トロイヤの攻防2

警察庁のデスクでパソコンを叩いていた時に携帯が鳴ったのはそろそろいぶきを迎えに行くかと時計を確認していた時だった。腕時計を挟んでその下、デスクに無造作に置かれていたそれはまだぎりぎり契約が切れていない安室の携帯で表示された名前は工藤新一。彼からの電話はなるべくすぐに出るに限ると携帯に出る。ついでに周囲を見渡せばあまり人はおらず、そう言えば風見含め部下数名を現在警視庁にやっているんだったと思い出す。朝からいなかったので忘れていた。


「もしもし」


『新一です。出てくれてよかった、いま大丈夫ですか?』


「ああ、何かあったのかい?」


『いぶきさんが久しぶりにストーカー被害に遭いました』


「…今どこに」


『もう犯人も捕まえて今は警視庁に』


「今行く」


残っていた書類を猛スピードで処理し、デスクトップを落としパソコン本体の電源を切る。仕事用の端末に連絡が入っていないことを確認して提出書類を局長の机に投げて鞄をひっつかみジャケットを椅子からひったくる様にして握りこんだ。勿論局長は不在である。でないとこんな事しない。ばたばたと慌てている俺に数名残っていた先輩や部下が視線を寄越してくるが構っている暇がなかった。端末を一度彼らに向けて、何かあれば連絡をと示唆しさっさと踵を返して走り出す。
新一君はストーカー被害と言っていた。間違っても今までもされていたなんてことはないので今日初めてされたのだとおもう。となると偶然いぶきを見かけて犯行に及んだという線が濃厚だ。思い切り舌打ちを零して階段を駆け下りる。タイミングが悪いことにエレベーターが二つとも上に向かったばかりだったのだ。待っていられなくて落ちるように階段を降りていきあっという間に一階に辿り着きエントランスを抜ける。車、は後でいいか。走った方が早い、警視庁本部はすぐ隣だ。
走りながらいぶきは大丈夫だろうかという思考に囚われそうになる。久しぶりに怖い思いをしたのだろうか、俺が傍にいる間はそんなことないように注意していたというのに。偶然新一君が近くにいたのか、それは救いだったが自分の携帯には一報もなかったことからいぶきが連絡が取れない状況なのか、本人の意志で俺に連絡をしなかったかのどちらかだと判断できる。
俺は、頼るに値しない男なのだろうか。小さなことでもいぶきは俺に頼らないのはその表れなのではないのだろうか。どんどん悪い方に考えてしまう頭を一度考えを振りはらうように左右に振って深呼吸する。もうすっかり暗くなってしまった夜の空気はひんやりとしていてどこか湿っぽい。こんな時間に外にいたのか、それとも誰かと外で合っていたのか。だとしたらその相手が新一君だったのだろうか。彼と会うだなんて話も、聞いていない。フロントに行けば既に話は通っていたようで安室の名前を出しただけで部屋の場所を教えられた。よく事情聴取を取るのに使う部屋が集まっている階だ。


「新一君!」


「安室さん、速かったですね」


「彼女は?」


「少し混乱しているみたいです、怖かったんだと」


「……何があったか聞いても?」


「顔怖いですって…」


新一君の話ではこうだ。どうやら今日は蘭さんと園子さんと会っていたらしく、未だにポアロでバイトをしている梓さんにも会いに行こうと蘭さんを送りがてらポアロに向かったそうだ。残念ながら梓さんは不在だったらしく、その場で蘭さんは帰宅。園子さんは彼氏に迎えに来てもらうとそのまま探偵事務所に。いぶきもどうかと誘われたらしいがいぶきは俺の帰りがいつになるか分からないから、と帰ることを選択。悪いことに毛利探偵は新一君と依頼をしていたらしい。居れば毛利探偵が送ってくれただろうに、と蘭さんが念の為新一君にいぶきが一人で帰ることを連絡したそうだ。依頼先がいぶきの自宅の傍だったというのもあってそれを知っていた蘭さんが機転を利かせてくれたのだ。そして新一君がそのすべてをメールでしり、嫌な予感がしていぶきを探してくれたらしい。そして見つけた時には知らない男に路地裏に連れ込まれそうになっていた。そこまで聞いてゾッと背筋に嫌なものが走った。路地裏に連れ込まれた?それはもはやストーカーの範疇と言うより、強姦だとかそちらの類ではないだろうか。新一君がいぶきを見つけてくれなかったら、蘭さんがメールを送ってくれなかったらと思うと恐怖で足元が抜けるような恐ろしさと、怒りで目の前が真っ赤に染まるような憤りを覚えた。それらを押さえつけるように深く、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせた。


「ありがとう、君が見つけてくれていなかったらと思うと…」


「いえ、GPSで……あ」


「……まあ、お咎めはなしにしよう、それのお陰だと思えば俺もなにも言えないしな」


この餓鬼、と思わなかったと言えば嘘になるが当然の反応だろう。勝手に人の女にGPSを付けていただなんて捕まっても可笑しくない。新一君じゃなかったら殴っていたと思う。実際こうして救ってもらったのだから何も言うまい。いぶきは調書を取り終えて今は目の前の部屋で軽く手当てを受けているらしい。なんでも思いっきり手を掴まれたとかで手の痕が残ったらしい。医務室に行くほどのものでもなかったらしく、調書を取り終えてすぐにその場で手当てを受けているのだとか。そうか、と扉に目を向けると丁度その扉が開き、中から女警官が出てくる。俺の顔を見てハッとした様に髪を整え始めたがそれを無視していぶきに駆け寄る。


「いぶきさん!」


「え、あれ安室さん、なんで…」


「新一君に連絡を貰ったんです…大丈夫でしたか?」


そっと、それこそ割れ物に触れるように彼女の細い肩に両手を添える。体温だけを伝えるように触れた時、一瞬ピクリと震えたのを見逃すはずもなく眉間に皺が寄った。新一君の言う通り、これはなかなか怖い思いをさせられたらしい。怖がらせないように少し背をかがめて、彼女に目線を合せる。無理に笑顔を繕って「大丈夫です」なんて口を回す彼女が痛々しくて、そんなふりをしないでほしいと真剣な顔で訴える。じわじわと温まる彼女の小さい肩、沁みるように俺の体温が移っていくのに比例していぶきの笑顔がゆっくりと剥がれていく。


「すみません、怖い思いをさせてしまって」


「安室さんは、なにも…」


「いえ、謝らせてください」


そっと、右手で彼女の前髪を避ける。額に触れないくらいの距離で目の前を過った俺の手に今度は怯えを見せなかったいぶきに少し安堵する。前髪を避けた指を視線で追って、やっとそのあとこちらに視線を向けてくれたいぶきに笑顔を向ける。なるべく彼女が安堵を覚えるようなそれにしたかったけれどどうしても引きつってしまうのは自身でもまだ怒りやら心配やらでごちゃごちゃとしていたからだ。それでも少しだけ全身から力を抜いてくれたいぶきに心底こちらが安心してしまう。俺が彼女の安心できる場所なのだとこうして示してくれることの偉大さと言ったら言葉にし難いものがある。ゆる、と目じりを下げたいぶきにどうしたのかと、まるで甘えるような声で「ん?」と問いかえれば自然な笑みまで零れたのでああよかったと本当に安堵できた。


「安室さん、もしかして走ってきてくれました…?」


「…はは、すみませんこんな格好で」


「いえ…その、ありがとうございます」


「あれ、降谷さん?」


もういいか抱きしめてしまえ、と腕に力を入れた時に背後から声をかけられた。びしりと腕に変な力が入りまるで固まったように動きが鈍くなる。ぎ、ぎとまるで油の切れたブリキのようにぎこちなく振り返ればあれ?という顔をした風見。
風見、おい、おい待て。駆け寄ってきた部下は状況が全く分かっていないらしく、というより俺に隠れていぶきが見えていないのであろう、心底不思議そうな顔で首を傾げている。その首をへし折りたい。こんな場所で本名で呼んでくる風見だが、もうその偽名の方が呼ばれるとまずくなるものになるというのもあるし、なにかと警視庁の方には例の組織の関係で降谷で赴いたこともあったので本来ならば風見が俺をここで降谷と呼ぶことに何の問題もない。しかし、それはいぶきがいない場所に限る訳で、今現在いぶきは俺の腕の中に引き寄せようとしていたところであって。いぶきを見つけても風見は「あれ奥さんいたんですね」なんてほざく始末。やめろそれは署の中だけの設定だ。内心絶叫の嵐である。どうやら頭がパーになっているらしい、顔に浮かぶくっきりとした真っ黒な隈。誰だこいつに徹夜させたの、俺だった。


「お疲れ様です降谷さん、どうしてこちらに?なにかありました?」


俺の横にいた新一君が「あーあ…」なんて天井を仰いだ。


2017.6.10

 - return - 

投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005