闊歩する時
もうすぐ暦上では春になる、春にはリゼンブールで羊祭りが行われるのは恒例の事で、それの手伝いに駆り出されるのも同じく毎年の事だった。だからこそ忙しくなるその前に一度実家の家を掃除しておこうと東部とはいえ心なしかヒンヤリとした空気で満ちた家で過ごしていた。未だ、姉に関してもエドとアルに関してもなにも分かっていなままだ。便りがないことが何よりの息災の証だなんて嘘っぱちだな、なんて薄らと思いながら億劫な気持ちを押し殺す。大丈夫、大丈夫だと言い聞かせるのもついに慣れてきてしまっていて不安と言う感覚が麻痺しつつあった。あの知らせが来てからもう既に数か月の時が過ぎている。なんどもこちらに帰ってきていないかと言う軍からの連絡はあったものの、即ち軍もまだ足取りを掴めていないということだ。ばっちゃんが不在の時にもロックベルの家の電話が鳴ることが多くなり、出られないそれの目の前で軍からなのか、お客からなのか、それとも行方知れずの誰かからなのか思案しながら立ち尽くす。コール音が鳴りやむまでずっと、デンと二人でその前でつっ立ったままそんなことを考えるのが当たり前になってしまった。姉からの電話だって、よく来ていたのだからもしかしたらそうやって出られなかった中にあったのかもしれない。それを確かめる術はないくせにそうやって想像しては胸がつかえるような感覚を覚えるのだから傍から見れば馬鹿な行為をしている様にしか見えないだろう。
軍、二人を連れていってしまった軍。いつかロックベルの家に来たリザさん、あの人も同じ軍の人。今はエドも、軍の配属にいる。空の青よりももっと濃いあの軍服が嫌いだと、姉は囁くように零していた。私も、軍のあの色よりも姉の瞳のようなそれこそ空の色を溶かしたような色の方が好きだった。
生憎の雨の天候であったが空気が澄んでいるのが感じられるそんな真昼。そんな天気の日だったからこそ干からびたようなベルの音が鳴ったことに疑問と、随分と久しぶりにこの音を聞いたなという二つの考えが頭を過った。心の中ではーい、と返事をし、態と足音を立てる様にスリッパをパタパタと鳴らせて玄関へと向かう。
「…おや?」
扉を開けた先にいたのはフードを眼深に被った女性と、その後ろに随分と大柄な男性が女性と自分を傘に入れながら立っていた。女性の声は聞いたことのないものだし後ろにいる男性は間違いなく見たことのない顔だ。しかし、ぱちくりと瞬きをしている私にばさりとフードを脱ぎ捨てる様に外した女性に、あれ、と記憶がぶれるような感覚を覚えた。どうしていま、母の影が一瞬よぎったのだろうか。
「えーっと……お嬢ちゃん、ここ、ハーネットって女が住んでなかったかい?」
ハーネット、耳に馴染のない音ではあったけれど聞き覚えはしっかりとあるその名前は母の旧姓だった。
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905