泣かないで、グレーテル

トラックと軽自動車の二台が走って行くのを窓から少し離れた位置からボンヤリと眺め、完全に大きい方のエンジン音が聞こえなくなった時に小さくため息をついた。この家の子供である男の子の荷物が乗ったトラックはそこまで大きいものではなかったが、玄関前にあればそれなりに存在感や圧迫感はあった。私がここに来た当初から引っ越しの準備は進められており、隣の部屋から荷物が運びだされ始めたのは30分ほど前からだったと思う。引っ越しとは言っても高校の間寮に入るというだけなので大方の物はここに置いたままであるし、家具などもそのままにしておくらしい。
私自身も建前的に手伝いを申し出たのだが、心底困った様に苦笑され結局は「疲れているだろうから」と断られてしまった。この家の一人息子である男の子とは初めにここに来た時に軽く自己紹介をしたっきりまともに話した記憶もなく、同い年であるということくらいしか知らない。名前は辛うじて分かるけれども、顔は少し、自信が無い。大勢に紛れていたらきっと分からないと思う。そんな距離感のまま、両親と共に自家用車で自分の荷物を追いかける様に出ていってしまった彼に別れを告げることも無かったので、心の中でさようならとだけ呟いた。きっと、あなたがここに荷物と一緒に戻ってくる頃に私はここにはいないだろうから。

ぼうっと窓の外を眺めていると、玄関先の塀の上に白いお饅頭のようなシルエットを見つけ、あ、と思わず声がでた。
言わずもがなニャンコ先生だったのだが、どうやら電線に止まっている烏を威嚇しているらしく、上に向かって妙な動きをしていた。なにやってるんだか、と呆れを覚えながらもついつい笑ってしまう。あの短い手足じゃあそんな風にやったって届くはずないっていうのに。窓を開けて声をかけようかとも思ったが誰かに見られても面倒か、と外にでる準備を始めた。




「なにやってるの先生」


「あの!からすどもが!私をみて笑ったのだ!!」


なに言ってるの、と思いながら随分と見慣れてしまったシルエットがわりと俊敏に動いているのを見てちょっと気持ち悪いなと思ってしまった。暫く塀の上で妙な踊りを見せていた先生だが飽きたのか疲れたのか(恐らくは後者)不意に動きを止めて塀から危なげなく降りてくる。合わせる視線がグッと下がってしまったが気にする様子もなくこちらを見上げてくる先生にしゃがみ込んで頭についていた泥をほろってやった。


「ん?お前以外は出払っているのだな」


「うん」


「置いて行かれたか」


「先生ってデリカシーの欠片もないよね」


「なんだそれ、食えるのか」


「食べられないよ」


そう言いながら手に持っていた今朝の朝食の残りの食パンを先生の口元へ向ければ嬉しそうにもしゃもしゃと食べ始めた。
呑むようにして食パンを食べている先生を見つめながら、藤本さんへお礼をしに行きたいな、と先日の事を思い出しながら思う。つい、顔がほころんでしまうような温かい空間に私を招いてくれた奥村君にも、突然押しかけてしまったのに快くご飯まで用意してくれた彼にも。膝を抱え込むようにして抱き、顎を腕の上に置いてどうやったら伝えられるのかと、何度も何度も考えては解決していない問題をもう一度考える。今まで随分とそんなことをさぼってきたから、どうすればこの気持ちを伝えられるのかが分からない。言葉にするにしても私の中にある言葉ではきっと表せない。ふぅ、と息を吐いた時、他の人だったらどうするのだろうとふと思いつく。
丁度パンを食べ終えたニャンコ先生が私に続くようにふぅ、と息を吐いたのを見て、そうだと思いつく。


「ねぇ、ニャンコ先生」


「ん〜」


「先生は人にお礼をする時にどうすることをすればいいか、知ってる?」


「はぁ?なんで私がそんなことを知ってなきゃならん!」


「あ、いや、レイコさんとかどうしてたか、知らないかなって」


私の言葉に一拍置いてフン、と鼻を鳴らした先生は薄情だが事実であろう言葉を告げる。


「碌に人と関わらなかったレイコが誰かに礼などするものか」


その言葉にやはり私も一拍置いて、そっか、と返すしか出来なかった。



 - return - 

投稿日:2017/1126
  更新日:2017/1126