めでたし、海の星

「なんだか高そうなところだけど……」


「そうでもない」


そうなの?とこちらを見上げてくるいぶきに黙って頷いて手を取る。まあ嘘だが、それなりにここは高い。この日の為にドレスも送ったし公安の仕事も休みをもぎ取った。髪に付けている飾りからつま先まで間違いなくすべて俺が送ったものだけで身を包んでいるいぶきに思うところが無い訳ではなかったが深く言及せずに、脳内でシャッターを切るに留めた。
結局指輪は南天のものにした。悩んでいる俺を見かねてか、店の方からダイヤを特別に変えようかと提案してくれたのだ。それもカラーグレードもカットも最高級。よって色味はダイヤから無くなったがその分輝きが増し、値段も増したのでそれに決めさせてもらった。加えて後から調べて南天の花言葉に「私の愛は増すばかり」なんてものがあるのを知ってこれに決定した俺の判断は間違いじゃなかったと確信した。どうして早く調べなかったのだと思ったくらいだ。
わあ噴水、なんてエントランスではしゃぐいぶきを横目に今日何度目かになるため息をこっそりとつく。決していぶきにばれないように吐いていた溜息だが、隙がありすぎるいぶきのお陰で案外簡単に付くことが出来ているためここに来るまでに連発していた。エスコートされていると全く気が付いていないいぶきはきょろきょろと視線を彷徨わせていたがそれでも品があるように映る。こういう場所に連れてきても場所に負けないというか、場違いにならないのはこいつのもつ穏やかな造作のせいだろうか。ヘアメイクも俺の指定した店でやらせたので普段と纏う空気が違うというのもあるかもしれないが、間違いなくこいつの性格も一因としてあるだろうなと思いながら、ボーイに案内されるままエレベーターで最上階まで上がる。ここまで舞台を整えているのに「そうかも」という考えがいぶきには微塵もないらしい、流石である。なんでも勝手にサプライズにしてくれるこいつの鈍いところは誰もがこう評価するだろう、愛すべき馬鹿であると。お陰でこっちは余計に気負うものが増えているようでため息が止まらないというのに。
案内された席は夜景が一望できる窓辺の席で、真っ白いテーブルクロスの真ん中に蝋燭がゆらゆらと揺れていて“いかにも”な席だった。選んだのは俺だがあまりにもあからさま過ぎるその席を見てもやっぱり気が付かないいぶきに遂に不整脈が起き始めそうだ。


「誰もいないね」


実は貸し切っている。死んでも言わないが。
フルコースで頼んでいるのでメニューを探している様子のいぶきにそれを伝えると、場の空気に影響されてかいぶきが黙った。おい喋ろよと思わなくもなかったが基本的にこいつは相手の空気に合せるのが怖いくらいに上手いのでこれは俺のせいだろう。しかし話そうにも下手に話すと頭が余計に混雑しそうだったのでテーブルに肘をついていぶきをジッと見つめてやった。それに気が付いて少し頬を染めて視線をそらされたので大変満足である。口角の上がった口を隠すのに手の平で口を覆ってその下で存分に笑っておいた。うん、いい雰囲気だ。
静かに運ばれてきたのはワインのボトル、予め持ち込んでいたものなのでテイスティングなど促されることなく、薄いワイングラスに丁寧に注がれるそれはいぶきが好みそうな酸味の薄い飲みやすいものだ。シャンパンも考えたが、炭酸を呑ませると直ぐに腹がふくれるのを知っていたので今日は向いていないかと此方を選んだ。乾杯、とグラスを軽く持ち上げるだけでぶつけることはせず、口に含む。うん、問題ない。いぶきがほう、と「美味しい」と息で教えてくれたので一先ず安堵である。いや、これくらいでいちいち安堵するのは可笑しいか。これだけ準備を重ねているんだから綻びなどあるはずがないのだから。

前菜二つにスープ、魚介のメインに口直しのシャーベットを挟んで肉類のメイン。すべてだらだらと長い名前のメニューでウエイトレスが料理を置いていなくなるたびにいぶきは「なに?」という顔をしてこちらを見てくるのが面白かった。俺も分からん。しかしやはり一流フレンチなだけあってどれもこれも手の込んだ味付けがされておりつい何が入れられているのか考え込んでしまったりした。再現できるならしたいのは当たり前だ。最後のデザートをつつきながら、これで最後だという重圧に似たプレッシャーが急激に増した。普段通りのいぶきを見ていると余計に、考えてしまう。こいつは馬鹿という訳ではない。どちらかと言えば頭の回転も悪くないし、状況からの判断能力だっていい方である。そんなこいつが、未だにこの状況の理由を考えないというのは、少し異常なのだ。
そう、いぶきは恐らく考えない様にしている。
その考えに至ってしまってデザート用の小さなフォークが、まるで心臓を突き刺してきたような感覚を覚えた。なぜならば、その訳は一つしかないから、俺のせいでしかないから。
昔、あれだけ結婚を示唆するような言葉を渡しておいて俺はこいつの目の前から消えた。そのことを再会してから掘り返して話し合ってはいないけれどこいつの中で嫌な思い出として蓄積しているのは間違いない事実だろう。だからこそここまであからさまにしたってこいつはその考えに思い至らない、思い至りたくないから。嫌な、思い出でしかないから。
途端にポケットに入れたままの指輪の箱が存在を主張する。あの時と違うのだとこいつに思い知らせてやれるのは俺だけなのだ、記憶を上書きしてしまえと訴えてくるようにその重さが増す。でも、本当にこれだけでいぶきがその記憶を忘れてくれるのかと思ったら途端に不安になった。あの頃よりはちゃんと言葉にするようになった、大事な事は伝えてきた。けれど、それで足りていると言えるんだろうか。
今日だってそうだ、その服も、髪も、化粧も何一つ褒める言葉を渡していない。笑う笑顔に毎度思いが募っているのに、押し込めるように口を閉ざしているのも昔のままであるし、照れた顔をされて嬉しいと思った気持ちも上品な仕草を綺麗だと思ったことも、言葉にはしていない。一緒に暮らそうとも未だ、言えていないというのに。

未だに彼女は俺が突然に消えると、そう恐怖しているのではないのだろうか。その曇りを晴らせていないからこそ、こいつは考えることを辞めているのではないのか。
本当に、俺はこいつに気が付かせる要素を、十分に明け渡していただろうか。


「ご馳走様でした」


美味しかった、と眩しく笑ういぶきに、結局俺はなにも言えなかった。







パーン!と部署の戸を開いた途端の発砲音に自然と体が動いて相手を拘束していたが上司だった。素直に謝って解放したが機嫌よく「いやいや良い動きだ」と笑っていたのでお咎めはないのだろう。なんだ、と目を周囲に向けて、部下の数名も入口を囲うように並んでいて、遂には拍手までする始末。そして硝煙の匂いと上司のその手にクラッカーが握られていることに気が付いて体が強張った。


「聞いたよ、遂に籍を入れるんだってね。おめでとう」


「は」


「昨日の休みにプロポーズしたんだろう?風見が言っていたよ」


誰があれだけ気合を入れておいて、直前でヒヨったと言えようか。笑顔で礼を告げ微塵もそんな気配を滲ませず、この状況を作り上げた犯人を捜す。あいつ本気で一度絞めよう。




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投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005