手渡しの毒林檎

「なんだ、随分甘い匂いすんな」


「神父さん、もういいの?」


そのまま藤本さんに連れられて、先ほど通った居間のほうに戻れば、確かに甘くホッとするような匂いがした。
扉をあけながら私にではなく室内に話しかける様に声を発した藤本さんの声に、奥村君の声が返答を返していた。
少し躊躇っていればその空気を察したのか、こちらに振りかえり入るように背中を押されてしまう。流される様に扉をくぐれば甘い匂いに包まれたようなそんな感覚を覚えて肩の力が抜けるのを感じた。そうすれば思ったよりも体が強張っているのを感じて、他人の家でしかもこんなに濃い時間を過ごしてしまったのだから当然かとちょっぴり息をついた。
緊張してしまうに決まっている。

そろりと室内を伺えば奥村君が手元の本にしおりを差し込んで閉じているのを見て、思ったよりも長い時間あそこで話していたのだと知る。
そしてこちらに顔をあげて目が合ってしまってほんの少し動揺した。
藤本さんに言われたことが頭をよぎったのだ。

いいか、雪男になにか聞かれてもなんも言っちゃならんぞ。あいつはその狭間の話すら知らんからな。
そういうという事は、もしかして彼にはなにか聞かれてしまうのかと身構えてしまったのだ。藤本さんの話では奥村君もその悪魔とやらは見えるらしい。だとしたら、見える人からの質問をどうかわせばいいのか私はとんと見当がつかないのだ。
見えない人の事を誤魔化すのは意外にすんなりいく。それなりに誤魔化せば怪訝な顔をされはするがそれが妖のせいではないかと思う人なんて全くいないのだから、それさえ誤魔化してしまえばもうどうなってもいい。だから気にしなくてもいいのに、彼はそうはいかない。
藤本さんの時のようにあっさりとすべて見透かされてしまいそうで、結局私はその悪魔すら見えていることを隠していくしか方法がないと思って藤本さんにそういったのだが返ってきたのが苦笑だったのでびくびくしてしまうのだ。
ただこちらに目を向けられているだけだというのに過剰に反応してしまって、どうしてこんな時に上手く嘘がつけないのだとほんの少し泣きたくなった。
しかし、自分が思っているよりもそれらは表情に出ていなかったようで、すこし不思議そうな顔を返されただけで安心した。

それにしても、本当に奥村君も、その…みえるんだろうか…
藤本さんはああやって行動でハッキリとしめされてしまったから信じるしかないのだが、どうにもそう簡単には見える人がいるということを受け入れられない私がいる。
おかしな話だ、長いことこんな妙な視界を共有してくれる人がいないかと探したことだってあったのに、いざ目の前にその事実を突き付けられると怖気づいてしまっているようだ。


「ココアか?珍しいな」


うちにそんなものあったのか、と私に一つ椅子を勧めながらそういう藤本さんに感謝を述べて恐る恐るそこに腰かけてしまう。ちょっとずつ体がまた強張っていくのを自覚しながらどうしたものかと考える。
あまり長居するのはきっとよくないだろう、でもこういう時の切り出し方を私は知らないのだ。

その時こつり、と目の前に湯気をたてるマグカップが置かれたものだから驚いてしまう。
ビクリと反応してしまった私の肩に同じく反応したようにそのマグカップを置いた手もビクリと強張るのが見えて、その腕を辿ってまた驚いてしまった。
噛んだ、あの彼だった。その目は少し怖がっているかのような雰囲気でこちらを伺っていて、悪いことをしてしまった気になる。口をパクパクして言葉になりきらないなりそこないの音が少し漏れてはいたが、それだけでは私にはどうしていいのかますます困ってしまって、すこし混乱してしまう。しかし、それを中和するかのように甘い匂いがマグカップから漂ってきて、ここでやっと何をするべきかわかった。


「あ、りがとうございます…」


私に、という事でいいんだと思う、多分。戸惑いながらもそういえば、中途半端に開いていた口をきゅっと結んで、ツイっと目を反らされてしまう。かち、かち、と時計の針の音しかしないようなそんな静けさに私の小さい自信なさげな声は、それでも届いたはずだった。

あ…れ、間違えただろうか…
そんな反応にがちりと固まってしまった私だったが、ぶはっと藤本さんが噴出したことでそんな緊張もほんのりと緩まる。


「燐、お前はシャイボーイか!」


そういってゲラゲラ笑いだした藤本さんにう、うるせー!と大声を出して半ば殴りかかるように詰め寄るココアをくれた彼を見て、何故だか今日一番の安心感を感じた。
安心感というより、そうだ、ココアの甘い匂いにホッとしたようなあの時のそれに近い。
私だけではなかったのだ、緊張していたのは、どうすればいいのか手探り状態だったのは。
それでもこうやって、私の為にとなんと声をかけていいかも分からずにこうやって、心遣いをされてしまえばもう、その剥き出しの優しさが伝わってきて嬉しかった。


「ごめんなさい、兄さんシャイだから」


「ゆ、雪男―!!!おおおおまえも黙ってココア飲んでろバカやろー!!」


奥村君がクスクス笑いながらそうやって雰囲気だけはこっそり、でも普通の声でそうやって付け足すものだから余計にわーわーと、もう怒っているかのように怒鳴りだして、それなのに人数分のココアを用意し始めている彼を見て、ココアに浮かんでいるとろりとしたマシュマロを見つけてしまって。
もう、堪らなくなった。


 - return - 

投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126