手渡しの毒林檎

「ごめんな、本当に、俺のせいでもあるんだ」


奥村君が廊下を曲がった所で、藤本さんはいきなり謝罪してきた。
状況も意味も飲み込めなくて黙っていると立ち話もなんだな、と元来た道を促されて歩く。
日差しが眩しいくらいに顔に当たり、一瞬世界が真っ白になったけれどまたすぐに藤本さんの背中を見つける。
教会に入ればまあ座ってくれ、と参列者の座るであろう長椅子を進められ遠慮がちに腰掛ける。
木製のそれはどこか年季の入った雰囲気だが、そこがなんとなく座り心地のいいものだと思える椅子で、思わず息を深く吐いてしまった。
そんな私に気がついたのか分からないが藤本さんは少し距離を開けて同じ長椅子に腰を降ろした。


「これから話すことは大事なことなんだが、信じられんかもしれん。」


「え?」


てっきり、私が根堀り葉掘り聞かれる側だと思っていたのだが違ったらしい。
心底ホッとして、よかったと何度も頭の中で繰り返す。
天井の高いこの場所のせいか、私の声も藤本さんの声も変に響く様に聞こえる。
よかったと言えば、奥村君が家から出なかったのも安心した。
だってもしかしたらあのまま買い物に行く可能性だってあったのだから。
でも、だったらこの人は私になにを話すのだろうか。


「正直、俺も半分は理解できてないんだがな、みことちゃん、聞いてくれるか?」


神父の話を聞くだなんてなんだか不思議だ。すぐ横にある懺悔室を視界にしながら思う。
人のお話を聞く人から、そんな風にお願いされるだなんて変な感覚だなと頷きながら膝の上の拳を見る。教会に来たことが無くてもこれくらいの事は知っていた。


「まずは、そうだなあ…。今日見たものについて話そうか」


今日見たもの、彼の指すものが分からなくて横を見れば藤本さんは前を見据えていた。


「さっき、門の所にいたのは悪魔だ」


門の。
ざわ、と背中を何かが這うように悪い予感がした。


「もう、見えちまうんだろう?」


酷く悲しそうに笑い、一瞬この人が怖いとおもってしまう。
何を見えているって?
傲慢に腕を持ち上げて空で開いていた手を閉じた。
そしてその手を私に近づけ、また開いた。
ふわっと、黒い何かが漂い反射的に目で追いかける。


「そう、それは悪魔だ」


ギクリと肩を強張らせてしまう。
何故ならそれがキキッと鳴いて、歯を剥いたのを理解してからの言葉だったからだ。
ああ、目で追いかけてはダメだったんだと今更理解したが遅すぎた。やってしまった。


「ごめんな、みことちゃん」


痛々しく頭を下げられてしまっていた。
お願いです藤本さん、そんな風にしないで、そんな、だって私は元々変なものが見えてしまう人間なんです。
だからどうか勘違いを解いて、私が勘違いをしているんです、見間違いとか気のせいとか、別に何も見てません私、だって気のせいなんですから。

でも、どうしてそんなに悲しそうなんですか。


「みことちゃん良く聞いてくれ、今見て判る通り"俺"にもこれは見える。」


「あ、」


そうだ、今間違いなく藤本さんはこのおかしな生き物をその手で掴んだのだ。
酷く間抜けなことにそんなことに言われてやっと気がついたのだ。


「え、あのそれじゃあ…」


「だけどな、」


藤本さんも、と期待を込めて聞こうとすれば少しだけ強い口調で遮られる。
初めて会ったのだ見える人に、そんな“人”は今までいなかった。
純粋に私はこの時嬉しかったのだ。
あまりにも自分の視界にしかそれが写らないから、一時期は本当に自分が可笑しくて、どこか患っているんだと思い込んだ時期だってあったのだ。
それくらいに私しかこれらは見えなくて、いつまでも孤独を感じていたから、共感してくれる人がいて、同じ景色を見ているかもしれない人の出現に驚きつつも嬉しさが大きかった。

けれど束の間の期待だった。


「今日から見えるものだけなんだ、みことちゃん。」


理解できなくて横顔を見つめながら続きを促してしまう。


「みことちゃんが今日まで見えていたものと、これは、全く違うものだ。」


「ごめんなさい、意味が…」


「みことちゃんに見えて、俺には見えないんだよ」


全くと言っていいほど理解が追いつかない。
だって今日は色々ありすぎた。
おかしすぎる日だ。

だって私の名前を知ってる妖に追いかけまわされて、逃げて逃げ込んで、そしたら藤本さんが見えるなんて言って、確かに見えてて。
でも。

だからどういうこと?
呆然とまではいなかいがかなり近い状態の私に苦笑して、藤本さんは口を開いた。
まるで私の反応が予想通り、みたいな。


「この世界には俺達の住んでいる物質界(アッシャー)、悪魔達の住む虚無界(ゲヘナ)とが存在している。合わせ鏡の様に、確かにある世界だ」


そんな私を気遣うかのようにゆっくりと物語を聞かせるように語り始める。


「本来ならこの二つは決して交わることはない



横からだから眼鏡に邪魔されることなく藤本さんの目がみえる。
その目が今少しだけ細められた。
なにか呟いたようだがこの距離でも聞き取れないほど小さなものだった。


「だが、悪魔達は色々なものに憑依して、こちらに干渉してこようとする。
俺達…祓魔師はそれを阻止するのが役目だ」


鋭くなった目はまた緩んだが何処か苦々しい表情だった。
わからないことだらけでまともに動かない脳だが、聞いた言葉はキチンと記憶している。
アッシャー、ゲヘナ、エクソシスト。


「そこで近年まで否定され続けてきた二つの狭間の世界の存在が極少数の人間にのみ、実際は存在していた事が知られ始めた。合わせ鏡のその狭間…」


そしておもむろに此方に紅い目を向き合わせ、しっかり私を見て話しを続けた。
そこに呼び名もあるのだがいかんせん曖昧なものだから、そういいながらその眼は私から離れない。


「みことちゃんが今日まで見ていたのは全部、そこのものだ」


「…えっ、と…」


何をしなければならないのかがわからない。
だって藤本さんは見えている人だし、私も見えているのを知っている。
こんなこと今迄なかったから嬉しい筈なのに、藤本さんは私に見えて藤本さんに見えないものがあるといった。
誤魔化すのもちがうし、否定するのも違う。

それが、今日まで見てきたもので、それで、それで……。
今日から見えるものと、今迄のものとの違いなんてあるのだろうか。
この黒いものは、藤本さんは見えるといった。
確かに見えていた。

それで、だから…。
やっぱり、なにが言いたいのかわからない。
だって何故かは知らないけれど、その藤本さんが見えないと言ったものが私には見えることを、当たり前の様に知っていたからだ。
ゾクリと、冷や汗が垂れたのか身体を悪寒が走る。
なんだか、藤本さんが怖い。
理解できないこの状況も、怖い。
なんだって今の今まで誰も、誰一人として信じてくれなかった私の目に見える世界を、初めて肯定してくれて、それだけでもいっぱいいっぱいなのに。


「…みことちゃんの身内に、レイコという人がいないかい?」


レイコ、夏目レイコ。
それが確かに身内の名前であると気が付いて、目を見開いてしまう。
私と似て、親戚に疎まれていた私の祖母の名前。
変な人だったと、誰に聞いてもそういっていた。
もうすでに祖母の近い親戚も私しかいなかったから、何度も引っ越しを繰り返している少ない私の荷物の中に祖母の遺品もあった。

驚いて藤本さんを見ればその反応で肯定なのだとわかったようで苦笑していた。


「…祖母の、名です。」


祖母…?…そうか、お孫さんだったか。
そういって少し嬉しそうに、どこか険しい顔をする藤本さんの真意が分からなくてただぼうっとしてしまう。
もうずっと私は理解が追い付いていないんだとおもう。
うなづいているだけできっと、なんにも理解できていない。

だって、悪魔って。
私が妖と呼んでいたそれをそういう呼び方をしているのではないと、彼は言った。
そしてエクソシストはそれを払う仕事をしていると。
お寺の住職さんで妖を寄せ付けないような人は見たことはあったが、そうではないらしい。
それにあの住職さんも結局見えていなかったからその時は少し落ち込んだ記憶があった。
そうじゃない、今それは関係がない。


「君のお祖母さんも、視える人だったのは知っているか?」


「みえる…」


「あぁ、君と全く同じ風景が見れる奇異な人だった」


そこまで言われてやっと、少しずつ頭が働きだした。
祖母は変な人だった、私と似て親戚に疎まれる人で、だから……

その訳までもが、私と同じということなんだろうか。
あった記憶のないその人に思いをはせる。
それは変な人と言われてしょうがないだろう、だって人に見えないものが見えるというのはそれだけで十分変なのだから。


「昔、世話になったことがあってね」


回顧の目をしている藤本さんに、そういえば祖母の話をするのも随分と久しぶりだと思いだす。もう祖母を知る人の家にはお世話になっていないし、いつだったか祖母の話題をだして酷く不快な顔をされたことがあったのだ。
思えばきっと、私と祖母が似たような行動をしていたからだろうと藤本さんの言葉で簡単に予想がつけられる。


「それで、だ」


そこでまっすぐ真剣な目を向けられてビクリとしてしまう。
そんな私に少し苦笑した藤本さんもまたすぐに目をもとの真剣な色に戻してしまったから私も自然と背筋が伸びた。


「その狭間にいるものたちが見えている人間というのは、体質的に…そういう力が強いらしい」


だから見えるのだそうだ、という彼はどこか曖昧な言いようだったが私にはその言葉に聞き覚えがあった。
きっとそれは妖がよく言っている言葉にあったものだ。
人間のくせに妖力の強い奴め、妖力もあって旨そうだ、そんなことを言われたとこがある。

見えるまではいかなくても勘のいい人というのは良くいる。
そういう人は妖がそばを通ったりすると気分が悪くなったりして、ああきっと弱いけれども妖力をもっているんだろうとそんな風に解釈していた、多分間違っていないとおもう。
それが自分は桁外れに強いと、言われたこともある。
話せる、触れる、殴ればへにょへにょの拳でも大げさに痛がる妖がそんな風にぎゃあぎゃあ言っていたのを思い出した。


「そして、そういう人というのは本来、虚無界の干渉を一切受け付けない」


ここからは俺も正直理解しきっていないし専門外だから分かりにくいだろうが…と付け足しながら言葉を選ぶようにゆっくりと話す藤本さんを、もう怖いだなんて思うことはなかった。


「だからこそ…みことちゃんは一生その世界を知らないままでよかったはずだったんだが」


そこでついに顔をしかめてしまった藤本さんは深くため息をつきながら、なにやら思案しているようだった。
藤本さんは、祖母の知り合い。
だから私の見える妖の存在を知っている、けれども彼自身に妖力がないから見えない。
冷静になってきた頭でそうやって噛み砕くように理解していく。
どういう経緯で祖母と関わりがあったかは知らないが、祖母は藤本さんに見えるという事を打ち明けていたということだけははっきりしていた。
祖母が信じた人を、私も信じたいとそう思ったのもあるが、なによりこんな風に私のことであんなに太陽の様に笑う人が悩んでくれているのを受け入れないというのはおかしな話だった。
だから、ちょっとずつ理解し始めていた。


「私は、それも見える様になったって、ことですか…?」


そういえばますます、見る様に見れば少し泣きそうな、そんな悲しそうな顔をする藤本さんにそんな顔をしてほしくなくてなんとか微笑む。実際、大した問題ではないように思えたのだ。
ただ視界に映る変なものが増えた。
それだけで私の生活にはなんの変化もないだろうし、無視するものが増えたというだけだ。


「正直、俺もどうしてみことちゃんが魔障を受けちまったのか…よく、わかってない」


本当ならそもそも悪魔なんて寄せ付けすらできないくらいなんだよ。
そう続けた藤本さんにそういうものなのかと聞くことしかできずにただ頷く。
いままで存在すら知らなかったものの説明をされたって、それに関して知識を持ち合わせていない私だからそうするしかできないのは当然だった。


「…ま、混乱しちまうのはしょうがないな、ごめんな、こんなこと一気に聞かせちまって」


そう区切った藤本さんはどうやら私からはなにも聞かないらしい。
きっと、確認のようなものだったんだろう。祖母の知り合いだったのだから当たり前かもしれない。

祖母が見える人だった、それを知る人がいた。
その大きな事実が私を落ち着かせてくれていたらしい。それだけでなんだか全部納得できる気がした。
なにか詳しく分かったら、また話聞いてもらえるか?とそう訪ねてくる藤本さんに笑顔で頷くとこができたのはきっとそんな理由からだった。
結局は嬉しかったのだ。祖母の真実を知れたことだって、藤本さんが理解してくれる人だと分かったことだって。半分とはいえ、訳の分からない世界を共有できるのだと知って。
帰ったら、久しぶりに祖母の遺品を整理しよう。
そんなことを思いながら、藤本さんの懺悔するような視線に気が付けないでいた。全てを語られていないことに、気が付くはずもなかった。自分がどんな状況に置かれているのか、理解しきっていなかった。




 - return - 

投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126