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 思っていた反応と違った、そんなことを去っていく二人の背を見ながら思った。いや、平和島静雄と幼馴染みであるなまえちゃんが怒るという可能性を考えなかったわけではないしビンタを喰らう可能性だってゼロではなかった。でもそれよりも前にシズちゃんが暴れ狂うと思ったし、彼女は焦るか照れるだろうという予想の方が大きかったのだ。それがなんだあの反応は、嫌悪を丸出しにしもう少しすれば唾でも吐き出しそうな雰囲気すら醸し出していた。顔を赤らめることも焦ることもなく、俺の下唇に噛みついて頬に張り手をして汚いものを拭うように口を拭いて。
 これでも顔は整っていると自分で知っていたし、なにより女の子にキスをしてこんな反応をされたことがなかった俺は完全に思考が停止してしまっていた。目的であったシズちゃんの間抜けな顔も様子も目に入れることも忘れてしまうくらいには意外だったのだ。なまえちゃんの反応が予想はしていても意外に思えてしまった。これでは間抜けだったのは俺の方だ。ジンジンと痛む頬も痛みと共にわずかなぬめりを感じる唇も俺の思考をまとめてくれるには痛みが鈍い。そっと触れればチリと痛みが走った唇に指先を確認すればやはり血が付いていて顔が歪んだのがわかった。
 ついでにいうとシズちゃんがファーストキスの相手だなんて知らなかったんだけど。別に彼女が好きだからキスしたわけではない、ただたんに幼馴染みだからというそんな理由だけであんな化け物と長く付き合ってきたあの女を目の前でどうにかしてやったらどんな反応が見られるのかが気になっただけだ。あのシズちゃんが好きな女の子なんて、手を出さない方がおかしいだろう。
 今までも色々とちょっかいをかけてきてはいたのだが俺はなまえちゃんにそこまで毛嫌いはされていなかった。都合のいいことだと思って懐柔してやって、できればこの女の口から俺が好きだとでもシズちゃんに言ってくれれば随分愉快だと思ったのだが、なかなか時間がかかるようだったので俺のほうが先に焦れて今回のことに至ったわけだがどうしてこんなことになったのだろう。
 大した怪我ではないのにも関わらず新羅の家へ押しかけるという愚行をし、俺がわざわざここに来るまでの間に作った仕事で運び屋まで追い出す徹底ぶりをし、この出来事をべらべらと新羅に八つ当たりのようにぶつけてやれば、申し訳程度に頬に張られた匂いのしない湿布を撫でる俺を見ながら思いきるため息をつかれた。それも呆れたとばかりの意味が込められているのが察せられて睨みつけてやった。この珍しい赤い目で睨んでやればなかなか迫力があるのはよく言われるから知ってはいるがこいつは微塵もそれを感じさせない、中学からの付き合いのせいで慣れたのかもしれないが気に入らないことには変わりなかった。
「臨也はさ、どうしてなまえちゃんにそこまで構うんだい?」
 そういえば新羅も彼らと同じ小学校だったとそんな情報を思い出しながらもその質問の意図がつかめなくて顔を顰める。ついでに頬に痛みが走って最悪な気分だった。
 なぜ構うのか、そんなの聞くのも答えるのもナンセンスだ。だって分かり切っているではないか。あの憎くて大嫌いな平和島静雄をからかうために貶めるためには彼女ほどの適役はいないのだから。ある意味ではジョーカーのようなそんな存在、勿論俺にとっての切り札という意味での。いつでもぽいと捨てて相手を殺せる、殺すジョーカー。
一番初めに彼女の存在を知ったのは平和島静雄の過去を調べていた時だった。幼馴染みで実家は隣同士、高校は寮に入っていてその理由は家出にも似たものだった。ネグレクト。言ってしまえば彼女は平和島静雄と似て愛を知らない生き物だった。親からの愛を知らない生き物。
 彼女を身ごもったことが原因となって彼女の両親は離婚。母親はひとまず彼女を産んだ。しかしまだ若かった母親は簡単にまた違う相手を見つけて再婚。しかし再婚後も彼女の母親はすぐに他所で別の男を作って挙句に蒸発。血のつながらない父親と残されたなまえちゃんが一歳になる前までに起こった出来事だった。そしてその父親までも再婚して、そしてその再婚相手と子供を作った。こうなるとその家庭のなかで彼女は完全に異質で異物になってしまった。それでも義務教育を受けさせ、家にいることを存在を無視するという形ではあったといえ容認されていた彼女はここまで生きてきた。
 彼女にとって幸福か不幸か、その家の隣には自分とはまた別の理由で他人から愛されるはずのない化け物が住んでいた。ここまでお膳立てされてここまで都合よく出会ってしまった二人が気持ちが悪いと思った。幼いころからそうやってお互いで傷の舐めあいなんかしてお互いを憐れんで。滑稽で憎たらしかった、あの化け物の傍にこんな丁度良く可哀想な子がいることが許されないと思った。同情でも同族として近くにいるのだとしても気に食わなかった。
 だから引き離してやろうと、初めに彼女に思い知らせてやろうと思ったのだ。いかに彼女が平和島静雄という化け物の存在を馬鹿にしてその存在へ愛を向けてやれば当然自分も愛を貰えるのだという打算的な思いで傍にいるのだろうと。しかし、その時の彼女は怒るでもなく泣くのでもなく、なんと開き直ったのだ。
『あー、そうかもね』
『認めるんだ、酷い人だ』
『静雄が優しいから悪い、だから私がつけこんでるの、それでいいんでしょ』
 開き直ったというよりは、お前なんかに何を言われたって構わない、そんな言い捨て方だった。高校に入って少し疎遠になっていたのにも関わらず二人の関係を見せつけられるという結果になったことが腹立たしくて、あの化け物を優しいなんて口にするのが気に食わなくて酷く腹が立った。シズちゃん以外の人間は好きだ、勿論彼女も。だからこそ平和島静雄にこんな風に簡単に愛を明け渡すこの女の存在が邪魔だった。
 彼女と同じような人間を用意してみたりした。同じように過程でネグレクトを受けている、それこそ彼女よりも環境が酷いような子が目の前で自殺を図っているような場面に出くわすようにしてやったのだ。しかしその時も彼女はなんとも冷静で、ここまでやってやっと俺は彼女が自分を「可哀想な人間」だと思っている人種ではなかったのだと気が付いた。飛び降りようとしている少年に向かって「あなたの今の環境よりも思考回路の方が可哀想だ」と言い切って、他人と不幸を比べるくだらなさを説いていた。なんともその言葉の羅列は正論で、同時にこの女は平和島静雄に対しても本当にただの幼馴染みとして接しているだけなのだと気が付いてしまった。いかに、彼女が普通の人間と同じ感性を持っていて且つ、どうしようもなく異常なのだと思い知ったのだ。
『死にたいのなら勝手に死ねばいい、誰も悲しんでなんかくれないよ。そりゃ驚かれはすると思うよ、けれどそれは初めの一年だけで二年経てばそんな奴もいたな、三年経てば存在すら忘れ去られる。そのことが悔しいと思わないのなら勝手に死ねばいい、その程度の存在で折角の人生を終わらせたいなら勝手に逃げればいい』
 自殺することを逃げだといってはいたものの、彼女は決して飛び降りようとする少年を引き留めようとはしなかった。お前の苦しさも悲しさも私にはわからないと、ハッキリと切り捨てて見せた。私には私の思いがある様にお前にもお前の思いがあるだろう、それを分かり合えることなど一生ない、例え似ている境遇に生きてきたのだとしても私たちは違う人間だ。好きな人に振られただけで自殺を決意する人の決心をたったそれ「だけ」のことと思うのと同じように、お前が死を選ぶ理由は本当にお前にとって苦しいものなのかと。もしもそうなのなら誰もお前を止められない、さぁ死ね。そんなことを言っていた。
 恐ろしい程に正論で、ゾクリと肌が泡立ったほどだった。確かにその少年は俺がいかに他人と比べて君は可哀想で愛されていない人間なのだという思いを助長させたところがあった。もちろんそれも彼の本心だったのは確かで明らかだったが他人から言われた言葉でそんな思いを煽られたと言っても過言ではなかった。そんな彼の本心にきっと彼女の言葉達は深く突き刺さったのだ、俺の言葉よりも深く鋭く。
 彼女は知っていたのだ、自分が可哀想だと悲観することによって世界を狭めてしまうことを、他人と不幸を比べたことで意味などまったくないのだということを。自分たちのおかれている環境がどこか知らない誰かにとっては「たったそれだけのこと」なのかもしれないことを。
 見かけによらず冷たい人間だったのだと初めの一言だけを聞いた時は思ったのだがそんなことはない、諦めでもなく開き直りでもなく、受け入れてしまった彼女はしょうがいない、それだけのことだとそれだけでこの問題を済ましてしまっていたのだ。
 結局その少年は、ぼろぼろと泣き崩れながらも生きていくことを誓った。


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投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926