その血はあなた
耐えるというのが当たり前の日常だ。
「ちょっとバーボン」
ベリッと顔に被っていた合成樹皮の仮面を豪快に剥ぎ取り、後ろの座席に放り投げたベルモットがその豊かな長髪に手櫛を通しながらさも不服げに声を発した。地味目の女に変装していたがそれでも当たり前だがあの仮面の上にも化粧が乗っている。それをああして座席に擦れるようにされると思わず舌打ちすら出そうなほど苛立ちが湧いた。ファンデーションは取りにくいのだ。その癖、間違ってもあのマスクからDNAでも特定し捜査に使おうものなら一瞬にしてこちらの足が付くんだから堪ったものじゃない。今日の彼女の任務がなんだったのかも、知らない。本当ならそれも調べ上げて組織の成すことすべてを頓挫させてやりたいものだがそれだって潜入がばれかねないためできやしない。ともすれば組織の犯罪に加担する比率の方が圧倒的に多いんだからいったい自分が何をやっているか、本質が遠ざかりそうなる。けれど“壊滅”を目的として、大きな指標を目指して進むと決めたのは紛れもなく自分なのだ。だから今日も今日とて自分の手で証拠品となりうるマスクを焼却炉で処分し、この女がこの車に乗った痕跡すらも一片たりとも残さずに隠滅するのだ。
「なんです?」
「さっきから溜息、なんなの鬱陶しいわ」
「え?僕溜息なんてついてました?」
「ついてたから言ってるんじゃない」
完全に無意識だった。すみませんとそういう顔をつくって謝れば鬱陶しいなんて言った本人が舌の根の乾かぬ内に、豪快にそれはもう態とたらしくはぁー、なんて大きく溜息を吐き出した。それにしても指摘されるまで本当に全く気が付かなかった、無意識で出るものほど気をつけなければならないというのに。よりにもよってこの女の横で気を抜いていたなんて、俺はなんて死に急ぎなんだろうか。現に鬱陶しそうなのはポーズでどこかこちらを伺っている様子を察し、このまま無理になかったことにした方が不自然か、と口を開いた。
「いえ、少し女性の扱いに困っていまして」
「あら、それを私に言うなんて喧嘩売ってる?」
「そんな滅相もない」
敏感に嫌味に反応するこういったところは話が早くてやりやすいとは思う。イラッとした声を出してくれたのでこちらも溜飲が下がるものだ。相手に情報を渡したくない時、まるっきり嘘で固めた話をするのはそれなりにリスキーである。例えこういった誤魔化しのように使う言葉にだって、神経を尖らせて慎重に言葉を選ぶ。そこに真実を混ぜるからこそ、本当に知られたくない事を隠せるのだ。木を隠すには森、本当を隠すのには真実。だからこそ紛れるのだ。
「最近どうも女性から情報を聞き出すのに苦労しまして…」
隣車線を走っていたトラックが無理やり前に入り込もうとしてきたのでスピードを落としつつ、ナンバーを覚えてやろうかと一瞬思ってしまったが隣にはベルモットである。“安室”がそんなこと出来るはずもなくイラつきを表現するように「荒い運転だなぁ」と零すだけに留めた。この性格を設定した当初の自分を少しだけ恨みたくなった。
「この前の会食の時は上手い事やってたじゃない」
「あの時も思うように会話を誘導できなかったんですよ」
大嘘である。ベルモットのいう会食と言うのは組織の方で資金源としてやり取りしていた会社が開催していたもので、最近動きが怪しい社長を探るために社長夫人に口を割らせたもののことだ。面白いくらいに喋ってくれた夫人は今頃はもう組織の人間に消されてしまっているかもしれない。見捨てる命と分かっていて対面し笑顔を振り撒いて情報を吐かせる作業は、割り切っているとしてもどこかが摩耗していくような嫌な感覚がする。感覚だけはあるのだからまだマシなんだろうけれど。
憂いを纏わせて、最近心底思い悩んでいたことを口に出した。
「口説くセリフが良くないんですかね、本気に思われないんですよ」
「っふ」
鼻で笑いやがったこの女。
投稿日:2018/0506
更新日:2018/0506