ミルラの樹木
段々と恐怖がにじり寄ってくるような切迫したそれが鼓膜を揺らし、未だなれずにビクリと肩が上がる。もっとわかりやすく言うと、サメが迫ってくるような音楽である。何故そんなものを聞いているのかといえば、どうしてだかある時から携帯の着信音がこれになってしまったのだ。それも、沖矢さんに限ってである。違う意味でドキドキするから変えたいのだが生憎扱い方が分からないのでもう1週間はこのままにしているのだが慣れない。幸いなのはまだ誰かに聞かれていないということだ、知られたら申し訳なくて沖矢さんに顔向けできない。
着信音が止まるまでじっと携帯を見つめて待つ。メールなのはバイブの仕方から分かっていたので、メールが来た時はこうして音が止むまでじっとするのが定型化していた。なんか手に取るの躊躇う音なんだもの。そしてやっと携帯を手に取り覚束無い指先でカチカチとメールボックスまでたどり着く。まあ、この音で沖矢さんからの連絡なのはわかるので心構えができるという意味ではいいのかもしれないのだけれど。
沖矢さんには出会いから迷惑をかけてしまっていたのでどうにかお詫びをと何度も話を持ちかけていたのだが、柔らかく遠慮されてしまっていて結局なにもお返しできていないままである。それどころか気を使ってもらって「一緒に子供の面倒を見て欲しい」なんてただ知り合いの子達とクッキーを焼く会にお邪魔させてもらう始末。そうだ、その前には「作りすぎてしまって」なんていって手料理までご馳走になってしまった。凄く美味しかった。もしかしたら私の下心なんて沖矢さんには丸見えなのではとその時に少し恐怖したくらいに私としては嬉しい時間だった。
兎にも角にも、正面からいっても沖矢さんに逆に気を使ってもらってしまう結末に収束してしまっていたのでなんかとして挽回したく、違う方向から攻めてみることにした。
題して「新一くん戦法」である。新一くんもこちらの気持ちを汲み取ってくれるのが上手く、なかなかこちらが納得できるお返しがしにくい所がある(そういえばコナン君もそういう所は流石親戚というべきか似ている)。しかし、ことシャーロックホームズを絡めれば彼は我を忘れてくれるのだ。沖矢さんがそうかは分からないがシャーロックホームズファンだと聞き及んでいたし、彼にその話を振った時に新一くんと似たものを感じたのでものは試しに…と、癖で新一くんに何時でも教えられるようにシャーロックホームズに関するニュースに目を光らせていた私は沖矢さんにそのうちの一つをメールで提供したのだ。
今度ショスコム荘をイメージした謎解きイベントゲームがあるので一緒に行きませんか、と。仲がいいようなのでよかったらコナン君も誘ってと添えて。
ショスコム荘とはシャーロックホームズの生みの親、コナンドイルが手がけた56もの短編の最後に発表された作品に出てくる、依頼主が奉公している屋敷の名前である。そしてホームズが出てくる最後の作品でもある。
本当はその情報のあるホームページを貼り付けられたら良かったのだがそれは叶わず、出来るだけ詳細を載せたメールを送ったのが30分ほど前。普段から一時間以内には返信をくれる沖矢さんなので常よりも少しはやいかな、くらいの時間。しかしメールを開いてぎょっとした。沖矢さんにしては珍しく長文のメールだったのだ。読んでみるとどうやら沖矢さんはホームページを調べてくれたらしく、持ち物や当日の服装、果てはコナン君と沖矢さんの都合がいい日程とゲーム開始時間のピックアップをリストとしてずらりと並べてくれたようだ。もうコナン君に連絡を取ってくれたらしい、早い。
そして最後に「こんな楽しそうなイベントがあるなんて知りませんでした、是非ご一緒したいです」と添えられていて安堵から声が漏れた。よ、よかった。そうと決まれば予約である。沖矢さんの送ってくれた日程から自分も都合の合う日を見つけ、その日程を沖矢さんに送ると同時に予約をこちらでやっておくと伝える。そのままお金も私が払えれば万々歳である。コナンくんの分も勿論払わせてもらう。
携帯よりもずっと使い慣れたパソコンを開き、さあ、といったときにまたサメが襲ってくるBGMが背後から鳴り響き、驚きでマウスが飛んでいったのでとりあえずこの予定までに着信音を変えなければと決意した。
投稿日:2017/1005
更新日:2017/1005