トロイアの攻防

TAKE6
取り敢えず降谷零を思い出してもらうのはどうか、という新一君の助言に従ってみようと思った。TAKE数が可笑しい?いやこれで正しい。俺が安室さんと笑顔で呼ばれて心折られた回数と同じだから間違いない。いぶきに連絡を入れて彼女の家に行く約束は新一君がいる場ですぐに取り付けた。もともと夕食を一緒に取ろうと思っていたので(こういう言い方をした時に新一君が「向こうの予定無視ですか」と責める視線を寄越したので良くないのかと少したじろいだのは余談である)、俺がこれから持っていく食材が付くまで何もせずに待っていてくれると思う。メニューも伝えなかったので用意しようがないというのが本当の所だろうが。因みにいぶきが作るものを口に出来ないからという訳ではない。公安としてはよろしくないが、そんな確約は三年も前にとっくに破っている。公安の連中もいぶきを嫁として認知してしまっているので全く問題ない。そうではなく、単純に俺の作ったものを食べるいぶきが嫌いじゃないから、というのが理由である。うまそうに食べるあいつが悪い。
日が短くなってきたな、と車にロックをかけながら一度空をチラリと見やる。まだこの時間なのにすっかり夕暮れだ。赤く染まるコンクリートは見た目だけでは温かそうであるのに夜の匂いが迫る逢魔が時ではひやりとした冷気すら孕んでいる。それを知っているのは殴り殴られで地面に接する機会があるからという物騒な理由からだが、幼少期のやんちゃな頃の記憶である。幼い頃の記憶と言うのは案外こんな歳になっても残るもので、あの頃の脳みそが一番物覚えが良かったのだろうなと思わされる。なんとなく吐く息に視線を向けてもまだ白くは染まらなかったが肌寒く感じるくらいなのだからそうなるものもう目と鼻の先だろう。貰った合鍵でロックを解除し、エントランスを抜けてエレベーターを呼ぶ。8階に止まっていたそれが降りてくるのをぼんやり眺めながら、どうやって切り出そうと考える。こうしてここでこんな風に考えるのが毎度のことになっているのがまた虚しい。上司も上司である、急に安室はいらんなど言われてもこっちも色々と困る、主にいぶき関連で。
悶々と考えているとインターホンを鳴らしているのもここ最近の日常で、ほどなくして鍵が回される音が聞こえてくる。言いつけ通りちゃんとチェーンロックも付けているらしい。防音の部屋なので足音は聞こえてこないが流石に扉に触れる金属音は廊下に聞こえてくる。いい加減一緒に住みたいところでもあるが安室透名義のあの家もそう言えば売り払わなくてはならないので今まで同棲に踏み込まなくて良かったと少しだけ安堵してしまった。安室のまま同棲までしていたら今頃胃痛で入院していたかもしれない。


「おかえりなさい」


「…ただいま」


それでもこうして互いの家ではあっても、お帰りと言ってくるいぶきが憎い。畜生頬が緩む。しかもこの前のデートでプレゼントしたワンピースを着ている、思った通りに似合っている、普通に嬉しい。買い物袋に手を伸ばしてきたので軽い方を一つ渡してやる。袋の中身を見て「グラタン?」と聞いてくるいぶきにそれはサラダ用のペンネだと伝えれば予想が外れたことに少し恥ずかしそうにはにかんで廊下へと進んでいく俺よりもずっと薄くて細くて小さい背中を見送る。思わず壁に頭を思い切りぶつけ、深く息を吸って、吐いた。肺の中にいぶきの匂いが充満して余計な事をしたと後悔した。なんだあいつ、今日なんかいつもと違わないか?これで降谷の話題を出すのか?やりたくない。
しかし新一君に相談してしまった手前、なんの成果も無しにすごすごと帰るのは不味いしいい加減伝えなければその前に戸籍から安室透が消えるなんてことになる。そのまま安室を演じるのは俺の精神衛生的によろしくないので却下である。少しだけじんと痛む額を無視して廊下を進みリビングへと向かえばどうやらなにか作業をしていたような痕が見受けられた。急いで片づけたのだろう、ソファーの上に何が咄嗟に毛布を被せたような籠を見つけてキッチンに向かう前に一瞬それを捲って確認する。どうやら編み物をしていたらしい、表紙に「初めての編み物」なんて書かれた雑誌と編みかけの毛糸を見つけ察しが良い俺はその可能性が浮かんだ時点で床に膝をつきたくなった。多分俺へのプレゼントだこれ、この前マフラーが無いって話したばかりだ、絶対そうだ。なんとか衝撃に耐えつつ、いい加減不審がられるとキッチンに向かいエプロンをして待っているいぶきの横に並ぶ。どうやら一緒に作りたいらしい、何も言わずにこちらにもエプロンを掲げられたので首を下げてそれを受け入れる。下に向いた視線でいぶきが少し背伸びしているのを見つけてしまって反射的に背中に腕を回すところだった、耐えた俺を誰か誉めろ。


「安室さん、今日何かありました?」


「え?どうしてです?」


「なんだか疲れた顔に見えたので…」


「そうですか?僕も歳ですからね」


それ以上追及しようとしないあたりいぶきの人格と言うか、懐のデカさを痛感する。でも顔が険しいのはお前のせいだ。しかしこの流れなら不自然ではないか、と思考を巡らせえる。いぶきとしても俺が険しい顔をしていた理由を知れるわけだし(本当の理由ではないにしても)、一石二鳥ではないがまあ丁度いいだろうと口を開くことにした。




 - return - 

投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005