熟れた造花の実


もやもやとしたまま結局朝を迎えてしまい、部屋にいるのも落ち着かなくてまた昨日の様に町を歩こうとふらりと家を出た。
共働きの吉備夫婦はこの時間帯にはもう活動し始めていて、だからこそその二人が忙しそうに準備をしているのを脇目にコッソリと出てきてしまった。普段は私が起床する前には出ていってしまうから、きっと気が付かないだろうとたかを括っての行動だった。
確かおばさんは午前中に一度戻ってくるだろうが、どちらにしても己には関係のないことだった。

ここにきてまだ日が浅いから外を歩くのは楽しい。別に、あの家が居心地が悪いとか…そんなことでは、ない。
そうはっきりと明言できない自分は嫌な奴だなと思いながら、ほとんどなにも入っていない鞄をかけなおす。
なにを思ったのか、私は友人帳をこの鞄に入れていた。一番場所をとっているのは間違いなくこれだ。それでも気になってしまってしょうがないのだ。
午後になったら高校の制服を買いに行くという予定だった。今行ってしまってもいいよなと思いながら、それでも吉備さんに封筒で渡されていた制服用のお金を部屋に置いたままだったと思い出した。やっぱり午後にいこう、いま出てきたばかりなのにすぐに戻るのもどうかと思ったし、うん、そうしよう。

迷わない程度に歩こうと足をゆっくりと進める。
世間的にも春休み期間だからか、それとも朝早いからか人が少なくて遠くで車の音がするくらいだった。

ふと、どこかからか笑い声が聞こえてきた。
ゲラゲラと、決して聞いていてこちらが楽しくなるような声ではないのだがこんなに静まり返った朝早くから聞こえてくる声に好奇心が勝った。これだけ静かだからこそ目立った声だったから、きっと普段なら気が付けなかっただろうし、気にも留めなかったかもしれない。
明確な方向は分からないが多分こちらだろうと足を進めれば少し声が近くなったようで複数の会話が耳に届いた。
こっちは昨日来ていない方向だと思う。断定できないのは迷子になりかけたからだ。駅に置いてあるだろう地図でも今度貰っておこうかとそんなことを考える。自分なりに昨日の失態を気にしていたのだ、この歳になって徒歩5分の距離を子供よろしく案内してもらったのだ。恥ずかしい。

十字路にさしあたって足を止める、恐らくだが右だろう。
もう一本先に進んでしまったら大きな通りに出てしまうはずだからと頭の中で記憶している土地の絵を思い返していたが実際に歩くとなるとなかなか自信が無くなるものだ。実際さっきまで歩いていた道から大きな通りは全く見えなったから恐らく記憶違いだ。それでもあの笑い声の持ち主たちには近づいていたらしく、なんとなしに静かに歩こうと意識してしまう。
もともと少し気になっただけであるし、ちらりと様子を伺ったらいなくなるつもりではあったのだが、なにやら不穏なのだ。
笑い声だと思っていたのだがいつの間にか怒鳴り声が聞こえはじめ、ガスン、と妙な音もしている。後悔し始めたときに前方に公園らしき開いた場所を見つけ、ふと足の動きが遅くなるのを感じた。


「……ぇこいつまじでやべぇ…!」


「ゲホッ…悪魔だっ!いくぞ!」


そっと辿り着いた公園を覗き込めば、車の戸がバタンと閉じられる音が大きく響いてビクリとしてしまう。ワゴン車が出ていくところを目に留めいったい何があったのかと視線を彷徨わせればまだ薄暗い中に、一人ポツリと立っているのがみえた。
どうしても気になってしまい恐る恐る近寄れば、朝のカラリとした空気に混じって妙な匂いが鼻についた。


「あーあ、…」


またやっちまった…と一人でぼやく様な言葉が耳に届いて、あれ、と何かが引っ掛かる。
その引っ掛かりはなんてことはない、ただ単にその声に聞き覚えがあったからだった。
知っているといえるほど自信はなく、しかしそうやってなにか引っ掛かりを感じるくらいには覚えがあった。
その時、下を向いていたその人の顔をかすめる様にして後ろからハトが飛んでいき、伴ってその顔がハトを追うように上がった。
そこでやっと、あ、と気が付いた。


「なにやってんだ、俺…」


「奥村、くん…?」


思わず呼びかけてしまって、失敗したかもしれないと咄嗟に思った。彼とは特に自己紹介も何もしていないのに勝手に呼んでしまっては不快に思うだろうかと考えてしまったのだ。しかしそんな不安も一気にはじけてしまう。ん?と此方を向いた彼の顔が血に濡れていたのだ。鼻血を拭ったのか横に伸びた跡はそれでも痛々しく、左の目の下も切れているようで血こそ流れていなかったがパックリと開いている様に見える。


「え、あれ、お前…」


「け、怪我してる…」


どこか水道はないかとあたりを見回して、公園についている飲み水用であろう蛇口を見つけ、待ってて、と一言告げてそこへ駆けていく。ポケットに入れていたハンカチを濡らしてぎゅっと絞る。確か、前の前の家にいた時だったか、その時にもらったのだ。

水滴が出なくなったので開いてから四つにたたむ。
パタパタと走って戻れば茫然としたままそこに突っ立っている彼がこちらを見ていて、思わず走る足の速度が落ちたがそれでも止まりはしなかった。
近くで見ればところどころ汚れていて、なんだか自分を見ているようだった。
私もきっと、こんな風になって人前に出てしまうから悪目立ちしてしまうんだなとボンヤリと考える。
目を見開いたままキュッと口を閉じた彼がなんだかおかしく思えてしまって、思い切ってその顔についている血を拭ってみた。力加減が分からなくて、弱すぎたのかまた伸びてしまった跡にもう少しだけ力を加えてみれば簡単に綺麗になった。それに少しホッとして、やっとそこで声をかけた。


「え、っと…これ、使ってください」


順序を間違えたと気恥しくなったが、動揺しながらも受け取ってくれた彼に笑顔で答える。
すると少し焦ったようにそのハンカチと私とを見比べる様にして血を拭こうとしない彼に首を傾げる。


「これ…!ハンカチ汚しちまった、の…その…!」


「あ、あぁ、いいんです。気にしないで」


なんだそんなことを気にしていたのかと思いながらも、改めて優しい人だなと再確認する。
なかなか酷い怪我なのだからそちらを気にすればいいのに、それに勝手に顔の血を拭ったのは私が勝手にやったことだ。ハンカチを握った拳もボロボロにすり切れていて、きっと今夜の入浴の際に沁みるだろうなと己の経験と照らし合わせて苦笑した。
よく、妖に追い回されて道なき道を走ると泥だらけの傷だらけになってしまうのだ。こんな都会ではもう泥だらけになることはないだろうが。

そしてふと、つま先に何かが当たった感覚を覚えた。なんだと思って下を向いて後悔した。
ごろごろと転がっているそれが一瞬何か分からなかったのだが、飛び散る羽や液体を見つけて理解する。
ハトだ、ハトが沢山死んでいる。
咄嗟に上げそうになった声を、ぐっと飲み込んだ。
待て、落ち着け。こんな光景おかしい。もしかしたら彼には見えないかもしれないのだから、突然悲鳴なんて上げたら彼が驚いてしまう。変に、思われてしまう。
しかしそんな考えはすぐに杞憂だと彼の言葉で知る。


「あんまり見るな」


「っへ…、あ…」


鋭い声でそう窘められて一瞬息が詰まったが、顔を上げた先で真剣な表情をした目がこちらを見ていたから、その言葉がこちらを気遣っての言葉だと気が付く。
そうしてグルグルに絡まった一本の糸がするするとほどけていくのを感じた。もしかしてあの笑い声は、こんなことをしていた人たちの声だったのか、とか。もしかしてさっきのワゴンに乗っていったのはその連中だったのではないのだろうか、とか。
そうしてきっと。


「もしかして、止めるために喧嘩を…?」


ぽろりと口から零れた言葉に目の前の綺麗な青色の瞳が大きく見開いたのを見て、詮索するつもりはなかったのにどうして言ってしまったんだろうとまた後悔する。私だって聞かれたくないことを聞かれるのが嫌いで、そのたびに答えに困るのも嫌で、それなのに憶測だけでこうやって口に出してしまったのは浅はかだったかとうつむいてしまう。


「ご、めんなさい、変なこと聞いてしまって」


「へ!?あ、いや!ビビっただけだよ…その、よくわかったな」


勘違いされるだろうと思ってたからさ、俺こそ悪ぃ。とほんとうにばつが悪そうにして頭をかいている彼に少しぽかんとしてしまう。
なぜ謝られたのかは全く分からないが気を悪くしてしまうようなことにはならなかったらしい。ばつが悪そうな顔ではあったがその頬がほんのり赤く染まっていることに気が付いたからだ。照れている、のだろうか。
それでも今度からはあまり踏み込むことには気をつけなければと心の中で反省しておく。

それにしても、肯定されたということは、これは人が行ったことだということだ。
なんて酷いことをするんだろう、なんの意味があってこんなことをしたのかは分からないが、きっともし聞いたとしても理解できない理由なのだろうと思った。
あの時彼の頬を掠って飛んでいった一羽は、彼が助けた命だったのだ。それを思うと目の前の彼の勇敢で優しい行動に心から凄いと、暖かいひとだとそう思った。
普通、人はそんな場面に遭遇すると見てみぬふりをするものだと思っていた。そういう人をたくさん見てきたし、見てみぬふりをされたことだってあった。
でも彼はそうではなく、真っすぐとそれに立ち向かっていった。


「すごいね…」


「へ?」


「すごいよ、すごく…」


あまり出しゃばってものを言うのはやめようとそこで言葉を区切る。
そうしてせめてもと、朝日が昇り始めてしまった空を認めながらしゃがみ込む。
近くでみれば思っていた以上に血の匂いが強く、悲しくなったがその表情を隠すようにして笑顔を張り付けた。
公園がこんなことになっていたらきっと、子供が驚くだろうし騒ぎになってしまう。それ以上に供養してあげたいというエゴがなかったわけでもない。

持ち上げればずっしりとしていて、命の重さを思い知らされているようだった。
まだ、少しだけ暖かい。


「埋めてあげてもいいかな…」


驚いたような顔をしたあとすぐに、俺もそうしようと思ってた、と少し眉を下げて笑う彼に私も同じように笑い返したのだった。



 - return - 

投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126