揶揄せよ曇天
「どういうことだい!」ここ最近、滅多に声を荒げなかったばっちゃんが電話口で突然声をあげた。驚いてしまって手に持っていた患者のカルテを危うく床にばら撒いてしまうところだったが寸での所で耐え、ほうっと息をつく。足元でデンが不安そうにすり寄ってきたのでカルテを一度机に置き、しゃがみ込んで頭を撫でる。しゃがみ込めば目線が同じ位置になり、頬に顔を寄せてきたので抱き寄せる様に右頬をくっつけてみた。未だに怒鳴るように声を出しているばっちゃんに私もなんだか不安に駆られ、デンに顔を押し付けて今度こそしっかりと抱きしめた。温かい温度とデンの私とは違う呼吸のリズムを感じられるほどの距離は心地よく、嫌がらないことをいいことにぐりぐりと頭を押し付ける。むしろ尻尾を振っているのを見つけて、やっと心が落ち着き小さく笑ってデンを解放した。ゆっくりと立ち上がるが当たり前の様に立ち眩みで目の前が霞むのを感じ、大きく息を吸う。点滅する視界の中無理に動かず、ジッと視界が安定するのをまち足を進めた。横にぴったりとついてくるデンに笑いかけながらそっと部屋から廊下へ顔を出す。小さいばっちゃんの背中がぽつんと立っているのを見て、ああこの人はこんなに小さい背中をしているんだと、最近になって思うようになったことを改めて実感する。こうして離れてみるとその背中がとても小さく、力の弱いものだと分かる。そんなばっちゃんに頼り切っている自分の不甲斐なさと、それでもしゃんと真っすぐに立っているばっちゃんへの誇らしさが綯交ぜになって妙な気分になる。もう先ほどまでの様に声を荒げこそしていなかったが随分を沈んだ声をだすばっちゃんに嫌な知らせだったのだろうことを悟る。丁度電話も済んだのか受話器を置いてため息を吐くばっちゃんに近寄って隣に立てば眉を下げて困ったような顔でこちらを見上げられ、その知らせが私にとってもあまりいいものではなかったのだと知る。
「…落ち着いて聞きなシャノン、ウィンリィと馬鹿兄弟が、行方不明になったらしい」
その言葉の意味を理解するまでに大分時間を要した。間抜けにも、え、の形で開いた口はそのまま呼吸を一旦停止し、苦しいと感じてハッとして深く息を意識して吸った。行方、不明。エドとアルが旅を初めてこの方、軍からそんな連絡がきたことは初めてだ。今までもどこにいるのか私たちが把握できていないだけでこんな風にばっちゃんに連絡が来るだなんて、それほどに状況が悪いのだと雄弁に教えてくれる。
姉はこの前一度ここに帰ってきて、そのあと北に行くと慌ただしく電話をくれたきりだったがそれがどうして行方不明なんてことになるのか分からず足元から何かが抜けていくような感覚を感じる。今思えば少し様子が可笑しかったかもしれない、そんなに長らく会っていなかった訳でも無いのに感極まった様に薄らと目元に涙まで浮かべて抱き付いてきた姉を思い出して、そしてぞわりと背中に嫌な汗が流れた。あれは、姉なりの精一杯の虚勢だったのかもしれない。前後不覚になり、未知の領域に放り出されたそうなそれはまさしく恐怖でしかなかったが、それを押し込めて「大丈夫かい?」と此方をうかがうばっちゃんに首を縦に振った。だいじょうぶ、大丈夫。そう言い聞かせる様になんども首を縦に振って自身に言い聞かせるようにして繰り返した。
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905