対価の訓戒
「シャノン…今軍人さんが…」家が見えてきた時に、その違いに気が付いた。車だ、さっきの車が家の前に止まっている。あの車はうちのお客さんだったのだろうか、でも今日は記憶違いでなければ店は閉じているはずだ。
ばっちゃんが、エドがあんな様子なのを心配してるの、と姉が言っていたのを覚えているのでやっと容体が落ち着いたからといってこんなに急にお客さんを取るとも思えなかった。しかしまさか軍人だとは、だれも思う訳がない。小声で、不安そうな声でそう教えてくれた姉が何を考えているかくらいは想像が付いた。
というよりも、私自身もそれを思い出していたのだ。あの日、両親を連れていった鮮やかな青は色褪せずに記憶に残ったままなのだから、こうやって目の前に同じ色を突きつけられてしまえば、簡単に頭の中はあの日のことでいっぱいになってしまう。行ってくるねと笑顔でいってしまった二人の奥に、あの色は佇んでいた。
「あら……こんにちは」
2人を、連れていったあの青。無意識に体が強張るのを感じた、神経を支配されたようなそんな感覚だった。ちらちらとあの日の光景と目の前の光景が混ざったような交差するようなそんな妙な視界にくらくらする。
しかし、それでもその人からかけられた声は柔らかく、優しい。あの日の軍人の顔は覚えてはいないが、こんなに優しげではなかった。そこまで考えてやっと視界は今だけにとどまった様に、今更目の前の人を認識できた。姉に似たレモンイエローのような髪色は短く綺麗に切り揃えられていて、姉のそれよりも濃くクチナシ色にも見えた。瞳の澄んだ琥珀色はどこか困った様に細められていて、私たちの反応がそうさせてしまったのだと遅れて理解する。綺麗な人だと素直に思った、優しそうで綺麗な、軍人には見えない人だった。
「紅茶です、どうぞ」
「ありがとう」
部屋に鞄を置いて一階に戻ると、そんな会話が聞こえた。
待合室に入れば姉がこちらに気が付いて膝に乗せていたお盆を軽く持ち上げて、こちらに来るように促してくる。それに従って駆けよれば、姉の体が震えているのに気が付いた。盆に乗っているカップの水面が小刻みに揺れていたからだ。それに気が付かないふりをしてカップを手に取り、姉の隣に腰を下ろせば溜息のようなホッとした息が隣から聞こえて私自身も体から力が抜けるようだった。
手のひらから伝わる紅茶の温度が堪らなく暖かく感じられて、鼻を擽るアールグレイの匂いが緊張をほぐすのを感じた。
「軍人さんは、きらい」
ひとつ、呼吸を置いて決意した様に口を開いた姉の言葉を黙って聞く。
きらい。姉の口からそんな言葉を聞いたのは初めてだったような気がする。こんな風にハッキリと負の感情を見せたがらないのを知っていたし、なにより嫌いだとかそんな感情よりも先に悲しさが勝ってしまっているようなそんな姉だったから、軍人に向かってこうやって正面から言葉をぶつけたことに少し衝撃を覚えた。でも、それくらいには“きらい”なんだろう。
両親を連れていって、無情なほどの死の通知を持ってきた彼らを好きになんてなれない。その証拠にさっきだってあの青に思考を飲み込まれるようなそんな感覚さえ覚えたのだから、私も姉のことは言えない。今どうしてまたここに軍人が来ているのか、その理由もわかっていない私だがそれでもこんなに体が強張って姉の傍から離れたくないと感じるくらいには“きらい”なのだ。
「正直、私も軍人は好きじゃないわね」
微笑みさえ浮かべてそう言い切った“軍人”に驚いてしまう。その言葉にだってもちろんだが、それ以上に本当に、こんな優しい顔をしている人が軍人なのだろうかという考えが頭を占める。
軍人を好きではないと言う軍人、そんな人もいるのかと紅茶の湯気を眺めながら思う。軍人とは、国を守る自分たちを誇りに思っているんだと、どこかで思っていたのかもしれない。
「場合によっては、人の命を奪わなければならないもの」
命を奪う。
カップから顔を上げれば今度は軍人さんがカップを覗き込んでいた。さっき道で潰れてしまっていたバッタを思い出す。あんな簡単なことではないのだろうけど、きっと軍人というのはあんな風に人を殺してしまうのだろう。
人も虫も花も草も、同じく命を持っている。しかしその尊さは、それぞれによって感じ方が違うように違うのだと母が言っていた。未だにその言葉を理解はできていなかったが、人が人の命の価値を決めてはいけないのだと、そんなことも言っていたのを思い出してしまう。その意味だって、まだ分からないままだ。大人になれば分かるのだろうか、もうこの軍人さんはその答えを持っているのだろうか。
「じゃあどうして軍にいるの」
純粋な疑問の声だったがそれに少しだけ、本当に少しだけ泣きそうになっている時の姉の声の震えを感じて、不安になる。真っすぐに軍人を見つめているのでそのスカイブルーの瞳は見えなかったが、今どんな表情をしているのだろう。上品に紅茶を一口喉に流し込んだ軍人は一呼吸おいて、静か声で、でもどこか力強い声でハッキリといった。
「守るべき人がいるから」
鋭いと思えるくらいに、真っすぐな目だった。
琥珀の澄んだ色がそれを助長させるように強く光り、どこかに突き刺さるんじゃないかとそんな馬鹿なことさえ考えてしまうようなものだった。琥珀色の眼をこんなにも綺麗だと思ったのは初めてで、思わず呼吸が止まった感覚がした。声には力強い意志が灯っていて、凛とした声に背筋が伸びる。これが、決意した人の目なんだと知る、思い知る。
「でもそれは誰に強制された訳でもない、私が決めたこと」
同時に、本当にこの人は軍人なんだとその意志の大きさを見せつけられる。
相変わらず綺麗な眼差しは、その決意が揺るがない象徴にも思えて余計に輝いて見えてしまう。そしていかに私の決意が小さく軟弱だったのかと気が付く。
こんな、こんな目はきっとまだ私にはできていなかった。できるかな、だとか少しでも不安を持っていてはダメなのだ。
「私は、私の意志で引き金を引くの」
片手に持ったカップをまるで、それこそ引き金を持つような指先に見えた。
綺麗な細い、女の人の指先。緩やかにカップを持つその指先で銃を撃つ。ゴクリと、思わず喉がなった。軍に入ってでも、人を殺してでも揺るがない覚悟。強すぎるそれに圧倒される、かっこいいと、そう思う。きっと簡単ではないはずだ、それでも私だって決めたのだ。だったら私だって、こんな風になりたい、なれるはずだ。いつかじゃだめだ、遅いのだ。
私も決意ではない“覚悟”をもちたい。そう強く思った。
投稿日:2017/0905
更新日:2017/0905