めでたし、海の星
降谷零という男は、それはもうどこまでも完璧な男である。警察の花形であるこの部署に配属されて鼻高々に部署に足を踏み入れて最初にされるのはその高くなった鼻をこの男に折られるところから始まる。かくいう俺も当たり前にその無自覚の洗礼を受け、上には上がいると知り天は一物も二物もほいほいと与えるのだと気が付く。加えて努力を全く惜しまず誰よりも警官らしく日本の為に走り回るこの人に憧れるなと言われる方が無理な話であって、ここでも例にもれず俺は降谷さんに憧れた。そんな人と珍しく現場で一緒に当たるとなればそれはもうどこまでも使える気は遣うのだが、それ以前にその日の彼はどこか様子が可笑しかった。そりゃ、憧れの人である。多少の様子の変化など見れば分かるようにはなる。言っておくが俺は軽度だ、酷いやつは宗教並に降谷さんに卒倒しているのでそれよりは全然ましであるのは声を大にして主張させてもらう。そんな軽度な俺が見ても分かるくらいにどうも様子の可笑しい彼。そもそもこの任務に当たる前に風見さんに押し付けるように面倒な書類仕事を任せていたことから可笑しい。お陰で今日俺が降谷さんと一緒にここにいるという訳だが本来なら降谷さんではなく風見さんが俺とここにいるはずだったのだ。現場にこうして気楽に立てるほどこの人の身分が低くないというのもあるし降谷さんが赴くには少々泥臭い仕事である。勿論こんな仕事させられないと進言したのだが恐ろしいくらい綺麗な笑顔を向けられてしまえば何も言えまい。喜んでお供させてもらったがどうしたのだろうか。制圧する違法麻薬取引現場に付いた途端、物凄い勢いで敵を一本背負い、足払いに鳩尾にストレート、ハイキックに回し蹴りと鮮やかすぎる動きに本当に現場を退いたのかと疑いつつその手腕に惚れ惚れとした。すげえこの人。結局一人で殆どのしてしまった降谷さんは少しスーツが草臥れた程度の変化だけを残して無傷。回収は麻取に任せる手筈なのでこれで仕事は終わりである。呆気なく一瞬で終わってしまった仕事に勿体ないと思いつつもお疲れ様ですと声をかけて降谷さんを車へと促す。当たり前だが運転は俺だ、死ぬほど緊張する。
「B地点麻取到着です、出ます」
「…ああ」
無線で入ってきた報告からそろそろここから出なければ鉢合わせることになるのでアクセルを踏み込む。取引中に仲間割れが起こったように見せかけているのでこのまま撤退した方が早い。公安の目的であった取引グループ内にいたマフィアの下っ端は拘束済みであるし任務は問題なく終わった。筈、なのだが。
「…なにか問題でもありましたか」
「いや」
いやって顔をしていない。任務前と変わらずにピリピリとした空気のままであるし眉間に深く皺が寄っているせいで男前が増している。なにかミスをしてしまったかと沈黙で訴えて、教えてもらえるまで引かない姿勢を見せればやっとため息をついて空気を緩めてくれた。こういう、なんだかんだと部下に甘いというか、向き合ってくれる姿勢も憧れてやまない要因である。
「いや、私情だ、すまない」
「…うかがっても?」
この人のプライベート。気になる。最近は奥様への贈り物や食事などを部署の中で休憩中に吟味していたので少しだけそういった面も覗いてはいたが逆に言えばそれくらいである。それが、この人が仕事に私情で“八つ当たり”をするだなんて。どんな仕事でも顔色一つ変えずにこなしていた降谷さんがここまで顔に出すほどの事があったなんて一大事ではなかろうか。重大機密に口を出したのではと声に出してから考えが至ってごくりと喉が鳴るがそんな俺にそう固くなるな、と力なく降谷さんが笑って、そして思いっきりため息を吐きだした。……本当に何事だ。
三日前から警察庁に缶詰になっていた降谷さんはこのまま直帰なので自宅付近まで送る。そのためか疲れたようにネクタイを緩めチェアに背中を預けてすっかりとオフの様子を見せているがこんな姿レアである。よもやその私情が原因だろうかなにが彼をここまで。
「そう言えばお前、結婚してたよな」
「え、ええ……もしかして奥さんと何か…?」
降谷さんの愛妻家っぷりは部内では周知である。というか唯一見せるプライベートの面がすべて奥さんに関しての事なんだからそうじゃなきゃ可笑しい。風見さんの話だと婚約だけして結婚はまだしていないんだったか。もう五年以上その状態だと聞いた覚えがある。さぞかし出来た奥方なのだろうとそれだけの話だけで想像に容易い。
「まあ…なんというか、ちゃんと俺の思ってることとか、伝わってるのか分からなくなってな」
五秒ほどその言葉を考えて、ぎょっとした。なんだ、という事は奥さんにこの降谷さんの愛が疑われているという事か。こんっなにベタ惚れなのに?降谷さんの奥さんは天然なのか?少ない休憩時間を飯ではなく指輪のパンフレットを捲ることに費やすような人だぞ?半年ほどこの人の昼飯は十秒飯である。勿論奥さん手づくりの弁当の日もあったが初日(徹夜前)だけであるし他は時短飯しか口にしているところを見たことがない。嫁が作ったものなら時間いっぱいかけて噛みしめて食べているというのにである。それで、伝わっていないとは。
いや、しかし自身も経験があるから考えが辛うじて至ったが、この仕事である。婚約しているという事はもう公安であることは告げているのだろうが帰りが遅くなるのは当たり前だし数日帰れないこともざら。任務で女と二人になることだってあるし降谷さんほどであればハニートラップだってあるはずだ。潜入当時は容易に夫婦で出かけることだってできなかっただろうし現に未だに結婚をしていないという事は、降谷さんの立場が原因であるのであろうし…とまで考えてこんなに日本の為に奔走する降谷さんが奥さん一人の為にここまで心を砕いているのを知って自分が思っていた数倍この人は奥さんを大切にしているのだと知った。
「大丈夫ですよ!降谷さんの奥さんなら!絶対に分かってくれます!!!」
「おう吃驚した、急に大声出すな」
「ですが!自分も経験がありますが言えない事はしょうがないでしょう!それを分かってくれた上で一緒になってもらうんですから!!」
「前向け危ない」
「降谷さんがこんなに思ってるのに伝わらないはずないですって!俺から見ても十分すぎるくらい愛情塗れですからね!!?」
「待て聞き捨てならないがまず前を向け」
「そのままの降谷さんで接していて伝わらないのはあり得ないです!!!だから!!!」
「前向けって信号赤だぞ!」
投稿日:2017/1005
更新日:2017/1005