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これの続き


「おいっ!小福!!!」
「あれぇ〜大黒、はやかっ……」
 驚愕に動きを固めるカミさんにどう説明すればいいのかと、ここまで彼女を連れてきてしまってから気が付く。俺自身状況を完全に把握できていないのに彼女を小福に会わせるのはよくなかったかと今更ながらに思ったがそれでも俺だってパニックになってしまったのだからしょうがないだろう。案の定ビタリと固まって笑顔を引っ込めて唇を震わせ始めた小福に刹那だが怯んでしまいそうになった。だがそうもいっていられない。こんな事態、どうしてこんなことに。
「なまえ、ちゃん……ど、してここに……」
 泣きそうな顔をしてしまった小福に俺まで泣けそうになってしまう。でも目を反らしてなどいられない、でないとこれ以上この子を辛いことに追い込んでしまうと、それだけは分かったのだ。もういい加減俺たちも逃げてはいられないのだ、きっと。
 視ろ、と言って彼女を前に押しやれば小福がびくりと体を揺らす。それを見ないふりをして手で頬を覆って呆気にとられているなまえの手をできるだけ優しく引き離す。これを見てもらわなければ話が進まない。
「え、え……!?ど、どうして!?」
「俺にもわかんねぇんだよどういうことだよこれ……!」
 何度見ても疑ってかかってもそれは“名”で。嘘だろうと頭の中でなんども繰り返したがそれを彼女自身が隠そうとしたことで我に返れた。
 そもそもぶつかったのがこの少女だということに驚かされ、彼女が俺と目があったこと事態に驚愕で声すらうまく出せなかったのに、とどめにこれだ。全てがあってはならなかった事なのに。なんていう偶然だ、もうここまでくれば人為的な何かを感じる。そんな状態の俺たちだったためこの時の彼女の様子を全く気にしてやれなかったのだが、後に聞けば半分泣きかけていたらしい、すまん。よくよく考えれば彼女は俺たちの事など知るはずもなく、初対面の男に突然拉致されたような状況下にいたというのによく発狂しなかったと感心してしまうくらいだ。
 パクパクと口を動かし彼女の頬にあるそれに視線を突き刺して驚愕する小福に頼むから混乱で器だけは呼ばないでくれよとひやりとしながらもその心中を察することが容易くて、俺だけでも落ち着かなければと大きく息を吸う。
「うわ」
 しかしここにきて初めて声を出した彼女にその気持ちは全て飛んでいってしまう。怯えたような背中とその顔の向きから地面を見ているのだと気が付き、なにがあるのかと見てしまって、酷く後悔した。
 キキッと歯を向けてそこから上を見上げていたのは小さな妖で、まごうことなき妖で。それを見ている少女の背中しか見えなかったがその表情は恐らく驚きに染められているのであろう。
 ゆっくりと顔を上げれば同じタイミングで顔を上げた小福と目があって。一瞬お互い微笑みあったその後には、絶叫するしか出来ることがなかった。やっぱりというか当たり前なのだが彼岸のものが見える様になってしまっているという現実に混乱の極みに達したのであろう小福は奇声を発しながら家の中で走り回り障子を突き破って転んだ。
 そしてこの騒がしさに店番を頼んでいた雪音が出てこないはずもなく。
「大黒さん……なんかあったの?」
 雪音も普段ならにこにこけらけらしている代表の小福が顔を真っ青に、しかも少し涙目なのをみてぎょっとしたように身を固めてしまった。この世の終わりのような顔色の小福はそんな雪音など目に入らないかのようにパニックに陥っているし、正直俺もなんと説明していいのかもわからないのだ。
「お、じゃましました……!!」
 そしてそんな中で唯一正気に戻ってしまったのがなんとなまえちゃんで、半ば捨て台詞の様にしてその言葉を言い終わる前に脱兎のごとく走り去ってしまって呆気にとられて、雪音の誰?というセリフに我に返った時にはもう彼女の姿はどこにも見えなくなっていた。

 遂に私の悪運も尽きたのかと思った、本当に殺されるかと思った、怖かった。正直あの怖い顔の人の記憶しかないのだが他にも何人かいたようないなかったようなとバイト終わりの家路を歩きながら考える。
 大幅に遅刻してしまったバイト先で、まず顔をどうしたのかと聞かれ言い訳をなにも考えていなかった私は歯切れ悪く虫歯と答えてしまい、怪訝な顔をされながらも今日は厨房の仕事をさせてもらった。しかし後から出勤してきた店長に話が全ていったらしく、あっけなくもクビを言い渡されてしまった。タイミングがいいのか悪いのか、もうすぐ新人さんが来ると言っていたので私一人いなくなったところで問題がなかったらしい。時間も守れないようなら迷惑だからとハッキリと言われてしまって、深く頭を下げてお世話になった旨を感謝すれば苦い顔をされてしまった。
 重いため息をつけばどんどん自分の運気が下がっていっているような気がしてやめなければと思うのだがしかし、今日ばかりは仕方がないだろう。新しくバイト先を探さなければと思うのだが、それ以前に問題が一つ浮上してしまっていた。
 街頭を避けるようにして暗い影からこちらを覗いてくるあの目玉は、空を漂う蛇のような喋る生物らは、いったいなんなのだろうか。実はバイト中もあんなものがちらほら見え厨房で騒いでしまって、恐らくそれがクビの大きな要因であると踏んでいるのだが遂に私は幻覚まで見える様になってしまったのだろうか。いくら目を擦っても瞬きをしてもそれは一向に視界から失せることはなく、バイト中に一度手で煽るようにして遠くへやってもまたすぐに寄ってくるので最後には慣れてしまったので諦めてしまったのだが一度店員の体に纏わりつく様にして小声でぼそぼそと何か言っていたあの形容しがたい形をしていたのは気持ちが悪くて思わず食器を落としてしまった。
 気にしないようにしよう、そうしようと心に決めたはいいがあれらに気が付いた初めの数時間はそううまくいくはずもなく結果的に職を失ってしまったわけだがこれらは一体なんなのだろうか。
 周りがこれを見えていないというのは痛いほど分かったのだが、妙に私に声をかけてくるのは何なのだろう。そういう今も『おいでよ』と言われている、と思う。聞き取りにくいので初めはこれが言葉であることすら気が付くのに時間がかかったのだが何度も言われれば分かるものだ。
 おいでって、どこに。私は帰りたい。そしてボンヤリとしていたせいで買い物をしようと思っていたことを忘れていてうっかり店に行く道を通り過ぎてしまっていたことに気が付く。もう一つ、ため息。
どうせなら少し散歩しながら行こうと戻ることはせずに道を進みながら、頬のガーゼがくったりとしてしまったがまだそこにあるのを触りながら確認する。お前も疲れたのかー、私も疲れたよー、と声に出さずに話しかけてみたりなんかして、寂しさの募る夕日を影にして切なくなる。
 公園を横切りふとそちらに目を向ければ、人気の全くない虚しい空間が広がっている。なんとなしに立ち止まり、ブランコの方に足を向ける。どうせ一軒目には求めている品は無いのだろうからいっそのこともう少し時間をかけたっていいだろうと思ったのだ。
 きぃ、と錆びた金属が奏でる音はやっぱり少し寂しくて苦笑してしまったが少しだけ体を揺らせば懐かしいような気持ちが湧いてくる。座ってみるとこんなに低く窮屈だったかと驚いたが私がそれだけ成長したのかと思えばなんだか感慨深かった。これでは本格的に漕いだりしたら地面に足がどうやってもついてまともに乗れないだろう。足を付けたままほんのりと揺らした椅子は数刻前までは幼い子供も腰を掛けていたのだろうか。
 自分の影法師がくっきりと正面で斜めに揺れているのを見て自分の影のくせに随分長く大きいそれに手を振ってみた。指まで不自然に長いそれをみて可笑しくなってしまってくすりと笑う。
「あ、いた!やっと見つけた……!」
 突然かけられた声にぎょっとしてふわふわとさせていた手を握って息を呑む。顔を上げればこちらに駆け寄ってくる少年が見えて静かな公園に土を蹴る音が響いて緊張してしまったが知らない人だったのですぐに別の人に話しかけているのだろうと思ったのだが、しかしこの公園は無人だと私は理解していた。はて、と首を傾げながら試しに後ろを振り向いてみたが誰もおらず、正確にはあの変な生き物が少し遠くに見えたくらいだがまさかあれではないだろうし。疑問が消えぬまま前にもう一度顔を戻せば思った以上に近くに少年が来ていて驚きつつもその目が間違いなく私に向いていることが分かって、しかも少し怒りを孕んでいてもしや知らぬうちに人様に迷惑をかけていたかと恐々として顔を青ざめた。
「今日一日ずっと探してたんだぞ……!どこにいたんだよ、探すこっちの身にもなれよ!」
「ご、ごめんなさい」
 ほら、と遠慮など無しに腕を掴まれてブランコから立ち上がる様に促され、それに抵抗もせずに立ち上がればさよならと言わんばかりにキィと鳴いたブランコに薄情ものめと内心で毒を吐いた。
 もうこんなに暗くなって、危ないだろと年下であろう少年に怒られてしまって呆気にとられて物も言えない。え、あの、どちら様でしょうか。「いいから戻るぞ」とうんざりしたような声で言われ引きずられる様に歩みを進める。
 むかむかしたような歩き方と声で私の腕を引く少年の癖っ毛をぼんやりと見つめながら彼の話を聞けば曰く、突然走っていなくなった私を追いかけて来いとなにも知らされずに使いに出されたらしく、もう諦めて帰ろうかと思っていたのだとか。
 これは、あれだ、そうだあれだ。
「人違いじゃ……?」
「は?違わねぇよ、それ」
 と一瞬振り返って自分の頬を指さしてそれ、という彼にワンテンポ開けて思い出す。もしかしなくても、この頬の事で今日なにかあったといえばあ、あの……ヤーさんの。ぼんやりとした記憶でしか覚えていないのだが、あの時確か頬を見せるように促されたような脅されたようなそんな気がしなくもない。というよりそれ以外の出来事は今日はバイトしかないのでそれだ。ということは、なんだ、あの人に言われて私を連行しているということか。
「帰る!!」
「は!?ダメだって!なんだよ急に!」
「いやいやいやいや帰る帰る……!君の見た目に騙された、そんな可愛いのになにそれ騙された帰る!!」
「か、かわ……!って駄目だって逃げんな!」
 お、思ったよりも力が強いなこの子!!なんとか手を振りほどこうとぶんぶんと上下にふったり足で踏ん張ってきた道を戻ろうとしたがそんなことお構いなしでぐいぐいと進まされてしまう。だが私ものこのこついていくわけにはいかないだろうこれは!命に関わる!
「小福さんとこの神器なんだろ!なり立てでこんなとこに一人でいたらどうなるかぐらいわかんだろ!」
「コフクさん!?どなた!?もしやボス!?ししし知らないそんな人!シンキじゃないです知らんって!!」
「いいから来いって……っ!!」
 やめてー!誰か助けてー!と周りを見回すがなんと普段なら帰宅時間で人のおおい場所にも関わらず人っ子一人見当たらない始末、ついてない!!それにしてもなんて強引な子なんだ、こちらの話に耳を全く傾ける様子もなくぐんぐんと足を進めていく。気が付けばもう相当進んでいたようでごくりと喉を鳴らす、あぁもうだめかも。いくら考えても私は今朝の人を覚えていない、名前を呼ばれたからもしかしてともバイトの休憩中に考えてもみたのだがそれでも本当に覚えがなかった。じゃあどうしてと考える時間はなくあの変な生き物のこともあったので考えることを放棄してしまったのだが、それが不味かったのだろうか。いやでもあんなに怖かったら一度会えば多分忘れない……なんてあまりに失礼なことを考えながら歩くことを強要される。
 そしてなんだか見覚えがうっすらとある屋台のような店を目に捉えた時、最後の悪あがきとばかりに身を捩る。
「ほんっと、帰る!帰るから!!」
「ふざけんなって!だいたいどこに帰るっていうんだよ!」
「マイホームだけど!?」
 だから離して!と叫びながらなんだか昨日も似たようなことをしたような気がしてげっそりしそうだった。私の右手はそんなに掴みやすいんだろうか、やめてくれ。
 んぎゃぁあと変な声を出しながらそういえば結局買い物にも行けていないと思い出す。ありがたいことに明日から連休だから大丈夫といえば大丈夫なのだが、心許ないのは確かだ。気が付けば買おうと思っていたものも叫んでいたらしく少年にどんだけ怪我するんだよ!と突っ込まれていた。消耗が激しいんだから仕方がないだろう、それに顔のこれを隠さなくてはならないのだから。マスクでは少しはみ出てしまうしその分入用になるものが多くなるのは当然だ。そんなことを考えていたからか、彼の手が顔に伸びていることに気が付かず、気が付いた時には目の前に手のひらがあって驚いて目を瞑ってしまう。べり、と皮膚から剥がされた触覚に頬のガーゼを奪われたのだと気が付く、ついでにまたべろりと剥がれかけていたようでテープが頬から離れた感覚が少なくていつの間に、と考えるがあれだけ暴れていたのだからその間だろうと見当がすぐついてしまって虚しかった。
驚いて自由な左手で隠したが、なんで隠すんだよ、と睨まれてしまう。
「あー!もう、ほら!」
 我慢がならんとばかりにそう叫んだ彼は、唐突に自らの襟元を引っ張って見せた。その行動に驚いたがそれ以上にそこに浮かぶ文字に驚かされる。まるで私の頬にあるそれと似ている文字は少し異形だが「雪」と綴られていて目を見張る。大人しくなった私に満足したのか、な?と少しだけ微笑んで手を引かれる。初めて笑ったところを見たがやっぱり可愛いなこの子。同じように彼の文字も消えないのだろうか、突然浮かんだこの文字の訳を彼は知っているというのだろうか。聞きたいことは山ほどあるのに驚きが勝ってしまって口が利けない。けれども結局自らの足で進み始めてしまったのだから、私はどこかで期待したのだ。この少年は何か知っているのかもしれない、と。


× - return - 

投稿日:2017/0926
  更新日:2017/0926