虚ろなピティー


「ただいま兄さん」


「おー、おっかえ…り?」


「お、お邪魔します……」


エプロン姿で振り返った奥村君はキョトンとした様子で首を傾げており、真っすぐに私を見つめてくる。そ、そうだよねそうなるよね私やっぱり帰ります。そう思いながらも後ろでにこにこしているのであろう奥村君に言い聞かされるようにここに連れてこられてしまった手前、彼を論破しなければそんなことは出来ないであろうことが分かってしまいもごもごと声にならない音を喉の奥で発する。居心地が悪くてここに来る途中で奥村君に持ってもらってしまっていた制服の入っている紙袋を奥村君が椅子に置くのを眺めながら私がいまここにいる状況の説明が出来ない自身が恨めしくなる。もっと口達者ならば奥村君の誘い自体、失礼なく断れたかもしれないのに。いや、誘ってもらえたことは本当に嬉しいのだが如何せん申し訳なさの方が大きいのだ。だってお世話になりっぱなしだもの。


「さっき会ってご飯に誘ったんだ、夏目さんの分もある?」


「あ、あるけど急だな…珍しい」


昨日のあまりもんとかだけど、と続ける奥村君に申し訳なさがピークに達してしまいやっぱり断ろうと口を開いたのだがそれよりも少し早くに奥村君が「元々今日三人しかいねーし喰ってけよ」と言われてしまって言葉がまたもや喉の奥で消え失せた。ついでに来るの分かってたらもっとちゃんとしたの作ったのによ、と奥村君に苦言まで零していてついごめんなさい、なんて言ってしまった。あまりに小さい声だったせいで誰にも拾われることはなかったがそれでよかったと思えたのは二人揃ってはやく手を洗って来いと笑顔で促してくれたからだった。







洗面台を貸してもらいに奥村君についていきながらふと先ほどの言葉を思い出す。
今日三人しかいないと言っていたがその言いようでは普段は三人ではないようだ、私が知っているのは奥村君二人と藤本さんの親子だが、もしや他にもご家族がいるのだろうか。
そんな私の疑問を察知したのか問いかける前に前を歩いていた奥村君がその答えをくれた、エスパーなのかと疑うくらいのタイミングで酷く驚いてしまったが彼が前を向いていたおかげでそれには気が付かれていないと思う。


「僕らのほかに修道士の人も何人か住んでるんです、普段は大勢で食事をとるので夏目さんが来てくれて神父さんも喜ぶと思います」


「修道士さん、ですか…」


今日はたまたま用事で全員出払っていて、賑やかなんですよ。そう続けた奥村君の言葉が温かくて、きっと大家族のようなそんな存在なのだろうなと漠然と思う。
だからこそその人たちがいない時に来てくれて、ありがとうだなんて。それはこちらの言葉なのに先起こされてしまっては私は言葉を紡げなくなってしまう。
辿りついた洗面所で先に手を洗う奥村君の大きな背中をぼんやりと見つめる、どうしてこんなにも良くしてくれるのだろうか、どうしてこんなにも温かい言葉をくれるのだろうか。そんなことをして、それらを失ったときに私はまたしょうがないかと俯いて、彼らにこの温まった胸に降り積もった感謝の想いを返すことなく、離れるのだろうか。


「ガサツな兄ですが、普段からその人数の料理を作っているような人なので味は保証しますよ」


鏡越しにそんなことを朗らかな笑顔を携えて言われる。双子というのはこんなにもお互いを思いあえるものなのだと初めて知る。奥村君もこの前、とても誇らしげに弟は医者になるのだと笑っていた。その時の笑顔を同じものを鏡越しに見て、羨ましく、そしてこんなに素敵な人たちに知り合えてうれしく、怖く思った。
眼鏡の奥の青く深い色はなんだか優しさの象徴のようだ、そんなことを思いながらどうぞと促されるままに場所を入れ替わって蛇口を捻る。触れた水が手を覆って冷たくて気持ちがいい、手の平を見れば制服の入った紙袋の持ち手の部分の荒縄が食い込んだせいか少しだけ赤くなっていて貧弱な手の皮膚に笑いそうになった。そして目に入る左手の薬指根元に這う歪な跡。見事に消えそうにないそれはニャンコ先生に白アスパラと言われた私の指よりも少し白く変色して存在を主張する。
私が手を洗い終わるのを見計らって真新しいタオルを差し出してくれた奥村君は先ほど荷物を持ってくれたことと言い、紳士で相当モテるのだろうなと驚きつつも思った。






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投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126