その血はあなた
学校から帰ってきたら事務所から声がするので依頼か?と戸を開けてしまったのが間違いだった。安室さんがいた。思わずバタンを扉を閉じてしまったが間違いなく安室さんがいた。そんな俺の抵抗虚しく「おかえりコナン君」とそれはもう非の打ち所がない素晴らしい笑顔で迎え入れられてしまって顔が引きつった。ただいまぁと子供らしく言ったはいいものの背筋には悪寒が走りっぱなしである。なぜいる。
「ああ、そういえばコナン君で思い出しましたが昨日いぶきさんが退院したようですね…なんでも沖矢さんが迎えに行ったとか」
連想で俺を介さないでほしいまじで。なんでそんな物騒な並びに俺を混ぜる。本当にやめてほしいがその物騒代表沖矢さんにいぶきさんのお迎えを頼んだのは俺だった、そしてそれは安室さんにも筒抜けらしい。いやでもだってあんたここ最近いなかったろとは口が裂けても言えそうにない空気だったのでへらっと笑うだけにしておいた。倍の輝きで笑顔を返されて死ぬかと思った。威圧感がありすぎる、顔が良いってこういう時も得なんだなとちょっと思ってしまった。
「まぁたあいつか、あの胡散臭い糸目」
ふん、と手に持っていた新聞を畳みながらいうおっちゃんはどうやら沖矢さんをあまり好ましく思っていないらしい。そうはいってもそこまで関わりがあった訳でも無いし、なによりすぐに人への態度をコロッと変えるおっちゃんなのでこの評価も特に理由があってのものではないのだろう。おそるおそる安室さんの顔を見上げたが「どうしたんだい?」と本当になんでもないように首を傾げられて女優の息子として素直に感嘆した。畳められた新聞を机に雑に放り投げなげながら椅子に背中を預け大きく溜息を吐いたおっちゃんがなんだか珍しく険しい顔をしていたのでそちらに意識が向く。こちらの視線につられてか安室さんもそちらに顔をむけ、不思議そうな顔で口を開いた。
「どうしたんですか?なんだか憂鬱そうですが…」
「あ?誰が」
「先生が」
自覚がなかったらしいおっちゃんが怪訝そうに眉を上げて「どこがだよ」と言い返すがどうにも空元気に見えなくもない。競馬は今日は買っていないし特別何かがあったわけではない。あったとすれば先ほど会話にあったいぶきさんのことくらいだ。ことぐらいというか、間違いなくこれが答えだった。おっちゃんも危なっかしいいぶきさんの事は真剣に気にかけているらしく一時期蘭のように護身術でも覚えさせるべきかと悩んでいたのも知っている。賛成したい気持ちもあるが蘭二号が産まれるのはちょっと賛同しかねるからなんとも言えない気持ちになったが。いぶきさんが逞しくなるのも想像できなくて嫌すぎる。
「いぶきさんのこと?」
「…ちょっとな」
そういって億劫そうに机の引き出しをガラッと開けたおっちゃんは中から大きめの紙袋を取り出した。雑にむりやり詰め込んだのだろう、角がくしゃっとひしゃげてはいたが見るからにいい紙を使った高そうな紙袋だったのでそれをおっちゃんが持っているというアンバランスさに違和感を全力で感じた。机の上にその袋の中身を雑に広げられたので地味に高さが足りずに見えなかったこと虚しく思いつつ、安室さんがそれを手に取ったのを下から眺めた。冊子というには薄く、本と言うには少し大きい。
「なにそれ」
「見合い写真だとよ」
みし、と頭上から嫌な音がした。俺は絶対に上を見ないことを心に決めて裏返った声で「へ、へぇ〜」と言うことしか出来なかった。話の流れ的にいぶきさんがお相手なんだろうことは推理しなくとも誰だってわかる、唯一救いなのはこういった話にテンションを上げる女子高生と言う生き物がこの場にいないことだろうか。頭上から「ほぉー…」なんてひっくい声が降ってきて、なんで俺は今日歩美達の誘いを断って帰って来ちまったんだろうと心底思った。いや、博士の家に行くと言っていたから必要以上に実家付近に近寄るのもよくないと思ったんだった、完全に仇になっているが。
「ちょっとした知り合いの息子なんだがな……いい評判がない」
うわあ。こんな所でもなんて男運が無いんだいぶきさん、ちょっと面白いレベルだ。まあその中でも俺的殿堂入りはこの安室さんだったりするんだが。おっちゃんの話曰く、その評判とやらが親のコネをつかっての豪遊にはじまり、激しい女遊び、まともに働いてすらいない典型的なお坊ちゃんでそりゃもう横暴を絵にかいたような人格なんだとか。いやなんでそんな奴の受け取ってきたと思っていたのだが、どうやら昔の上司の知り合いでもあって断れなかったんだとか。
「それじゃあ警察関係の方なんですね、お父様は」
「まあな〜、親父さんの方は俺も世話になってるしよ…それに親父さんの方がいぶきちゃんの事を気に入っちまっててなぁ〜あ〜どうすっかな」
知りたくもないのになんとなく安室さんが考えていることが分かってしまうのが本当に嫌だ。確認するように警察関係者であることを口にしないでほしい。下手な事をすれば自分の命の危機があることをこの人は分かっているんだろうか、我が国の潜入捜査官様は大丈夫だと信じたいが偶に吃驚することするからなこの人。まあ警察庁の公安が口を出せばそんなお見合い話一瞬で塵芥となるだろうが。しかしその行動の痕跡はいぶきさんも残ってしまうのだ、あまりこれ以上あの人に警察に関する経歴を残したくない。もう手遅れな感じがするのも否めないが。
「角が立たない様に断れればいいわけですよね、先生としては」
「ん?まあそうだが…」
「恋人がいることにしてしまえばいいんですよ、将来を誓い合っている仲の男性がいると」
副生音で「僕と」という単語が挟まった気がした。おっちゃんもそれを感じたのかお前とか?と言わんばかりの嫌そうな顔をした。俺もおんなじ顔してると思う。ただその顔を安室さんに向ける勇気は微塵もない。
「前もそんなこと言ってたなお前…その気もないのにそんな事ばっか言ってっと痛い目見るぞ」
「僕はいぶきさんさえ良ければ問題ありませんよ?」
「あのな〜」
はあと大きく溜息をついたおっちゃんは体ごと安室さんの方へと向き合った。ぎいとキャスターが軋んだ音がして、まるでこの空間の軋轢が音を立てたかのようなピリッとした雰囲気を漂わせた。珍しく少し怒ったようなおっちゃんは真っすぐと安室さんを椅子に座ったまま見上げている。こういう時に逃げようもないくらいに視線をそらさないのは、ああ蘭の父親なんだなこの人はと思わされる点でもあった。蘭は嫌がりそうだが、案外二人は親子らしく似たところが多い。
「そのいぶきちゃんが良かったらって態度は、結局は全部あの子に丸投げにしてるようにしか聞こえないぞ」
「いえ、そんなつもりは…」
「お前がいぶきちゃんの事をどういうふうに思っているのかは分からんが、“いぶきちゃんを思っての慈善行為”ならやめておけ」
「…」
「あの子は別に、可哀想な子じゃない」
疲れたように背もたれに体を預け、ジャケットの内ポケットから煙草とライターを取り出したおっちゃんはどこか昔を回顧するような目をしている。俺の知りえない何かがそこにある気がしたが、それを暴くと誰かの心をずたずたにしてしまうようなそんな恐ろしさを感じた。それすらも知りたいと思ってしまうんだから自分の性分に少しだけ呆れてしまいそうになった。
「…わかってますよ」
「…ならいいが…ったく、探偵なんぞ碌なもんじゃねーなあ、娘に連れてきてほしくない職業ナンバーワンだ」
うっかり流れ弾に当てられてずっこけながら、ふいに安室さんの顔を見てみれば想像と違いずっと穏やかな顔をしていたのでなんだか見てはいけないものを見てしまったようなそんな気持ちにさせられた。
投稿日:2018/0506
更新日:2018/0506