1

これの続き


 職員室で担任の話を聞いていた時に、不意に聞きなれた後輩の声が耳を掠めた。監督に何か用でもあったのかとちらりとそちらを見て思わず二度見してぎょっとしてしまった。やっと入ったマネージャーの後輩であるみょうじが目元を光らせながら、顔を俯かせて職員室を静かに横切っていたのだから仕方がない。なるべく顔を見せないようになのか、普段は結っている髪を下ろして、あまり顔を上げない。しかしそれをしっかりと見てしまった俺は担任の話どころではなくなってしまいみょうじに意識を持っていってしまう。どうやら彼女は俺の方には気が付いていないらしく真っすぐに監督の机まで向かっていく。
「先生、あの……」
「……なんだか訳アリみたいだったなぁ、いいぞ、いってやれ」
「ありがとうございます」
 頭を下げて担任との話を切り上げて、でも声をかけるには彼女の纏っている空気がそれを躊躇わせるので声の聞こえる位置まで移動する。他の教師には恐らく話が終わるのを待っている生徒に見えただろうがただの盗み聞きだった。
 監督もみょうじに声をかけられてその顔や空気に驚いたのが心底驚いた顔をしていて心配そうに声をかけているようだった。
 その間に一瞬目があったので目礼だけしておいた、きっと俺の目的も分かっているだろう。それでも黙認してくれたことがありがたく、見えていないだろうがもう一度礼をした。
「どうしたんだ、そんな顔をして」
「あ、の……」
「何があった?」
「監督、すみません」
「ん?」
「マネージャー辞めます、急に、すみませ、ん」
 その言葉に驚かされたのは監督だけではなく俺もで、どうしてと言う気持ちが大きかった。今までのすぐやめていったようなマネージャーとは違い、彼女はその言動から心底俺たちと全国に行く気なのだと分かっていたからだ。それだけ真剣にバレーに向き合っていたし、なによりも選手と変わりないほどの熱意を部活に持っていたと分かっていたのは十分なほど俺だって知っていた。
 男バレのマネージャーがすぐに退部してしまうのは及川という男の人柄のせいだった。普段の性格があんなせいでそこまで部活も真剣ではないのではという印象を持たれるらしい。妙に目立つせいでその分根も葉もない噂だって多く流れる。そのせいで本気でバレーを好きな奴は寄りたがらないし、逆にバレーにあまり興味はなく所謂及川目当てで入部してきた奴らは選手以上に時間を部活に費やさなくてはならないマネージャーの仕事に耐えられず辞めていってしまう。
 そんな中入部してきたみょうじは及川の事を知らなかったからなのか、共に入部してきた新入生と違い、強豪校の部活でのマネージャー業の辛さを覚悟したうえでバレーが好きだからというシンプルな理由だけで入部してくれた。こんなマネージャーが最後の最後に入ってくれて本当に良かったと安心すると同時に心強く思っていたのに。
 しかし悲しいことに俺には一つ、思い当たる節があった。それこそ彼女が辞めてしまうのではと一時期不安に思ったくらいの事を俺たちのキャプテンはやらかしていて、しかも俺の知るうちではまだあいつはそのことを謝罪し訂正するどころか酷い態度を取り続けている。みょうじの方が及川を避けているというのは及川から話を聞いている俺しかきっと気が付いていないだろうが、部活はしっかりとこなしているし問題など何一つなかったから特になにも言わなかった。いや元々彼女の方に非は全くなく、もっとあからさまな態度を取ったって俺が咎められたか際どいところだ。それくらいには彼女は悪くなかったしその後も健気に部活を頑張ってくれていたから、きっと及川がなにを言ったところでこいつのバレー好きをどうにかできないのだろうと、勝手に思い込んでいた。
 今思えば最低なのだが、みょうじがバレー部をやめるほどの事ではなかったのだと思い込んで、だったら別にいいかと思っていたのだ。やめられては士気にかかわるだろうし、俺自身も一度仲間として受け入れた人間が辞めるのは嫌だったから、辞めなければいいかと。彼女自身にとって取るに足らないことで、きっとそこまで気にしてもいないのだろうと。顔に出さない彼女に、完全に甘えていた。及川を引きずってでも謝らせるべきだったのだ。恐らくは顔に出さなかったのだって、部活に支障をきたさないようにしていたのだろうと今知った。そこまでチームの事を考えていてくれたのだと、今更知った。
 情けないことにそれに気が付けたのがみょうじの涙を見たたった今で、もしかしたらそれまでこいつはずっと一人でこうやって泣いていたのかもしれないだとか、結局は部活をやめるとまで言わせるまでに追い込んでしまっていただとか考えれば考えるほど自己嫌悪に陥りそうになってしまうくらいにはぽんぽんと悲しい予想が浮かんだ。最低だ、本当に。
「(仲間の心折ってどうすんだよ)」
 混乱しきった監督の声を聞きながらなにが副主将だと自分を殴りたくなった。あんなに頑張ってくれている彼女を、バレーが好きだと入部の時の自己紹介で話していた彼女をバレーから引き離すまでに追い込んでしまった事に自分が不甲斐なくて仕方がなかった。
 よく考えなくとも、二つも上の、しかも主将である及川から冷たい言葉をぶつけられ続ければ誰だって疲弊していくだろし、落ち込むし、最後にはこうやって折れてしまったってどこもおかしくはないのだ。
「ど、どうして急に」
「すみません、私じゃ、迷惑になりそうなので」
「何をそんな、お前はよくやってくれているし部員も」
「部員に」
「……」
「部員に、信用されないマネージャーは、必要ないと、思います」
「……本当にお前が入部してから皆助かっているんだぞ、それに一人で遅くまで残って他校のデータをまとめたり……マネージャーがやる必要のない仕事までやってくれて私も助かっているんだ」
「でも」
「お前が怪我で選手を諦めたことも良く分かっている、それでもバレーに関わっていたくてうちに入ったというのに、本当にいいのか?」
 話を聞いていて、頭を鈍具で殴られ続けられているような痛みを覚えた。迷惑だなんて誰が言ったんだ、信用してないだなんていったいどの口が言ったんだ。そうか及川か、あいつしばく。
 最近データが見やすくなったと思っていたらこいつがやっていてくれたのか、それに怪我ってなんだ。知らなかったことを知らされ、大いに狼狽えてしまった俺はふらつきを覚えながらもなんとか自分の脳内でそれらを処理しようと試みる。
 まずデータ、俺たちが入部してから一つ上に先輩のマネはいたのだが、その人が引退してしまってからは誰も管理する人がいなくなったので殆ど放置されていたそれをもしかしてあいつ一人で整理していたというのだろうか。みょうじが入部してからそれまで俺が管理していた部費の管理も任せたし、溝口コーチは遠征時のプリント作りを任せたと言っていた。それだけでも色々押し付けすぎたかと心配していたのだが俺が知らないだけでもしかしたらまだほかにもこいつがやっていてくれたことがあるのかもしれない。それをサラッと陰でやってしまうから誰も気が付かないし、徐々に練習環境が改善されていっているものだから普段の仕事ぶりも気が付きにくい。それだけの仕事量をこの小さな後輩が担っていたのかと思うと、よく潰れなかったなと感心すら覚え、同時に感謝の気持ちが膨れ上がる。不満の一つも、疲れた様子も誰にも見せずに、こいつはやってくれていたのだ。
 そして怪我、これは完全に初めて聞く話で、もしかしてプレイヤーだったのかと思ったことはあったが聞く機会が無かったのだが、まさか怪我でバレーをやめていたとまでは思っていなかった。
 仕事の合間に練習を見る夏目の眼は、はたから見てもキラキラとしていてそれはそれは楽しそうなのだ。そんな風に見られていればこちらとしても頑張らなくてはと思えるくらいには。「微笑ましいよな、それに気合入る」と松川が話していたのをよく覚えている。
 こいつ、こんなにバレー好きなのに、そうか、怪我で諦めてたのか。
「……バレー部には、全国に行ってほしいです」
「だったら」
「私がいるかいないかで、勝敗に影響はないです」
「……」
「きっと私が勘違いしてたんです、私はただ連れて行ってもらうだけの、立場なのに、私が全国に行ってやるって、そんな風に思ってて」
「それは」
「ただのマネージャーが、思い上がってたんです、これ以上続けたらきっと、もっと迷惑になります」
 そうじゃない、そうじゃないだろう。
 そう思ってくれているから俺たちだってお前を部員として見ていたし、なによりもそう思ってくれているお前だからこそマネージャーを任せられたんだ。こんなに心強いマネージャー他のどこを探したっていやしない。それを思い上がりだなんて思ってしまうほどに及川はみょうじを追い込んだというのか。あいつ何言ったんだ本当に。大きく息をすって、吐く。職員室だからかいつもの体育館のあの空気と違ってインクとコーヒーの匂いが肺を満たした。
 もう我慢ならん。ここまで来てしまったのだ、及川だけが悪い訳ではない。放置してしまっていた俺も同罪だ。監督に目を向ければ意志が伝わったのか小さく頷かれ、「岩泉」と名を呼ばれた。
 ぎくりと肩を上げてこちらへ振り向いたみょうじの顔は先ほどよりも涙に濡れていて、申し訳が立たなくてどうしていいか分からなくなるほどだった。及川に泣かされた女の顔はもう見慣れたと思っていたけれど、その多くの顔のどれとも重なりそうにないその顔に、じくじくと俺まで心臓が痛くなった。けれどここで立ち止まってしまっては、確実にみょうじは去ってしまう。そうなっては遅いのだ。これ以上彼女に甘えてはいけない。
「みょうじ」
「いわ、いずみせんぱ」
「ちょっとこい。すみません監督、失礼します」
「あぁ。頼んだよ」
 ぐずぐずと声を殺して泣いている後輩の腕は思っていた以上に細くて、そのことが心臓が潰れそうなくらいに悲しく思えた。



× - return - 

投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926