愛は害した

その姿を見た時、まさかと思った。自室の机に向かって、当時はあまり触る機会のなかった錬金術に関する分厚い本を開いて何かをしている後姿。家を出ていくときも此方を振り返りはしたものの、高い位置にあるその顔を正面から見ることも無くすぐに背を向けて遠ざかっていく姿。
母さんの墓の前に佇んでいるそれも、やっぱり後姿だった。皮肉な事にあまり母さんに似なかった俺は髪だけではなく顔もそいつ譲りだとよく言われた。高い位置で一本に括った髪は確かに、俺とアルのそれに似ているのかもしれないムカつくことに全く同じ髪形をしているのが無性に悔しかった。それでも、まさかと思った。もう何年、いや十年以上も前に出ていったっきり帰ってくることはなかったのだ。どうして家を出ていったのかも、母さんや俺たちを置いて行ったのかも分からない。そんな名前だけの父親が、まさか今更帰ってきているだなんて思う訳がないだろう。


「ホーエンハイム…!」


記憶にあるそいつはいつも後姿だったけれど、そいつは振り返った。なんだが初めてこいつをこうやって前から見た気がする。それくらいには疎遠で、記憶にも薄い奴だった。なんの感情も読み取れない顔で俺を見下ろしてくる。まるで物でもみているようなそんな目だった。それを真正面から受けて、少し尻込みしてしまう。


「エドワードか…大きくなったな」


それなのにそんな呑気な事をボンヤリしたような声で言うのだ。お陰で苛立ちがカッと立ち上る。腹の底から煮だって湧き上がり、一気に頭にまで上がったその感情のままに、目付き鋭く睨みつける。なにが、大きくなっただ、十年以上も前に会ったっきりだった癖になにを言いだすんだ。余りに感情が高ぶり言葉にならず、舌打ちだけをして顔を反らす。そんな俺などお構いなしに勝手に話始めるホーエンハイムの声は、平坦で耳には馴染のないものだった。


「ピナコに聞いたぞ、人体錬成したって」


息が詰まったような感覚を覚えた。こいつは、もうすでに俺たちが犯した過ちに関して全て知っているのだ。母さんを作ろうとしたことも、俺たちの体の事もきっと。こいつがいたら俺たちになにを言うかを考えなかった訳ではない。でも余りにも希薄な父親と言う存在がなにを思ってどんな顔で、俺たちにどんなことを言うかなんて想像することすら難しく分からなかった。そんなボンヤリとしていた像が、急激に目の前で形を作って現れた。それを見ていられなくて目をそらし、ひりついてしまったかのような喉を無理やり潤し、口を開く。


「い、まさら、なにしに戻ってきた!もうてめぇの居場所はねぇんだよ!」


言ってから、怒鳴るだろうと心のどこかで予想していた。こいつの事を待っていたのは母さんだけでその母さんがいなくなってしまったこの町にこいつの居場所なんてなかった。もし俺たちが待っていたとでも勘違いをしていたら、そんなものはお前の幻想だと叩き壊してやりたかった。けれど、そんな俺の態度でも平坦な声は相変わらずで、思わず見上げてしまった顔も歪んでなどおらず、無表情を貫いていた。


「そうだ、俺の家なんで焼いてしまったんだ」


こいつが分からないと、改めて思った。今までは分かるも何も情報が人から聞いたものしかなかったのだが今こうして対峙しても、全く持って感情もつかめず何を考えているのかも分からない。


「…もう後戻りはしないって決めたんだ…俺たちの覚悟を示すために」


「違うな」


明確な否定だった。言葉を遮り、バッサリと切り捨ててきたくせに相変わらずなんの感情も読み取らせない声と顔で、あいつは家のあった場所を眺めている。ここからでもよく見えるそこは、今では一本の木だけが目印になって空を背景に立っている。その木も焼けて死んでしまっているのだけれどここからでは葉が付いていないことしかわからない。それがなんとなく責められているような気になって目を反らす。


「“見たくなかった”」


まるで心を読まれたかのような心地だった。それこそ何かを読み上げたかのようにさらりと感情のない声でそう言ったホーエンハイムは家から俺に顔を向け、一本、一歩と近づいてくる。日は奴の背にあり、その顔に影を作って余計に気味が悪かった。


「嫌な思い出から逃れたかった、仕出かしたことの痕跡を隠したかった」


「違う!」


目の前に立ちふさがるようにして止まったホーエンハイムの影が、俺を覆う。一つ、一つと抉るように、はたまた剥ぎ取るように言葉を容赦なく続けるせいで一瞬息を忘れた。そんなつもりなんてなかった。けれどそうして指摘されればなぜだか痛む場所があったのも確かでそれが図星をつかれたからなのかまで判断が出来ない。ちがう、そんな訳がない。俺たちだってできるならあんな事したくなかった。けれどそうでもしないとこの町の温かさや穏やかな日常に甘えて、浸かってしまいそうだった。だから、逃げないために燃やしたのだ。


「寝小便した子供がシーツを隠すのと一緒だ」


残酷な言い方だった、まるで俺がそんな餓鬼のままで言い訳をごねているかのような錯覚さえ感じた。俺にとってそんな事実は絶対になかったはずなのに、こいつから見ればそうにしか見えず、それが事実の様に語る。はく、と言葉になりそこなったなにかが空気となって抜けていく。罵声だったのか否定の言葉だったのか、吐き出した俺にも分からなかった。


「逃げたなエドワード」


逃げたな、そんな訳ない。逃げたつもりなど一度もない。向き合って背負って歩き続けてきた。それが償いにもなると思っていた。逃げてなど、いない。


「お前になにが…!」


喘ぐ様にして言葉を吐き捨てようとして、その言葉が途中で閊えてしまった。喉の半ばで急に腹に戻っていった言葉が、胃液にぽちゃんと浸って一瞬で溶ける。何を吐き出そうとしていたのか、溶けてしまってはもう分からずただただ目を見開いた。
小さく体を丸める様にして座っていたその姿が、やっと目に入ったのだ。小さくて頼りなくて、記憶にあるよりも白くて細い。それでも変わらずに瞳の色が強烈なほどにこの場所では輝いている様に見えて、思考が一瞬にして飛んでしまった。シャノンだった、驚きと悲痛を混ぜてそれを押し込んだような顔をして必死に存在を小さくしていたシャノンと、目が合った。それだけで逃げたと言われたことや、見たくなかったと刺された言葉が途端に現実味を帯びた。
家を焼いたのはもともとそうするつもりではあったし確かに覚悟としてという理由がそうなのだが、最終的にきっかけはシャノンに押し付けた形になったのには随分と前に気が付いていた。そんなつもりもなかったし、誰もそう感じていないかもしれないけれど、何度かここに帰ってきてその度にあの家にも何度も足を運んで、すっかりと冷えた頭で考えた時に結果としてそうなってしまったのではないかと気が付いてしまった。シャノンがあの家の俺達の残してしまった研究書を見てしまった、それであんなことになった。こんなことならもっと早く焼くべきだったと今まで渋っていたそれをすぐに決行に移した。戻ってくると必ず家にいないシャノン、いないと分かると酷いことにホッとしている自分もいたのだ。そしてそれを嫌悪して、じっくりと考えさせられる。けれど途中でそれも放棄してそれよりもまずはアルの体をと思考を塗り替える。勿論、こいつの喉もなんとかしなければと思っているがそれはまさしく、逃げと呼ばれるに相応しい行為ではないのだろうか。
逃げていない、そう言い聞かせながら背を向けることしかできず、正しく逃げているような行為に顔を顰めることしかできなかった。




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投稿日:2017/0905
  更新日:2017/0905