その血はあなた



――――可哀想な子じゃない
思った以上にその言葉は俺の深いところに突き刺さったらしい。リフレインするようにずっとその言葉が頭の中でぐるぐると回りわんわんと反響している。そんな風に思ったことはなかった筈だった、慈悲行為なんてそれこそもってのほかで、その他大勢とあいつを並べたことなんてなかった筈だったのだ。それでも、その言葉がぐさりと刺さって抜けないという事は、つまりは図星だったんだろう。もしかしたらどこか心の奥底で、いぶきのことを吐出させず、他の人間と横並びになるように扱っていたのかもしれない。あいつが危なっかしいことをこれ幸いと言い訳に使い、不幸にあうあいつが哀れだからと、安室透であれば放置しないだろうとそんな理由がどこかになかったかと言われてしまえば、悲しいことに完全に否定が出来なかった。
どこかで、いぶきのことを可愛そうな奴だと思っていたんだろうか。その同情は、下手をすれば見下したそれになることを俺はよく知っている。同情なんて可愛らしい感情が自分に残っていたとすればそれも驚きであるが、それをいぶきに向けていたかもしれないという事が思いのほかショックだった。俺があんな消え方をしてそれでも今をあんなに真っすぐと美しく生きるあいつのどこに憐れむ要素があるだろうか。どちらかと言えば。


「(滑稽で哀れなのは俺の方だ)」


前方の信号が赤に変わり、ブレーキを数度にわけて踏み込めば滑らかに車体が停止する。凪いだ運転とは裏腹に心の中は大荒れもいいところだ。荒れ狂うようなこれはきっと後悔だとか自分に対する怒りだとかそう言った類のもので、こんな風に掻き乱されている時点でもうとっくに腹を括るべきだったのだ。もうきっと、再会してしまったときから俺は無様に足掻いていたんだろう。仕事の片手間で引き留めていられる相手ではなかったのだ、そうだと分かっていたから昔手を離したというのに、結局は色々な事を言い訳にしてあいつのことを振りまわそうとしていた。今の状態で俺の手元に留めておこうなんて傲慢な事を思っていたのだ。
信号が青に変わる。もうずっと見ない様にしていたことを突きつけられて、選択を迫られているのだと分かっている。何に変えても譲れない物がある。絶対に俺の中の優先順位は変わることはない、一番上にあるそれが揺らぐことがあるとすれば、それはきっと俺と言う警官が死ぬときだろう。けれど、そのカーストの中に位置しないのがいぶきなのだ。その存在を脅威と取って昔と同じように手を引くのか。それとも諦めて引き込んでしまうのか。
こうやって迷っている時点でもう答えは出ているようなものなのに、それでも選択しようとしているのだから俺と言う人格は面倒臭いんだと言われたのだろう。絶対に聞こえるはずのない笑い声が遠くから聞こえた気がして思わず自嘲が零れた。「おまえは我儘だよな」と言ったのは誰だったか。「頑固者め」と呆れていたのは誰だったか。まだ笑い声は覚えているというのに、話した時の声をもうすっかりと忘れてしまっていることに気が付いて、打ちのめされた。
見上げた先にはいぶきが住む部屋。決着を付けなければ、俺はいい加減進みたいのだ。駐禁を取られない適当な場所に車を停めて、バタンとドアを閉じれば耳鳴りのように聞こえていた笑い声が途端に聞こえなくなった。

そうやって笑ってくれる奴等も、遠ざけている間にみんな無くしてしまったんだから笑うしかないだろう。




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投稿日:2018/0506
  更新日:2018/0506