屍を慈しむ

なんで俺がこんな目に遭わなければならないのだと永遠と思えるくらいに何度も思案し、そのたびに俺だけが悪い訳ではないのだと答えが出る。だったらどうして俺だけが不幸なのだと思考を回し、そんなのは不条理だと答えが回る。ならば、とその先は考えてはいけないと理性で押さえていたそれが噴き出したのは遂に仕事先で辞表を出すように促されたのが原因であった。なぜ、どうして俺が。本部から左遷された先で腫物を扱うようにされたかと思えば、話が広まったのか随分と尾ひれのついた噂が独り歩きし始め次第に誰も仕事を俺に回してこなくなった。そうなれば居場所はどんどんと縮小していき息もし難いくらいに職場で俺の場所はなくなっていた。
それもこれも、俺が悪いのか?いやそんなことはない筈だ。あの女、あの女が俺をもてあそびあたかも被害者面をしてこんなに事を大きくしたのが悪いのだ。そもそも他に男がいたことだって俺は聞いていない、最近やけに彼女の携帯に男から連絡が来ていたので、また悪い虫が付いたのだろうと善意でああしてやったのにも関わらず急に出てきた男がつらつらと法律やら罪状やらを述べ、あれよというまに会社の目の前でパトカーに乗せられていた。橘内いぶき、彼女は連れていかれる俺を庇うこともせず、ただただ茫然としていただけだった。なんだそれ、俺が誰のためにあんなことをしたと思っているんだと叫んだ時にはもうパトカーは走り出していて隣に座っていた警官に抑え込まれてしまった。声と一緒に言い知れぬ感情が腹の奥で渦巻きカッと熱を持って目の前が真っ赤になった。ああこれが殺意なのかと初めて知った。
扱いはまるで犯罪者のそれ、取り調べの際も俺の言い分は全く通らず終いには「向こうが裁判にはしないと、首がつながったな」と言われ相手にされぬまま解放された。しかし解放されたとはいえ前科が付けられた俺にすべての環境が冷たく変化した。会社に戻ればすぐさま移動の内辞、職場の人間はまるで汚いものを見るかのように俺を見て一言も声をかけられることなく職場を追われた。知らせを聞いたのであろう家族とは連絡すら取れなくなった、元から潔癖な嫌いのあった両親だったがまさか息子の事をまったく信じずこちらの言い分すら聞く耳に持たないとはと絶望した。


「全部、全部お前が悪いんだ」


目の前でぐったりとしている橘内さんに手元に転がっていた携帯を投げつける。額になかなかの勢いでぶつかったそれは床にごろんと固い音を立てて落ちた。その携帯を使ってあんたの安全を守っていたっていうのに、あんたが俺を見捨てたりなんかするから。勝手に溢れてくる涙を乱暴に拭き、唐突に笑い出したくなるような感情をぐっと抑えるようにアルコールを喉の奥へと流し込む。もう俺は終わりだ、仕事も無くなって家族とも絶縁された。冤罪で前科までつけられて、それもこれもこの人が被害者の様に振る舞うせいだとテーブルを蹴りあげて大声で掃き捨てるように罵る。流石にこれ以上蹴れば死んでしまいそうだったので代わりにテーブルを蹴ってあげているのだ。ビンや缶が衝撃で床へと落ちていく音が煩わしく、でも自分の狭い部屋に橘内さんがいるんだと思うと気分が高揚して訳が分からなくなった。
本当に偶然だったのだと思う、なんだか見覚えのある後姿だと見つめていれば本当に橘内さんで、暫く様子を見ていればどうやら小さな子供、それも知り合いらしい女の子を家に送り届けている途中らしかった。雨が降っているせいで鮮明に声を聞きとれたわけではないが、雨のお陰でこちらに気が付かれることも無かった。気をつけて帰ってね、そんな言葉が雨の音に紛れて聞こえてきたときに俺の中の何かが切れた。気をつけて?気をつけてやっていたのは俺なのに、そんな俺をあんな風に捨てて、それなのにどうしてこの人は普通に生活してるんだ。ああ、ああなんだかもうどうでもよくなってきた。そう思ったときにはもう後ろから傘で殴りかかった後だった。



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投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005