手渡しの毒林檎

「つーことで雪男、お前も燐といろ」


「…え?」


言われた意味がわからなかった。
思わず、は?といいそうになってしまった程にだ。
けれども神父さんの顔は真剣そのもので、どこか顔色も優れない様に見える。
そんなに深刻な話しでもするつもりなのか、そして何故僕の退席を願うのか。

意味がわからなかった。
結論として、彼女は魔障者ではなかった。
すごくホッとしたし、いきなりそんな意味の分からないものが見えてしまった人に説明するだなんてこと僕は慣れていなかった。
神父さんだって僕ら程に成長した彼女にそれは流石に辛いんじゃないかなと思っていたからだ。

だからこそ僕はホッとしたかったのに、神父さんの態度がそうさせてくれなかったのだ。
喉も確認して、駄目押しに目の前に魍魎でビッシリの瓶を突きつけた。
これでもどうだと言わんばかりにその瓶をあけて魍魎を溢れさせたって彼女には飴玉の存在しか見えていなかった。
全く動揺しなかったし、神父さんが目の前で一匹潰したって瞬き一つしなかった。
彼女は"見えていない"人だった。
なのに、神父さんは彼女を帰す気がまるでなかったように思う。
実際には僕に送って行く様に言ったし、見送りまでした。
でも神父さんが無茶苦茶言ってもう一度彼女の背を修道院に押した時、やっぱりと思ったのだ。
門の手前になって彼女は明らかに"見える"素振りをした。
兄さんがなんだ?と隣で驚いていたけれど、僕の驚愕はそれどころではなかったのだ。

なんで、さっき迄は全然見えてなかったのに。
おかしい。
10分も経っていないのに、時間差のある魔障なんて今のところ確認されていないし、あったとしてもこのタイミングであり得ない。
冷静に考えなければと深く息を吐いてもぐるぐると頭を回る言葉は憎たらしいほど変わらない。

"さっき迄は見えていなかったのに、何故?"
だからこそ神父さんの行動なのだと素直に思えるほど頭ではすんなり理解出来るのに。
どうしてだか、やっぱり帰す気がなかったんだななんて思うのだ。
彼女に、何かあるのだろうか。
確かにそんな雰囲気を彼女はどことなく持っているけれど。
でも、だったらなぜ一度外に出て帰そうとしたのかが分からない。
帰そうとした?いや、そうだったのか?
やっぱり、神父さんは彼女を帰す気がなかったんだ。
理解していたはずの頭でそれが覆されてしまう。
夏目さんに、なにかあるんだ。
じゃないと今、僕まで蚊帳の外にする意味が全くわからない。


「わかりました、それじゃあ"また後で"」


にっこり微笑んだところで神父さんが苦笑する。
言外に面倒だと言う表情なのを理解して益々笑顔を深める。
話をきちんと聞かせて下さいと、目を見て訴えて僕は背を向けた。

歩きながら知らないうちに両手に力が入っていた事に気がつきやんわりと手を開く。
だってそう言う事だ、僕じゃ力不足だと言う事なんだ。
だからお前は引っ込んどけ、そう言われたも同然だ。
悔しい、けれど。
事実だ。
それが分からないほど僕は馬鹿じゃないし、自惚れていない。
二年前からやっと祓魔師としてまともに動けるようになったというのに、それは神父さんの前では到底及ばない、及ぶはずがない。


「(凄いよなあ、神父さんは)」


思わず笑みを浮かべていたと気が付き、余計に笑ってしまう。
悔しいけど、わかってるんだ、神父さんは凄い。
何時だって憧れだし、目標だ。
居間に繋がる扉の前で一旦立ち止まる。
今回はきっと神父さんがなんとかしてくれると確信を持ち、さっきまでぐるぐる頭に渦巻いていた疑念がすっきりしているあたり、神父さんに頼ってしまったけれど自分も頑張らねばと思う。

そうだ、だから僕はがんばらなきゃならない。
守らなきゃ。
神父さんと一緒に、約束したんだ。
よし、と心のなかで意気込んで最近蝶番が妙な音を出すようになった年季の入った扉を開ける。
ぎぎぎ、と呼び鈴のように自分の入室を知らせる扉があくと同時に、中から甘い匂いが漂ってきた。


「あれ、兄さんなにしてるの?」


「なんだよ雪男かよ、ビビらせんなよ…」


どうしてそういう判断に至ったかは知らないが鍋の蓋を盾のようにもち身構える兄に少し頭痛がした。一体何と戦うつもりなんだろう、そしてそれで勝てると思っているのだろうか。


「なにか作ってたの?」


気にしない方向でスルーすれば、少し気恥ずかしそうに蓋を置いて目線を彷徨わせた。


「あ、あいつは?」


「あいつって…夏目さん?」


いや、わかんねぇけどさっきの女子。
となんとも兄さんらしくぶっきらぼうに言う。


「ふーん、ココア作ってあげてたんだ」


コンロにのる鍋を覗けば匂いが一層濃くなり、相変わらずなんて似合わない家庭的さなんだろうと木べらを持つ手を見ながら思ってしまう。
ニコニコ笑ながら問えば案の定図星をさされたように余計に慌ただしくなる。


「いや!…いや、違わねーけどその、なんだ、顔色悪かったし…俺が飲みたかったんだよ!!」


なんて嘘の苦手な兄だろうと微笑ましく思ってしまう。
ちょっと可哀想になってしまったので助け舟を出してやった。


「ねぇ、僕の分もある?」


「へ!?…あ、ああ…まあ、足せば作れっけど…」


「じゃあお願いしてもいい?」


「…お前普段自分からこーゆーの飲まないのに珍しいな」


そう言えばそうかもな、なんてぼんやり思うが飲みたいと思ったのも本当だ。
確かに珍しいかもしれない。
なんでだろうと思うも、兄さんがポツリと呟いた言葉に思考を奪われた。


「こんな感じの匂い…いや」


なんか違うな、と一人でブツブツ言いながらも底が焦げない様に手をくるくる回しながら妙なことを言う。
反対の手で牛乳のパックを持ち、適当な量をどばどば注ぐ。
みるみる薄くなる茶色に、こんどはその色をバサリと加える。
適当に見えるけどきっと分量だとか考えているんだろう、もとの色と変わらない量の増えたココアに、手早いなあと感心した。

こんな匂い、そんなことをいったあとに少し難しい顔をした兄さんに珍しいなと思いながら声をかける。料理をしている時にこんな顔をしている兄を見たのは初めてだったのだ。


「兄さん?」


「あ…?いや、なんでもねぇよ」


こんなもんでいっか、と火を止めた兄さんに僕もそこまで掘り下げるつもりも沸かなかった。


 - return - 

投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126