奏でるのならコバルトに
少しドキリとしたが昨日噛まれた場所だということまでは分かっていないとホッとし、それでも気が付いてくれたのが嬉しくてお礼を零してしまう。彼にとっては何気ないことでも、気にかけてもらったということがわかって笑顔になってしまう。
二人の部屋と言っていたが結局昨日と同じ部屋に連れていかれて、昨日と同じ椅子に腰を掛ける。なんだか昨日の続きのようで少しだけ嬉しくなってしまう。大丈夫だろうか、こんなに嬉しいことが続いて少し怖くも思ってしまう。
じゃあ俺飯用意してくると早々にいなくなってしまった奥村君に三度お礼を告げて別れる。そういえば昨日もお礼をと考えていたのに結局は彼らへの恩が降り積もる様に増しただけでこんな言葉でしかそれを返せていない現状に俯きたくなってしまった。
そういえば藤本さんはいないのだろうか、彼にだって沢山お世話になったのにと奥村君がカチャカチャと物を用意しているのを横目に考える。いや、会えたとしてもやはり言葉でしかお礼をできないのだけれども。目の前の彼にだってそうだ、見ず知らずの私にあんなに親切にしてくれて、帰りもなにも聞かずに送ってくれて。誰かと隣を歩くのは久しぶりだったのだが緊張のせいか頭から抜けていたが昨日も今日も、なんだか頬が緩むような出来事ばかりが起こっていて目まぐるしい位だ。奥村君が消毒液と脱脂綿片手にこちらに目をやったので思わず背筋が伸びてしまった。
「それじゃあ失礼します」
態々断りを入れて左手を手に取られて内心謝りたくなってしまった、昨日から本当にすみません。しかしそれを飲み込んで向けられる笑顔を返すように笑顔を浮かべる。
下からそろりと掬われた手は彼の右手に収まっているがどうにも落ち着かない。昨日は今以上に混乱していたからだろうが今はどうしてかそわそわとしてしまいそうなほどに決まりが悪かった。
「あ、おねがいしまっ!」
しかし彼に手を取られて、下から触れた彼の指先が薬指の付け根に触れた時だった。
電気が走ったかのようにバチリとそこから駆けた熱と衝撃に言葉が詰まってしまった、そこから全身に一瞬にして駆け巡ったその熱のような熱さはその一瞬後にはゆるりと穏やかになってもう消えて無くなってしまう。それでも心臓はバクバクと先ほどの驚きを記憶していて目を見開いて自分の手の甲を凝視してしまう。
なんだったのだ、今のは。
反射的に手を引いてしまっていたので奥村君の手から抜き取られた自分の手は相変わらずであるし、何一つ変わり映えしないように思う。静電気にしては明確で針を刺されたような痛みにしては小さい。それなのに妙に違和感や不快感に似た感覚が未だにその手を中心に体を巡回しているようなものが残留していて取り繕うような頭も残っていなかった。脈打つ心臓に伴って体を巡る血脈に何かが混じってしまったようなそんな感覚。救いだったのは奥村君の手を弾くような真似を咄嗟にしなかったということぐらいだろう。
「ご、めんなさい、急に…」
「え、あ…いえ、僕の方もすみませんでした」
そこでやっとハッとして彼に謝罪を告げればなにやら彼も少しの間思案していたようなそんな間の後に本当にすまなそうに謝罪されてしまい慌ててしまう。
なんとなしに彼の視線を追えば彼の右手の人差し指の先に小さく赤が点っていてぎょっとしてしまう。まさか今引っ掻いてしまっただろうかと顔面蒼白にして問えば苦笑しつつ否定されて、でもだったらどうしてと両手を意味もなく空に漂わせてしまう。
「本当に違うんです、あの、気が付かなくてすみませんでした…」
「わ、私は…それより奥村君も怪我…」
「あぁ、そうではなくて」
そういって私の手を裏返すように彼の手で促されればなんと私の薬指の傷口はぐるりと指を一周していたようでその手の平側に彼の指が運悪く当たってしまったのだという。なんと、それじゃあ彼の指先の血は私の血か。そう分かれば土下座したい気分になってしまった。
「ご、ごめんなさい私自分で気が付いていなくて…」
「僕も傷口に触れてしまってすみません、痛かったですよね」
それから奥村君がこの部屋に私たちを呼びに来るまでその謝罪の応酬はどよんと二人で影を背負って繰り返された。
投稿日:2017/1126
更新日:2017/1126