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みょうじなまえという生徒は、なんでもない顔をしてとんでもなく辛いことをやってのけてしまう。それを初めて知ったのは中学の頃、あいつが怪我をしてしまったのを聞いた時だった。レギュラーに選ばれていた彼女は、オーバーワークで足が疲労を訴えていた時にダメ出しで練習中に思いっきりその細い足首を捻ってしまい、靭帯を伸ばしてしまった。靭帯というのは綺麗に切れれば元通り綺麗にくっついてくれるのもだが伸ばすとなるとまた厄介だ。
結局同時に膝の十字靭帯の損傷と半月板もやってしまったと聞いた時にはどれだけ無茶をしていたのだと驚愕した。聞いたと言っても本人からではなく、男バドの奴からだった。なんでかそいつの方がみょうじなんかより苦しそうな顔をしていたのを覚えているが結局その理由もその時は聞けなかった。みょうじは案外ケロッとしていて、合同で同じだった体育の時も友人に囲まれながら穏やかにいつも通りに笑っていて心配して損した、なんて思ってしまったくらいだった。
けれどそれがとんでもない間違いだったというのを俺はすぐに知ることになる。怪我をしていても部活にはずっと来ていたみょうじがその日は学校すら休んでいた。クラスも違うから勝手に風だろうと思ったのだが、部活終わり間際にあいつは制服姿のままやっと部活に来たと思ったらバドミントンの顧問と二言三言話して、何か紙を提出して体育館から出ていってしまった。なんだ、と思いつつも無関係な俺はそのまま部活を続けて、部活を終えた。
「あ、やべ教室に携帯忘れた」
「うっわ岩ちゃんだっさー」
「ほっとけ」
けらけら笑う及川に先に帰れと告げて真っ暗な校舎を進む。教室の前はそれこそ非常口の妙な緑の光だけに照らされていたので少しだけビビったが無事に自分の机から携帯を発見できて早く帰ろうと欠伸を一つ零した時に、廊下から結構な大きさで何かが聞こえてびくりと体が固まった。なんだと思い、若干怖がりながらも好奇心の方が勝りなんとなく音を立てない様にそろりと廊下に顔を出す。
その少し先の廊下に、みょうじはいた。たった今隣の教室から出てきたところなのであろうその扉に手をかけいた。声をかけようとして、喉を詰まらせたような感覚を覚えた。項垂れて下唇を痛いくらいに噛んで、手にはラケットを握っていた。暗い視界の中でもその体が小刻みに震えているのが分かって、睨みつける様にして自分の足を見下ろしているみょうじの眼光の鋭さにゾッとさせられた。薄暗い中でもみょうじの眼だけは発行しているかのようにキラキラとしていて、それが泣いていることが原因だと気が付いたのは少し経ってからだった。
いつもなんでもないような飄々とした態度をしている癖に、こいつはこうやって一人で激情と戦ってるのかと思い知ってしまって誰かにそっくりだと気が付いた。
次の日、みょうじがもう選手として復帰できないからとマネージャーになったと聞いた。あんな風に一人で抱え込んで、吃驚するくらいの感情を溜め込んでひっそり一人でこいつはダメになってしまったんだろうとあの時の表情を思い出して悟ってしまった。けれどもみょうじは何でもない風にして部活に顔をだして、みょうじの代わりにレギュラーになったチームメイトの背中を叱咤して助言を惜しみもなく与えている。なんて強くて、なんておっかない奴だと、そんな風に思った。
そんな奴が及川の事を好きだと知ったのは卒業式の時で、あれには相当驚かされたのを今でも鮮明に覚えている。あの時のみょうじを知っていればどれだけこいつが本気でこういったことを言っているのかを痛感させられてしまって、しかも俺にそれを告げる理由がまた及川を思ってのことだと気が付いてなんだかいたたまれなくなった。付き合ってもいないのに惚気でも聞かされているようでむず痒くなったのだ。しかしそれ以上に同じくみょうじの言葉を聞いていた及川には堪らなかったらしく、倒れるのではないのかと思うくらいに赤面して汗なんかかいて、あわあわと口を蠢かせていた。きもかった。
そんな俺の目に気が付いたのか少し持ち直した及川は進学先がみょうじと同じであること、そしてだったら付き合おう的な告白を俺の目の前でやってのけた。及川に聞かれてしまっていたという事に茫然としていたみょうじだったのでそのまま流されるままに及川の彼女という形に収まったのはいいのだが、あいつはびっくりするくらいに自己評価が低かった。
それを及川はどういう訳か面白がってなのかなんなのか全くわからないが、嬉しがってみょうじの気持ちを試すような事をし始めた。俺の考察からすれば、恐らくだが及川は浮かれていたんだと思う。あんなにも熱烈な言葉を聞かされてしまってこんなにも自分の事を思ってくれているみょうじのことが嬉しくって仕方がなかったんだろう。だからこそ頻繁にその気持ちを確かめてまた満足に浸る。それは段々とエスカレートしていってついには浮気のようなことまで平然とし始めてしまった。
初めのうちはみょうじも少し悲しそうな顔を表面に出していた。それを見て及川も調子に乗ってしまったのだが次第にみょうじが状況に慣れ始めてしまったのか、それを表に出さなくなった。そのたびにみょうじはなんでもないような顔をできてしまうものだから及川は内心焦る、そして行為は悪化していく。見ていて最悪だった、何度もやめろとあいつが傷つくだろうと言ってやった。けれどもそんな俺の言葉なんぞあいつには届かなかった。勿論及川はみょうじのことが好きだ。部活でも相当惚気ているくらいでバレー部の連中は皆俺と似たような事を思いつつも砂を吐き出したい気持ちでいっぱいだ。でもだったらもっと大事にしてやれと、そう思うしどうしてそこまで歪んだ愛情表現しかしてやれないのだと軽い絶望すら感じた。
いまもケロッとした顔で席について教材を鞄に突っ込んでいるみょうじを横目にその少しだけ俯いているアングルがあの時のそれに重なってしまってまたこいつは一人でこっそりとあんなことをしているのかと思って意味もなく叫びたくなってしまった。
投稿日:2017/0926
更新日:2017/0926