夏だけの願い
「あ、コナン君も来てくれたんだ、こんにちは」
「いぶきさんもう歩き回って平気なの?」
「あはは、入院自体しなくてもいいくらいに元気なんだよ?平気平気」
ありもしないのに力こぶを作って見せたいぶきさんが病院の服を着ている姿も三日経てば見慣れてきてしまった。普段通りにニコニコとしているいぶきさんは本人の言う通りもうすっかり元気そうで、頭に巻いていた包帯も取れ、今ではガーゼを貼るだけに収まっているようである。この人なんでこんなに頻繁に顔にガーゼ張るんだろうとちょっとだけ気が遠くなったがそれをまだ治りもしていないのに彼女自身がネタにして「張っては剥がれ…ガーゼにも慣れたなあ」なんていうものだから溜まったものではない。その時は一緒に来ていた蘭がしっかりとお灸をすえていたのでもうあのような発言はしないだろうが、間違っても安室さんの前ではしないでくれよと内心で怯えてしまったのは言うまでもない。件の安室さんはあれ以来組織の方が忙しいのかお見舞いどころかポアロにも出勤できていない現状であった。昨日今日は蘭や園子、いぶきさんが攫われた時に目撃した歩美などと一緒に見舞いに来ていたのだが今日やっと一人でここに来ることが叶い、ようやっと気にかかっていた問いかけが出来るわけである。
「ねえいぶきさん、安室さんと何かあったの?」
「え?」
「安室さんが凄く落ち込んでたんだ、いぶきさんになにか悪いことをしてしまったかもって」
あんまりにもあの時の車内での安室さんの空気が重々しかったものだから、同情せずにはいられなかったというか。しかもタイミング悪く安室さん自身で確認さえできない状況となればここは彼の気持ちを図らずも知ってしまっている俺がどうにかしてやらねばと思ったわけで。放置するには憚られるしこのまま放置してしまえば流石の安室さんも暴走するんじゃないかという懸念もある。いぶきさんは男の人を暴走させるのが特技な部分もあるのでぶっちゃけ懸念では済まないのだが。
問いかけの途端に表情を険しくしてしまったいぶきさんにおいおい本当に安室さんはなにかしでかしたのか、既に暴走後だったのかと恐怖しつつ答えを待てば、俺の視線に気が付いたのか少し苦笑を浮かべたいぶきさんが「これ食べる?」とお見舞いの品であろうクッキーを手渡してくれた。
「安室さんはなんにも悪くないよ」
「本当?」
少なくともプライバシーの侵害はしているしいぶきさんが訴えを起こしたら勝てるレベルには悪いと思うけれど、まあもみ消されるだろうし彼女は知らぬことだったのでグッと喉の奥に押し込んだ。はずみにクッキーを割ってしまった。知らないっていうのは恐ろしいことである。
「なんていうんだろうなあ…怖くなっちゃったっていうのかな…」
「今更…?」
「うん?」
「なんでもない」
まさか今更安室さんの狂気じみた行動に気が付いたのかと思ったがその顔が穏やかなのを見てそうではないようだと直ぐに察した。やはりいぶきさんはいぶきさんである。鈍くて危機察知能力が底辺で、そしてどうしようもないくらいにお人好しだ。
「この前、安室さんが助けてくれたでしょ?その時に、安室さんも怪我しちゃったの見て…ああこの人は誰かの為に当たり前の様に身を差し出してしまえるんだなって…私の為にもこうやって怪我しちゃうんだなっておもったら」
こわくなって。
そういって困ったように笑ういぶきさんは本当に顔色を悪くしていて、あの時の安室さんの行動がいかに彼女を精神的に追い詰めていたのかを如実に示していた。そうだった、この人は、そうだった。こういう人なのだ。自分のせいで誰かに迷惑がかかるのを嫌がるこの人が、安室さんがあの時負ってしまった怪我を気にしないはずもなく、欠けた危機察知能力の代わりに人の“いいところ”を見抜く力だけは軒並み高いために、安室さんのそういう本質を見抜いてしまって、彼が自分の最も恐れる人種であることを悟ってしまったのだ。全てがすとんと納得できる言葉である、あの表情は恐怖であり、畏怖であり、拒絶だった。いくらこの人が万人を許す性格をしていようが、確かに受け入れられない類の“献身”だったのだ。
あーあ、安室さんやっちまったな。なんて内心で同情していたらそれに、といぶきさんが言葉を続けた。
「その、なんていうか……私なんかでも、助けてくれるのが…」
「なんかって……いぶきさん蘭ねーちゃんに言うよ」
「あ、ちがうちがう!そうじゃなくてね…ほ、本当に違うからそんな怖い顔しないで」
ジトッとした顔で睨んでもごめんごめんとクッキーを手渡してくるので呆れつつも、まあこの人が平穏に過ごせるのなら別にいいか、と思ってしまうあたり俺もいぶきさんには甘いらしい。
2017.12.16
投稿日:2017/1216
更新日:2017/1216