奏でるのならコバルトに

あれ、こんな早くから客がいる。そう気が付いたのは玄関を開けた時に鼻についた香水の匂いからだった。妙にそれが気に障ってしまって怪訝な顔をしながら居間を覗けば誰もおらず、朝飯を食べ終えたようでもないことから皆揃って修道院か庭の掃除だろう。
この時自分が新たに就いた仕事をすっぽかして朝帰りしてしまった事など頭からすっぽ抜けていたため、気まずさも綺麗になかった。
そのため真っ先に雪男を目で探していた、弟のことだからこの時間で寝ているということはまずないし、靴もあったことからここにはいるのだろうが生憎彼も見当たらない。なぜ探していたかといえば理由は単純だった。ハトを埋める際に女子にすべてやらせてしまった挙句、彼女に怪我をさせてしまったからだ。土を掘る際に土が固かったのかそれとも運悪く尖った小石でもあったのか、彼女の指の付け根あたりが赤くなっていたのだ。白く細い指のその赤い線は妙に目立って気になって仕方がない。
恐らく本人は気が付いていないがそれにもっと早く気が付いていれば自分も無理にでもあの作業を手伝えたのにという気持ちが湧いてしまい、終わってから彼女が顔を拭った際にそれに気が付いてしまい指摘できず、咄嗟に雪男に見せなければという考えが頭を占領した。


「洗面台こっちな」


振り向いて指をさして教えれば少し緊張したような顔で返事をしながらついてくる彼女に少し笑いそうになる。そして先ほど向けられた笑顔を思い出し、今度こそ笑ってしまった。
あんな風に心底嬉しそうに笑いかけられるなんてことが滅多にないため、思いつきとはいえああやって言葉にしてよかったと思った。うまくは言えないが気恥しく、同時に猛烈に嬉しかったのだ。
ちょっと雪男探してくるな、と彼女を置いて居間に戻る。シンクにカップが二つ置いてあり、カップの底が少し黒くなっていたことからコーヒーでも飲んだのだろうと蛇口から水を流してカップの中に水を注いだ。そのままにしていたら色が付くと何度も言ってんのにと内心思いながらキュッと水を止める。洗うのは後でまとめてやろう、どうせ飯後に出るのだから。
ふと、協会につながる通路のドアが薄らと開ているのを見つける、雪男の靴があったことを思い出しながらそちらに足を進める。一言ちょっと向こう行ってるなーと声を出せば、少し焦った様に小さな声で返答があったのでそれに満足してそちらに進んだ。









「……雪男、なにやってんだお前」


「…あぁ、兄さんおかえり」


おぅと言いながら弟の覇気のなさに首を傾げる。こんな場所で座り込んで壁に頭を預けたままボンヤリと空を見つめている。そこの壁は古いせいかところどころ木が毛羽立つようになっているのに痛くはないのだろうか。前に服をひっかけて泣く泣く自分で直した記憶がある。
どうしたんだと問う前に教会の方から父の声がし、なんとなしに除けば知らない人影が見えて咄嗟に頭をひっこめた。こんな朝早くからお悩み相談とはジジイもご苦労なこって。
雪男に手当てを頼もうと口を開きかけたが耳に入ってきた言葉に言葉が尻すぼみに消されてしまった。


「みことちゃ……、でも…あ…」


そういえばあいつの名前はそんな名前だった気がすると今更ながらに思う。
苗字までは思い出せないがみことという名前は確かだと確信する。しかしなぜその名前が聞こえたのかと耳を傍立てれば、知らない声がつらつらと話しているのが聞こえた。


「…それにね、私の兄の家にいた時も学校で問題起こしたみたいで、ガラスを割って生徒に怪我をさせそうになったり…急に教室から走っていなくなったり…何度も兄も学校に呼び出されたみたいで」


なんの話だと、初めは理解できなかった。しかしそのあとに続く言葉は明らかに嫌悪が含まれていた。


「うちでもきっと…そう思うともう気が重くて……夫の身内に今声をかけて引き取ってくれる家を探してはいるんですけど高校の転校って中々難しいでしょう?」


こういう言葉は聞きなれたものだった。
どうしてあんな子がうちの子供と同じクラスなのか、どうしてあんな危ない子が。
一気に気分が下降したのがわかった、随分と心無い言葉の羅列に舌打ちが漏れた。お悩み相談とはこんな嫌な言葉も聞かなければならないのかと、しかしみことの名が出ていたことが未だに理解できずに雪男に顔を向ければため息を深くついて静かに立ち上がった。
そのまま歩き始めた弟に付いていけばまたため息。そして珍しく嫌そうな口調で投げる様に言葉を口にした。


「…あの人吉備さん、覚えてない?」


「…いや」


だと思ったと苦笑されるが覚えていないもんはしょうがないだろうと睨めば夏目さんの、みことさんの居候先の家の人だよと教えられて黙ってしまう。
ということは何だ、あいつは居候していて、しかもその先の大人からこんな風に言われて思われているということか。胸糞悪くて無理やり雪男の腕を掴んで先を急ぐ。ぐいぐいと引っ張って居間まで戻って大きくため息をついてしまう。今日は朝から嫌な気分になることが多い、いやいいこともあったけど。


「兄さんどうしたのさ、急に引っ張ったりして」


「みことが怪我したから連れてきてんだよ、」


「えぇ!?」


おお、随分と驚くなとその反応に思わずびくりと反応してしまう。
見れば少し怒ったような顔までしているものだからびびってしまって完全にぺっぴり腰で構えてしまう。ななななんだよ俺悪いことしてねぇだろまだ。
どうしてそういう大事なことを早く言わないんだ!と怒鳴られて悪いと謝ればどこにいるのかと目を三角にして問い詰められる、怖いってお前!洗面所に、と説明する前におそるおそるこちらを覗き込むようにして顔をのぞかせたみことが見えたからほら!と背後を雪男に示せばぐるんと首を回して振り返る、お、おいその顔のままだとビビらせるぞと教えてやりたかったが遅かった。案の定というか振り返った雪男と目のあったみことが小さく体を揺らしているのが分かって肘で雪男を小突く。普段と立場が逆で慣れないことさせるなよと内心毒づく。


「ご、めんなさい、こんなに朝早くから…」


「へ、あ、いや大丈夫ですよ」


慌てたように謝るみことに同じように慌てて弁解する雪男、なんだ雪男のやつ、らしくないなと思いながらも口にだせばどうなるか分かっているから黙る。
また怪我をしたんですか?と雪男が手招きしながら問えば首を傾げて不思議そうにしているみこと。あ、そういえば気づいていなさそうだったなと思い出だして指切ってると伝えれば両手を広げて眺めだしたみことに少し笑ってしまう。生憎どちらの手かは俺も分かっていないからそれ以上は口を出さない。


「とりあえず上に行きましょうか、僕らの部屋でいいよね?」


「え、なんで?」


なんでって兄さん、とまた呆れたような顔を向けられる。
そしてそんな俺を無視して近くまで来ていたみことを誘導するように階段へ連れていく雪男に首を傾げる。わざわざ上に上がらなくったっていいだろうに、しかも俺たちの部屋って、この前ジジィに言われて片づけたばかりだったことに安堵するが理由までは思い浮かばない。無理だなわからんと早々に考えることを諦めてついていけばみことにありがとうと小さく笑顔を向けられる。なんのことか分からず返答に困れば怪我に気が付いてくれてと、そんなちっぽけなことに感謝を向けられてくすぐったくなった。



 - return - 

投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126