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 幼馴染みであるなまえは泣くことをしない。初めてそれを見たのは、なんと本当に最近になってからなのだから本当に泣かない。それくらいに泣かない。しかしそれが、泣いた。俺が見た初めての彼女の涙だった。その理由が俺にとってはかなり衝撃的だったのだが、上手く説明できるかどうかはわからない。
 なまえという女は、自分のあんな家庭事情すらもそんなことと流してしまうような人間ではあるがだからと言って別になんでもかんでも許容して許すというわけでもない。怒る時は怒るし、不安だと思うときだってあるし人を嫌いになることだってある。そんななまえだがそれでも泣くことは見たことがなかったのだ。
 それは、罪歌という切り裂き魔の事件の時折だった。なまえ自身はきっとあの件の詳しい内訳をしらないだろうし巻き込まれてもいなかった、けれどあいつは、俺の言葉を聞いてしまったのだ。この俺の化け物じみた力に対して吹っ切れたことを、こんな自分でもやっと好きになれると言ってしまった俺の言葉を。あいつに聞かれてしまったのだ。
『やっと?』
『なまえ、おい』
『やっとって、どうして』
『なぁ、頼むから泣かないでくれ』
『静雄は、今まで自分が嫌いだったの?』
『お願いだ、お前が泣くなんて、なぁ』
『そんなこというしずおなんてきらいだ』
 初めて彼女から嫌いだなんて言われて、彼女が泣いていて、頭が真っ白になってしまった。泣かせたのが俺だという事実も、受け入れるのに時間がかかった。なんとか必死になって彼女を宥めてパニックになりながらもセルティを呼び出してみたはいいが、考えてみれば一番長くこいつといる俺ですら対処できないのにセルティにこの状況をどうにかしてくれと助けを求めるのもおかしかったのだ。外だというのにヘルメットが外れてしまうほどに取り乱してしまった。逆にその慌てようを見て落ちつくことができたから結果的にはよかったのだが。
 泣き止んだなまえに話をきちんと聞くことができたのでその後簡単にその理由はわかった。その理由を聞いてセルティは顔が無いから泣けるはずもないのに体を震わせて涙している様にも見えた。後から聞けばどうやら感動したようだ。俺も同じ気持ちだったからその時は話が異様に弾んだ。なまえを泣かせておいて、嫌いとまで言わせてしまったのにだ。それほどまでにその言葉は俺の中に沁みこんで浸透して心を震わせたのだ。
『だってそれって私が静雄のこと好きなことも、信じてくれてなかったんでしょ…私は静雄のこと好きなのに、静雄は自分のこと嫌いだったんでしょ』
 そうやって言われてやっと俺は気が付いた。あぁ、俺はこいつの事が好きだったのだと、人として、友人として、幼馴染みとして、そして女として。なまえの言葉はまるで告白のようだったがこいつにそんな気がないことは俺が一番よく分かっている。それでも、こいつを泣かしてしまってこんな言葉を貰って初めてやっと俺は自分の気持ちに気が付いたのだ。思えばずっとそうだったのだと思う、幼い頃から。
 それに気が付かないふりをしていただけで、きっとずっと。吹っ切れて色々な事に向き合う余裕が出来た俺はそのことにやっと気が付いてしまった、けれどもだからと言ってそれを口に出来るかどうかは別なのだ。

 苛立つことの沸点が過ぎれば俺の怒りはこうなるのだと初めて知った。
 それともこの怒りはもしかしたら吹っ切れたことが要因になるのだろうか、俺が成長したことが起因するのだろうか。突然やってきたノミ蟲はこれまた突然、そんな俺の幼馴染みに近寄ってきて、そして抱き寄せたと思ったら…口にすることすら嫌で嫌で堪らない。忌々しい、殺す。
 前々からあいつはなまえにちょっかいをかけては困らせていることは知っていたしなにより俺がそれに苛立っていた。おおかたそれが目的なのが更に腸が煮えくり返るほど殺意を覚える。なまえはそこまで気にはしていないようだったが俺を怒らせるあいつに対しては腹が立ってはいるらしい。けれどもなまえはあの折原臨也すらも受け入れてしまおうとしてしまっているのだと思う。それを感じたのは、こいつがあいつのことをそこまで邪険にしないからだ。それに思うところが無い訳ではなかったがなまえの思いを捻じ曲げる力も、あいつを嫌えと言えるほど俺は勝手になれなかった。
 いやでも今回の事は相当、彼女にとっても嫌な出来事ではあったようだからどうなるかは分からないが。今だってイライラしたままなのか偶に思い出したかのように道に唾を吐き出している、なまえのこんな荒れている様は初めて見た。周りの奴がびびってるからそろそろやめろ。あ、でもうがいはさせたい、一刻も早く。新羅のところにいって消毒液もらってくるのもいいかもしれないが嫌な予感がするからその案はすぐに自分のなかで却下が下された。
「静雄ったら」
 くん、と弱い力で服を引っ張られて目の前の信号が赤だったことに気が付く。随分ボンヤリとしてしまっていたらしく呆れたようになまえに大丈夫?と声をかけられた。俺の背が伸びたから当たり前なのだが、高校を卒業して戻ってきたこいつは俺よりも低い位置に目線があって、体も女らしくなっていた。その時は変わったな、くらいにしか思わなかったのだが好きだと実感してしまってからはどうにも可愛く映ってしまう、だめだこいつ可愛い。
 悪い、と一言謝って改めてこんなにも身長差があることを知って簡単に見える旋毛すらも可愛い。首を傾げて俺を見上げるなまえは静かな俺が不思議なのか、目線を反らしても少しこちらを気にしているようだった、だめだこいつ可愛い。
 そしてふとその横顔の唇に目をやってしまう。あのノミ蟲の顔をつぶせばもう二度とこんなことにならないだろうか、よしそうしよう。それともあいつの口を引っこ抜けばいいだろうか、よしだったら先に引っこ抜いてから顔をつぶそうそうしよう。
 あの時、なまえは俺とファーストキスをした、と言っていた。正直記憶になかったが幽もそんなことを言っていたから本当なのだと思う。そしてなまえのあの言い方では、俺ともうすでにキスを済ましていたからあんなノミ蟲とのことは気にしないと、そんな風に言ってくれたように思えたのだが実際はどうなのだろうか、これは俺の都合のいい思い込みなのだろうか。それでもあの言葉に浮かれない訳がなかった、だってなんだあれ。どういうことだよと小一時間問いただしたいくらいだ。そんな風に俺を浮かれさせて喜ばせてこいつは俺をどうしたいのだろうか、俺はこいつをどうしてやればいいんだろうか。
 普段あまり考えることをしてこなかった俺の頭は、ここ最近は本当になまえのせいで稼働しっぱなしだった。よく安っぽいラブストーリーのドラマで吐かれるちんけなセリフが、今は酷く共感できる。「君のことで頭がいっぱいだ」、「お前のことしか考えられない」。恐ろしいほどに俺はそれを体感していた。今だってノミ蟲への怒りが簡単に押しやられてしまうくらいになまえの事で頭が支配されている。それが不快でもないし、嫌でもない。俺の頭を支配する感情はいつだって怒りの一色だったのに、いまではその怒りすら霞んでしまうのだから俺は単純なのだと思う。そしてどうしようもなく不器用だ、その一つの事しか頭で考えられないのだから。
 くぁ、と小さく欠伸をしたなまえが欠伸を零したあとに申し訳程度に手を口元に持っていっておせぇよと思ったが、そんな些細な仕草すら心臓に来るのだから俺はそろそろこいつに殺されるのだと思う。だめだこいつ本当に可愛い。
「青だよ静雄、どうしたのさっきから」
「あぁ、お前本当に可愛くなったよな」
 ポロリとそんな言葉を吐いてしまったのに気が付いたのはなまえが驚いた顔をしたからだ。なんて会話の噛み合ってないことを言ってしまったのか、どうしてこのタイミングで言ってしまったのか。あ、と気が付いて焦って弁解しようとするもとんでもないことを口にしてしまっていたせいで混乱してしまって意味もなくサングラスを外してまたつけて意味のない羅列を口から零した。驚きから帰ってきたなまえはその言葉の意味をやっと理解したのか、なんと少しだけ頬を赤らめてやめてよ、と小さな声で囁いた、死にそうだだめだこいつ心臓に悪すぎるだめだ可愛い。
「そういう静雄はかっこいいよね、今も昔も」
「やめてくれ」
 死ぬ。あとお前も昔から可愛い。タイミング悪く外して手に持っていたサングラスが木端微塵になった。



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投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926