自己犠牲の快楽

時間の流れが穏やかだ。決して嫌なものではなく、静かなそれは落ち着くとも少し違うけれど慌ただしく焦ることもしなくてもいい時間であることは確かで、ここ最近の過ごし方のせいか随分となだらかに感じた。それでも無駄に思い悩まなくて済んでいるのはきっとそれ以上に「どうしよう」と思ってしまう対象であるシャノンがいるからなんだけれども。
勧めるがままにばっちゃんの持たせてくれた食事も食べ始めたシャノンとの間に会話らしいものはなく、けれどそれを不快にも思わないし不安にも思わない。どうしようかな、くらいに少し思うくらいで別段それ以上に頭が働いていないのかもしれないけれど自分が想像していた以上に穏やかに時間は過ぎていた。食べるのが辛いのか、非常にゆっくりと飲み下していくシャノンを見ているのも結構楽しかったりする。僕が見ていたら食べにくいかなとも思ったけれど、意外にもシャノンはそんな素振りを見せず、不躾に見つめることを許してくれた。シャノンの食事の仕方は変わっていて、というか舌が無いせいなのか顔を傾けて物を噛んだり、飲み込んだりをしているらしい。最初はなんだろうと思ったが思えば舌が無ければ口の中で食べ物の位置を変えられないのかと思い至り、なにか口を出そうになったけれどそれを無視してその行為を眺め続けた。
そういえば、この体になってからこんな風にジッと誰かが何かを食べている光景を見たのは初めてかもしれない、というよりこの体になる前にもなかったかも。兄さんは慌ただしく飲む混むようにしてわたわたと食べてしまうし、そもそも兄さん一人で食事に向かう事だって少なくはない。だからこそ食事風景を見ていることは退屈ではなかった。シャノンが僕を気遣って食事を早々に中断するようなことになれば罪悪感に囚われただろうけれど、シャノンが遠慮しないお陰でかえって気が楽だった。
おいしい?とシャノンに聞いてみたい気もしたけれどそれが残酷だってことは分かる、下が根っこから無くなってしまっているのだ、味なんて勿論感じないだろうと考え付いたのは食べたい物リストを眺めていた夜中の事だったと思う。食べることすら敵わない僕だけれど、この空っぽの体の中に食べ物を放り込む感覚に似ているんだろうかなんて考えてしまって泣きたくなったのを覚えている。

そんなことを考えている間に長い時間をかけたシャノンの食事は終わり、また「どうしよう」と考える。考えるだけでそこまで危機感を感じないのはきっとシャノンが穏やかでいてくれているからだと分かったのは困った様にシャノンに笑みを浮かべられたからだ。紙にすらすらと綴られる文字はとてもきれいで、こんなに自が綺麗だったかな、と思い出せない記憶を思い出そうとした。


『ごめんね、なにもなくて』


「ううん、僕がシャノンに会いたくて来ただけだから」


『ありがとう、私も会いたかった』


「あはは、ここにいる間は片づけとかも手伝うから何でも言ってよ、これでも力持ちなんだから」


『それじゃあお願いしてもいい?帰ってきてるのに本当にいいの?』


「いいの」


そうなるべく明るい声で言えばありがとうと口が象った。メモ帳を常に横に向けて、僕にも見やすいようにしたまま文字を書き、僕が話すときはきちんと僕の目を見てくれるマメなシャノンに感心しつつ、少し思っていたことを頼んでみた。


「ねえ、よかったらそのメモ僕にくれない?」


『これ?』


うん、と頷けば今まで会話していたシャノンの声が書き記されたメモを切り離し、不思議そうに僕にくれる。なんとなくだけれどほしくなったのだ、特に理由も無ければ断られてしまったらそっか、で諦められただろうけれど頼んでみるくらいにはほしかった。手に取ったそれは小さな紙で、まだ余白も余っているそれだったけれどなんだか満足した。

そう言えばと僕が持ってきた荷物を開けて、その中に僕が時間を潰せるようにとウィンリーが本をいくつか混ぜていてくれて、そのうちの一冊が「手話を学ぶ」なんてタイトルだったから偶にパタパタと手を動かしていたシャノンの行動に納得して、シャノンに教えてもらいながらシャノンの家で掃除を手伝いながら過ごした。電話でウィンリーに修理が終わったと連絡を貰い、そのついでにその本はあげると言われてしまったから今度帰ってくる時には完璧にして戻ってくるね、とシャノンと約束をして僕はまた旅に出た。最後には”普段通り”の笑顔で見送ってくれたシャノンに心も軽くなった。
だからこの時のメモ帳を使っての会話は最初で最後のものであったし、僕への言葉をシャノンが紙に書いたのもこの時で最後だ。だからこそ、この時メモをなんとなくでも貰っていて良かったと後の僕は思うのだけれどもずっと先の話になる。


 - return - 

投稿日:2017/0905
  更新日:2017/0905