めでたし、海の星

徹夜とは、げに恐ろしい。お陰で部下にとんでもないことを口走っていた。なんで部下にこんな情けない話をしてしまったんだと頭を抱えそうになったが相手も徹夜明けだったので運が良ければ忘れてくれるだろうと気にしないことにした。というかあいつあれか、前にコンドーム寄越してきた奴か。確実に人選ミスである。精神的にも体力的にもぐったりと疲れ切っているのは間違いなく数日前のプロポーズ未遂が原因である。あれだけお膳立てを自分でしておいてビビって何も言わずに帰るなど、俺は腰抜けかと落ち込みそのたびにいやいぶきにもっと他に伝えるべきことがあるだろうとまた落ち込み、連日仕事で声すら聴けずにまた落ち込んだ。最悪な事に職場ではお祝いムード一色、これをどう処理すればいいというのだ。それが苛立ちに変わり今日の暴挙である。久しぶりに思い入り動いたのでスカッとしたというのも本当だがずしりと体が重くなったのも事実だ。これが歳か。
ふと、信号で立ち止まった時に見えた公園の時計を見てまだ日付をまたいでいないことを確認する。そして唐突に、いぶきの家の方向へと足の動きを変えた。多分、寝ている。今日行くという事も当たり前に伝えていないしついでに言えば四日ほど前から音信不通状態になっていた。いぶきの連絡先が入っている携帯を開いて連絡が入っていないことを確認し、一度メール作成画面を開いて結局閉じた。歩いて付く方があいつがメールに気が付いて読むよりもずっと早い。
しっかりとした足取りで、でもどこか思考がフラフラとした状態で脚を進める。今回は忙しい訳ではなかったが、どうも仮眠もうまく取れなかったせいで仕事が終わったと思った途端に溜まっていた疲れが噴き出したらしい。どっと重くなる体を引きずるように階段を上がり、そこでやっといぶきの部屋の鍵を今持っていないことを思い出す。エントランスは偶然住人が出入りしていたのでそれに続いてしれっと抜けたが、部屋の鍵はそうはいかない。ピックングもできなくはないが一度やってしまうと後からやりやすくなってしまうし折角セキュリティーのいい場所に引っ越しさせたのにそれは俺の望むところでも無い。なんて考えていたら無意識にチャイムを鳴らした後だった。
押してから、不味い起こしてしまう、と慌てた。低血圧なので寝起きはぼーっとしているが、ある程度音を立てれば起きてしまうくらいにはいぶきの目覚めは悪くはない。チャイムは確実に起こす。本当なら一度家に戻り鍵を取ってくるべきだった。いやそもそも、今日こうやって押しかける時点でダメか。ぼうっとそんなことを考えていると、扉の向こうで気配が動いているのが分かり、それだけでどこか足りなかった部分を補っていくような満たされた感覚を覚える。

ああ、もう、そうか。


「は〜い…あ、零さん…おかえりなさい、わっ」


もう、そんな言葉を聞いてしまったら全てが決壊してしまった。寝起きの緩い笑顔で、それでも俺の事を認識して、甘い視線で嬉しそうに「おかえり」などと言われては、恰好を付けたい自分のちっぽけなプライドなんていぶきの大きすぎる器の前ではあっさりと消え去ってしまった。抱きしめた体がほかほかと温かい、今までまさに眠っていたのであろう体温は柔らかくて、甘いにおいがする。埋めるように首筋に顔を押し付けて深く息を吸い込めば肺の中まですっかりと甘く溶けていくような感覚。眠っていたところを起こされようが、泥臭く汗臭い俺にこうやってくっつかれようが、それでも尚嬉しそうに笑ってくれるこいつにどれだけ俺が救われているのかなんて、知りはしないんだろう。
――――そのままの降谷さんで接して伝わらないのは…
そのまま、そのままの俺とは、晒してもいいものなんだろうか。どこまでも面倒で、格好も悪くて、きっと餓鬼で情けないありきたりな男だ。そんなものを晒してこいつはそれでも受け入れてくれるんだろうか、なんて分かり切ったことが頭を過って笑ってしまった。そうだ、そんな分かり切ったことをどうして今まで躊躇っていたんだろう。笑った息が首を叩いたらしくくすぐったいと笑ういぶきは汚れた俺に臆することなく背中に手を回してくれるというのに、それこそ今更だ。
だから、言葉は自然と零れた。


「なあ、いぶき」


「ん?なに?」


「結婚してくれ」


セッティングして、金をかけて綿密に計画を立てて、お互い着飾る。
そんなものよりもずっとちんけでありきたりで、日常に紛れてしまうようなそんな今。俺は仕事帰りで汚れたままだし顔には隈だってくっきり在るだろう。いぶきは寝起きで素顔だし、寝間着だし、場所だっていぶきの家の玄関口。
それでも、着飾らないからこそ、紛れもなく真っすぐと彼女に届けられる気がした。


「お前の待つ家に帰りたい」


僅かな時間でも一緒にいられたら、それは途轍もなく幸福な事だ。


「お前に降谷と名乗ってほしいし」


トラウマの原因である母親の事など、もうすべて塗りつぶして温かいことだけ思い出して、できればそれが俺との記憶であればそれもまた、幸福だ。


「お前が……いや」


そうだな、もっと丸裸な本音を言えば。


「俺が、幸せになりたい」


いぶきと一緒にいるだけでどうしようもなく幸せなのだと、そう紡ぐ。飾りっ気のないありったけの想いを告げるのはとても怖いことだと、言った後の緊張から感じた。細く柔らかく頼りない可愛い体をぎゅうと抱きしめてその存在に縋るように願った。こんな情けないプロポーズを自分がすることになるなんて思ってもいなかったけれどいっそ清々しかった。いままでずっとちゃんとこうして言ってこなかったのだから、ツケが回ってきたのだ。こうしないといぶきは手に入らないと、そう思った。
そう言えばこいつに嘘を全て告白した時も、こんな心境だった気がする。こんなに自分が情けないのだと痛感しながら本音をぶちまける怖さに震えて、それでも必死に縋って。なんの進歩もしていない自分に苦笑が漏れたけれどそんな俺を否定せずに今日までいてくれたいぶきが悪いのだ。
息を潜めていたいぶきが、静かに呼吸を震えさせる。その震えを抑えるように更に力を込めれば、お返しとばかりにきゅうと可愛く抱きしめ返されて堪らなくなる。混ぜるように髪に指を潜らせて頭を抱き込めば震えるその息が胸元ではじけた。


「いい、の?」


「いぶきがいい」


「ほんと?」


「もうお前の前から消えない、誓う」


「っ、う、」


「いぶきは俺でいいのか、こんな情けない男で」


「なさけ、くない」


「いぶきの前ではダメダメだからな、俺」


「…うそだぁ」


「ほんと」


「でも」


それってすごく、嬉しい。
なんて見たことも無いような綺麗な笑顔でいうものだから、疲れなんてどこかに飛んでいった。ひょいといぶきを抱き上げて、鍵とチェーンをしっかりと掛けて寝室へと進む。風呂に入った方がとかプロポーズの返事をちゃんともらっていないとか、なんだかどうでもよくなった。俺の我儘を晒しても下手な子細工で飾り立てるよりも、ダメダメな俺を見てああやって微笑んでくれるんだから、そんなものどうだってよくなる。いぶきの事などひとつも考えていないような言葉でも、いぶきが喜んでくれるんだからそれでよかった。間違いなく俺が幸せなのだと伝え、もしいぶきが同じ気持ちでいてくれるのであれば幸せにしてやりたいと思う。そんな子供のような言葉をきっと、いぶきは正確に読み取って、そして笑ってくれた。
惜しみなく愛を返すしか幸せにしてもらう対価として払いようがない。もう言葉を閉じ込めることもしないだろう、言いあぐねることも、伝え損ねることもない。余すことなくこいつの耳に届けるしもういいとこいつが照れたとしてもきっと辞めない。ベッドにいぶきを下ろしながら、指輪はいぶきが寝ている間に嵌めてしまって、朝起きてすぐに婚姻届けをかきに俺の家に連れていこうとそう決めながらその甘い唇を塞いだ。



2017.6.12
花火さんよりプロポーズのリクでした!
強くなのか弱気なのか分からない降谷さんですが、本心では弱気なのを絶対に表面化したくないという想いもあるんじゃないかなぁ…と
降谷さんには自分から幸せになりたいと言ってほしいです、平気で自分の幸せを犠牲にしてそうで怖い……幸せになってくれ頼むから…




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投稿日:2017/1005
  更新日:2017/1005