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これの続き


 散々泣いた。これでもかと泣いた。みっともないなあと思いつつも、どうしたって苦しくてしんどくて、けれどどうしようもないこの悔しさを一生背負っていかなければならないのは判然としていたから余計に泣けた。その最後の瞬間、ベンチで祈ることしか出来なかったことがなによりもの後悔だったけれど、死んでもそれを口には出さなかった。俺の代打で出た弟は、確かに俺の気持ちを汲んで、俺の想いを乗せてバットを振ってくれた。でもだからと言ってそこに悔しさが無いかと言えばまた別で、誇らしさと苛立ちと、そしてやっぱり後悔が渦巻いてボロボロと涙腺から溢れた。
 去年も一昨年も、結局今年も夏休みが数日あった。それはつまり俺たちは一度も夏を戦い抜けなかったという事と同意儀で、勝手にため息が零れた。今年の夏休みは二日。去年よりも一昨年よりも短いことだけが進歩だったのかもしれないがこれっぽっちも慰めにならなかった。実家は神奈川。正月に帰ってきたときにも少しだけ話してはいたが改めて進路のことも話さなければならないし、なによりあの寮にいることが苦痛でしかなかったから早々に帰省を選んだ。
「ただいま」
 夏に帰ってきたのはそういや初めてだ、なんて気が付いてしまってどっと肩が重くなった。それでも久しぶりの実家は相変わらずで、ああそういやこんな匂いだったなと体の奥にじんわりと温かい何かがしみ込んだ。玄関に鞄を置き靴を脱ぐために座り込めばそれなりに疲れを感じたので、移動でそれなりに疲弊していたらしいことに気が付いた。そういや、癖で靴紐がっつり結んだけど、自主練で走る必要もなくなったんだった。す、と結び目を解くと同時にパタパタとスリッパの軽い音が二階から転がるように聞こえてきて首だけ振り返れば案の定、一つ下の妹がひっどい顔で降りてくるところだった。
「帰り何時かって聞いたのに、迎えに行ったのに、おかえり」
「そうだっけ、ただいま」
 自分も酷い顔をしている自覚はあるのでなにも言わずに立ち上がれば、勝手に俺の鞄を持っていこうとするなまえ。持った瞬間に「あも、」と妙な声で驚いていたので妹にとっては重量があったらしい。間抜けだなあと言いながら鞄を受け取る。
「母さんは?」
「買い物、お兄ちゃん帰ってくるからって張り切ってたよ」
 青道に入って一年目は体が大きくなることを期待して他よりも食べることを意識していた。だから帰省した時にも寮で食べるような量を無理やり詰め込んだのだがそれが良くなかったらしい、帰省するとなると馬鹿じゃないのかと思うくらいに量を用意するようになった母親。それが張り切っているというのだから覚悟しなければ、いやまあ食えるけど。ソファーにどかりと座って体を伸ばせば関節が子気味よく音を鳴らした。目の前の大型テレビの上には俺や春市、なまえの写真が並べられていてああ帰ってきたなと改めて思った。
「……お兄ちゃん」
「んー?」
「これ」
 これ、というので視線を向ければソファーの後ろに立っていたなまえの細い手が紙袋を引っ提げていた。なに?と聞いても無言で突き付けてくるので怪訝に思いながらもそれを受け取る。未だに見慣れないぱっちりとした大きな目がこっちを真っすぐに見てくる。こいつだけ父に似てたれ目で、しかも目が悪い所まで似てしまったせいで分厚い眼鏡をかけていたのだが前に沢村に眼鏡壊されてからコンタクトにしたんだったか。眼力あり過ぎだと思う。無言で見られるのはちょっとまだ慣れない。ただでさえ二年と少しの間ほぼ会っていなかったんだから余計に。受け取ったそれは案外大きいがそこまで重くはない。なんだと思って覗き込んで、息を呑んだ。
「新しいの、プレゼント」
「……は?」
「お疲れ様」
 思わずなまえを見上げれば、声はしっかりしていたくせにぼろんと大粒の涙がその大きな瞳から零れた瞬間だった。いつもいつも、飽きもせず俺や春市の練習についてきては日陰でニコニコしながら見てくれていたのがこいつだった。家の庭で素振りをする時も庭先に座って、黙って、何時間でも。そんなこいつが俺達が出る公式戦を見てないなんてありえないことは分かりきっていたし、ある程度泣かれることも覚悟していた。実際シニアの引退の時ですらボロボロ泣いていたくらいだったから、返ってきて顔を見た時もだろうなとしか思わなかったのだ。そんななまえが俺にお疲れ、なんて言いながら寄越したのはグローブだった。俺が使っているブランドで、全く同じタイプのそれは真新しく皮の匂いしかしないだろう。
「なんでグローブ?俺引退したんだけど」
 頭のいい妹だ。思慮深く優しく、けれど言いたいことはバッサリと言い捨てる。それが出来ない末っ子に滅法甘く、多分親以上に俺たちの野球を応援してくれていた。けれどこいつが俺の野球に関してなにか口を出したことは一度だってなかった。頑張って、応援してる。それがこいつの精一杯の干渉で、ちょっと寂しいなんて思ったりしたこともあった。けれど今回ばかりはそれをありがたいと思いながら帰ってきたというのにまさかである。そんななまえだから何を言われるのか予想が付かなかったし、少し怖いと思った。



× - return - 

投稿日:2018/0225
  更新日:2018/0225