トロイヤの攻防3
呆然としているいぶきを待たせ、車を取りに行って警視庁前で新一くんと待っていた彼女を助手席に乗せ、挨拶もそこそこに車を走らせた。思考がフリーズしてしまっているいぶきを見ていると次第に落ち着くことが出来たらしく、もうすっかり平素にまで落ち着けていた。と思ったのだが気が付かぬうちに安室の家に車を走らせていて慌てて路線変更した。あっちの家はもう引越し間際でとてもこの状態のいぶきを連れていける環境にない。勝手にいぶきの家に向かわせてもらうが一言も話さないいぶきがいい加減少し怖い。恐る恐る声をかけてみる。
「……大丈夫か」
「……」
無視された、初めてこいつに無視された。一気に気分が急降下していく。こんな事態になっているのは全て俺のせいで俺の都合でなにもこいつは悪くない。捉え方によってはいぶきを騙して今まで付き合っていたと言われたっておかしくはないし、なによりあんな形で露呈してしまっては誠意すら木っ端微塵に吹き飛んでしまった。せめて自分の口からしっかりと伝えるべきだったのにズルズルと時間だけを過ごしてしまったせいでこの様だ。一番怖いのはいぶきが何を考えているのか全くわからないということだ。本当のことを告げるに当たってこいつがどう反応するのか考えなかった訳では無いが、何度考えたって結局頭の中のこいつは俺を笑って許してくれた。新一くんも言っていたがいぶきという奴はそういう人間なのだ、だから予想外とも言える反応をされ続け早々に恐怖や不安が噴き上がる。
家に着いても鍵すら出そうとしないいぶきに一言断って合鍵でエントランスを抜ける。部屋にたどり着いても俯いたまま俺に引きずられるままに足を進めソファーに腰を下ろしたいぶきにいよいよ我慢がきかなくなって彼女の脚元に膝をついて顔を覗き込む。そこに光るものが無くて心底安心したが、それでもいぶきの表情は固かった。こわごわと、もう一度声をかける。
「話を、聞いてくれないか?」
無理に合わせた視線に、やっとハッと反応が帰ってきて安堵の溜息が漏れる。出来るだけ柔らかく声を作って静かに語ろうとするも、その前にいぶきが口を開いたのでこちらは言葉を一度しまった。この話し合いの主導権はいぶきが持つべきだとそう思ったのもあったし答えられること全てに答えたいとそう思ったからだ。
「えっ、と…さっきの人」
「ああ」
「どうしたんですかね、名前を、安室さんの…」
「……」
「その…すみませんびっくりしちゃって」
逃げ場を探すように目が右往左往し瞬きが通常よりも増え、声はたどたどしい。そこでやっといぶきがまだ混乱から帰ってきていないのだと解り落ち着けるようにと膝の上で握られていた小さな白い手を上から握り込む。一瞬嫌がるように手を手前に引かれたが逃がすものかと少し強く引き止めれば観念して俺の手の中に収まる拳。力を抜いて欲しくて親指で撫でても効果はなし、そりゃそうだ、混乱の原因が俺そのものなんだから。手の痕が残っているという手首に巻かれた湿布が痛々しいなんて少しだけ現実逃避をして、すうと息を吸い込む。
けれどここで俺をきちんと認識してもらわねば、いぶきと俺はずっと進めない。俺のせいで進めなかったのに必死に進むことを拒むようないぶきの態度に悲しみに似た感情が嵩んでいく。権利が欲しいのだ、こいつと先に進む権利がどうしても。
「俺は、安室じゃない」
「っ」
「ずっと最初から安室なんて男はいなかった」
ひゅ、と喉から空気が抜ける音が俺達の間に漂う。彼女の喉から産まれたその音は微かな振動だけ残してすぐに消えてしまった。可愛そうなくらいに冷たくなっている拳は緊張で脅えている。そうさせているのが自分なのだから、笑えない。せめてもの彼女への償いは、もう嘘偽りなくすべてを晒すことだけだ。
「でも、それでもずっといぶきだけだった」
「……」
「俺は嘘ばかりだったけどお前に対してだけは、嘘はなかった、誓って」
段々と情けない、不安が滲む声になってしまったけれど形振りなど構っていられなかった。
投稿日:2017/1005
更新日:2017/1005