酸素に溺れる
頭からシャワーを被って、そして鏡で自分の酷い顔を見てしまって、どうしようもなくあたりちらしたい気持ちになってしまった。情けない顔を見ていたくなくてばしゃりとお湯をかけて目を瞑り、深く息を吸ってみる。湿度の高い空気が喉に触れ、少しだけひりひりとしたどこかを落ち着かせてくれたようなそんな気がしてほう、と息をつく。
昨日のうちに水周りだけでも掃除し終えていて良かったと思いながら鏡を見ない様に顔を反らしながら目を開けた。持ってきていた洗面道具は昨日の時点で既に浴室に並べていたのでシャンプーを手に取り適量を手のひらに乗せる。途端に向こうの家と同じ匂いが浴室に立ち込めて、また一つどこかが潤う。
なんだか、心臓がカサカサにひび割れているような、そんな感覚だ。そこに一滴ずつ落ちてくる水分がなにかも分からないままに吸収していく様のなんと浅ましいことか。飢えた獣のようだと思ったときにずっと手の上に置き去りにされていたシャンプーが手首を伝って来たのに気が付いてハッとする。慌ててそれを逆の手で掬うようにして戻し、流れる水から頭だけを出して頭を洗い始める。昨日の夜にも軽くシャワーは浴びていたのだがやはり朝の掃除で随分と汚れていたのか埃が手に引っ掛かって不快だった。
ひさしぶり、と声をかけられた時私は一瞬怯んでしまった。言葉の通りアルとは随分と久しぶりで、けれども久しぶりだねと笑って返せるほどに私は正常に頭が働いていなかったし、なによりもそう返すことが正解だったのかすら分からない。会えた時に彼らに伝える言葉を、嫌というほど考えてきていたけれどいつも会わせる顔すらないという答えに落ち着いてしまっていたのだ。だってどんな顔をして会えばいいというのだ。何を言えばいいのだ。それらの一つも見つかっていない状況だというのにアルに会ってしまった。彼らにこれ以上甘えたくなどないのに、普段通りに接してくれたアルに私は流されてしまった。これ以上ないほどの甘えだった。その考えに至ってしまってどうしようもなく自分に腹が立って思わず爪を立ててしまう。頭皮に甘く痛みを残しただけの温いそれに、耐えきれないほどに感情が揺さぶられた。
私の痛みなんて、本当にこの程度のものだ。それを、どうしてアルよりも不幸ぶっているのだろうか。どう接していいか分からないなんて、それこそ途轍もない“甘え”じゃないか、その気持ちなら絶対にアルだって抱いている筈だ。なのに、なのに。
「っ、」
つう、と顔に垂れてきた泡が目に入ったのだろう。激痛が唐突に襲って来て声にならないなりそこなった音がシャワーの音と共に床に落ちていった。脳まで走るような痛みに体が強張りしゃがんでしまう。落下してくるシャワーの粒が荒いものに変わり、叩くように背中や頭に降ってくる。慌てて泡を洗い流し、綺麗になった手で何度も目を擦って恐る恐る目を開ける。立ち上がろうと鏡に手をついてその冷たさにぞわりとし、つい鏡に顔を向けてしまった。曇っているが水滴の流れた後のある場所は酷く鮮明で、そこから見えた自分の目が泣いた後の様に真っ赤になっていて、思わず額を鏡にゴンと当ててしまった。
2016.5.8
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905