。どうしよう、やりたいことが沢山あったのに、今気が付いたのにもうなんにもできないんだって。そういえばよくお母さんが言っていた、失くしてから大事と気が付くのでは遅いんだよって。わかったよ、本当だね。あの時はちゃんとわかってなかったんだと思う、だっていますごく苦しい。お母さんは、死んだんだって。
その時フワリと、真綿のような温かさに私は包まれた。抱きしめられたと気が付いたのはぎゅっと力を込められたからで、それまでは茫然とその温かさの正体に気が付けなかった。
「……家に来てくれない?」
「え?」
私を優しく抱きしめてくれているロックベルさんの声が、体温が私の体へ浸透してくる。人ってこんなに、生きているとあったいんだと当たり前のことを考える。
言われている内容は遅れて理解した。家に来てくれない?それはどんな意味をもつの?お母さんの娘でなくなる?ううん。お母さんもう死んじゃってるもの。この家から離れる?お母さんのいない1人の場所を家なんて温かい呼び方でなんて呼べないよ。
私が握ったままのお母さんの手は私の手まで冷たくしてきている。
「私達ね、あなたに家の子になって欲しいの。あなたの一つ年上の娘もいて…きっと妹ができたらすごく喜ぶわ…。」
今の私には本当に痛いほどの優しさだった。でもお母さんを、冷たくなって動かないけれど、置いていってしまっていいのだろうか。私がここからいなくなったらこのお母さんだった冷たい塊は、いったいどうなってしまうんだろう。
「実を言うとね、あなたのお母さんにも頼まれたの。」
その言葉に驚きはしなかった、あぁ、やっぱりと納得すら感じた。だって今お母さんの顔が浮かんだ、笑いなさいって言われた気がした。まだ子どもなんだから人に甘えなさいって、前見て生きなさいよって。
強い子でしょう、って。
「……う、うぅぅ……うわぁああああ!!」
暫くロックベルさんに縋って泣いた。こんなに泣いた事ないって位に、我慢なんてしないで泣いた。これじゃあお母さんが好きだって言ってくれた私の声はガラガラだ。それでもよかった。今だけだから、今だけで、明日からはちゃんといつもみたいにするから。
ねぇお母さん、私は、あなたの思うような娘でいられたのだろうか。これからお母さんが願った道を真っすぐに進むことができるのだろうか。でも思うのです、どうかお母さんのような人になりたいと、どうやったって思って願って焦がれてしまうんです。あぁ、だからお願いです、今だけはどうか、どうか。あと少しすればちゃんと笑うから、今だけは。
気が付いた時にはお母さんの手は私から離れてしまっていた。
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905