熟れた造花の実
「おはよう、神父さん」「おぉ雪男、おはようさん」
嫌味なほどに爽やかに笑ってそういえば父は一瞬眉を寄せて、ついで両手を上げて心底参ったというようにため息をついてうなだれる様にして座っていた椅子に更に深く座り込んだ。なんだその反応。
彼女を送り届けた後、兄の目もあってなにも聞けず、結局そのあと自分の予定があったために時間が作れずに日をまたいでしまったが今は兄もおらず、父に逃げ場はなかった。自分なりに色々と考えてはみたがどれもしっくり来るものではなく、どうにも靄がかかったように釈然としなかった。
父の様子を見るに何か隠しているのは確実だ。きっと普通ならなにか隠されていることでさえ気取られない父なのに、今回は突然の事態だったのか分かりやすいほどにそれを捕えられた。父でも動揺するのか、と少し新鮮な気持ちを覚えつつもそんな風に隠されてしまえば暴けと言っているようなものだった。
恐らく父は彼女にこちら側のことを少なからず話したのだと思う。
それにしては予想していたよりも随分と落ち着いて見えた彼女は、正直悪魔が見えているのかと疑ってしまうほどで、だからこそ彼女に直接聞くことは躊躇われた。
「まあ、とりあえず座れ」
ため息交じりにそうすすめられ、少しむっとしたが黙って従う。
そういいながらも自分は立ち上がって入れていたのであろうコーヒーをカップに注ぐ。
お前も飲むか?と問われてそれじゃあと答える。コーヒーのいい香りが朝の空気に混じって漂い、ため息をつきそうなほどにホッとするようなそんな気持ちにさせられた。昨日の任務が中々にハードだったことが以外にも体は疲れを感じていたのだなと一夜明けて実感した。
お互いに一口喉に流し込んでテーブルにカップを置いたのを見計らって促すように二コリを笑えば今度こそ観念したように神父さんが両肘をついた。
「なぁ雪男、お前もし周りに誰一人見える奴がいなかったらどうする」
神父さんはいつもこうだった。簡単に答えてはくれないだろうと分かってはいたが、やはりこうやって質問に対して質問で返してくることが多いのだ。
自分で考えろとそういうことなんだと理解はしているのだが今回はどうも質問の意図が見えない。随分と飛躍した問いだと思いながらも、そのもしもを考えてみる。
もし、周りに悪魔を見える人間がいなければ自分ならどうするか。
小さい頃はその環境に置かれることもあった、よく覚えている。
周りの子供はあの黒い影が見えない、肩になにか乗せているのに気が付かずに笑っている。
それを口にしても嘘つきと言われることが多かったから、泣き虫だったころの自分はすぐに泣いていた。
そんなときに兄さんが助けてくれたし、なにより神父さんはこの不気味な景色を分かってくれていたから、そんなに苦い思い出は多くはない。
しかし、それは自分が恵まれた環境に育ってきていたという証拠だ。
本当に周りは誰も見えず自分だけが見える、そんな人間だってもちろんいるのだ。
自分だったら、そんな環境にいたら、どうしたか。
どうするか以前に、こう思うだろう。
「…考えただけでゾッとする、ね」
「そらぁな、そうだろうな」
正解、というようにニタリと笑う神父さんだったがだからどうだというのだろう。
そして考えられる一番簡単な答えを口に出す。
「夏目さんがそうだと?」
きっと、険しい顔をしていたんだろう。落ち着けと言わんばかりにカップを手に取って傾ける神父さんは少し考える様に一拍置いた後に肯定を示した。
「簡単に言えば、まぁ、昔世話になった人の身内でな」
性も同じだったしなによりあの人にそっくりだ。
懐かしむようにそうつづけた神父さんはどこか懐かしむようにカップの中を覗いている。
それに倣って手元の湯気の漂う黒い水面を眺めてみたが自分の顔が薄らと此方を覗いているだけだった。
夏目という祓魔師を自分の知る中で頭の中で探してみたが引っ掛かる人物はおらず、そうそうに自分の知らない祓魔師なのだろうと見当をつける。この人が世話になったなどとはっきりと口にすることなど珍しいのできっとすごく優秀な祓魔師なんだろう。後で調べてみようと思いながらも神父さんの話を聞いて浮かんだ疑問を素直に口に出した。
「それなのに周囲に見える人がいなかったってこと?」
至極当然の疑問だった。
身内に祓魔師がいるのであれば自分と同じように親から祓魔の術を習うというのは珍しいことではないのだ。
それなのに彼女の周りにはそんな人がいなかったのか、そんなに優秀な人が身内にいるというのに。
「言ってたろ、あの子今居候の身なんだ」
その言葉で、一気に思考の渦が駆け巡った。
そうだ、彼女は単身で最近引っ越してきたのだと昨日自分は知ったではないか。
深くは考えていなかったが、そういえば彼女の両親の影は微塵も見えない。
昨日送っていった吉備さんの家とは恐らく親戚に当たるのだろうことは想像できたがそれにしたって高校生になるばかりの娘を一人で送り出すことが、はたしてよくあることなのかと考えた時答えは否だ。可能性はいくつも考えられたが、自分と同じ境遇を真っ先に思い浮かべてしまったのはそれが正解に思えたからだ。
彼女は、両親がいないのか。
だとしたら夏目という名の祓魔師を自分がしらないことにも納得がいく。
もう亡くなっているのだったら自然とその話を耳にすることも少なくなるものだ。
だとしたら、だとしたらだ。
彼女は一人であの恐怖に耐えていたのだろうか。
耐えて耐えて耐え抜いて、そしてきっと見てみぬふりを覚えて、嘘つきというレッテルを張られる前に自分で虚偽の行動をとるようになる。
ならば昨日、初めは魍魎を“見てみぬふり”をしたのだろうか。
ビンにぎゅうぎゅうに詰められた悪魔の中にチラリと飴の袋が見えたのだとして、外に出てからあの大量の魍魎に手を突っ込んだ神父さんを放っておけなかったのだとしたら。
自分しか見えないのだからと彼女は無視だってできたのに、対処も知らない状態で何とかして神父さんを助けようと彼女なりに必死になってくれたのだとしたら。
なんて優しい人なんだろうと、そう思う。
祓魔学を学びだしてから慣れたその行動は、最初は戸惑いを感じるものだったが神父さんや修道院のメンバーがいればそれが正しいことだと確信できた。
でも、もし本当にだれも同じ風景を見る人がいなければ、僕ならきっと自分がおかしいんだと思い込んで病んでしまうだろう。
実際そういう人も少なくはないのだ。
「夏目さんは…」
辛かったんだろうね、そんな言葉が出てきそうだった。
しかし、そんな他人事のように言ってしまっていいのかわからなかった。
もしかしたら自分だって同じ立場だっかもしれない、そんな風に考えてしまい、同時に昨日の短い時間で接した夏目みことという人物の人柄を思うと勝手に同情するようなことをしたくないと思ったのだ。
結局はそれ以上の言葉が出ずに黙り込んでしまった僕を見てか、ふっと神父さんが笑った気配がした。
「だったら雪男、お前もあの子を見てやってくれ」
その言葉はさも僕の声に出さなかった言葉の続きを見透かしているかのように語られた。
驚いて父の顔を見れば、いつもの頼りがいのある彼とは違ってどこか困ったような笑顔でそれを正面から見てしまったのでなぜだか悪いことをしてしまったようなそんな気にさせられた。
多分、今の顔は見てはいけないものだったそんな気がしたのだ。
「まずは名前からだな、そうやってお近づきになっていくんだぞ」
「…もう、何言ってるんだよ神父さん」
その一瞬をなかったかのようにふるまうものだから、それに従うことしかできなくてそうやって誤魔化された。そうしかさせてくれない空気があったのだ。
しかしこの後本当にしつこく言われて今度あった時には彼女の事を名前で呼ぶように強制されるとは思っていなかったが。
「あんな可愛い子中々いないぞ!ここで攻めないでどこで攻めるんだ、男だろ!」
「わ、わかったから!わかったから神父さん近い!!」
ピンポン、と玄関のブザー音に心底救われた気分になった。
ほら神父さんお客さん!とはやし立てる様に背中を押せば、なんだよこんな朝から、と悪態をつきながら渋々と玄関に向かっていく父を見て苦笑しながらも、確かにこんな朝から誰だろうと共感を覚える。
残っていたコーヒーを全て飲み込めばもうすっかり温度を失っていた。
シンクに父の空になったカップと一緒に置いた時に、玄関から微かに声が聞こえた。
なんとなしに耳をそばだてた時、父の声で“吉備”と聞こえた気がした。
そしてそっと気配を消すようにして近づいて声のしっかり聞き取れるところまで行けば、どうやら教会の方に移動するらしかった。
そっと顔を出せばばっちりと父と目があい、しまったと思ったがしょうがないなぁと言わんばかりの顔をして顎で教会をさしたので内心それでいいのかと思いながらもありがたく。堂々と立ち聞きさせてもらうことにした。
投稿日:2017/1126
更新日:2017/1126