縊鬼ー下
本当に、都合がいい悪魔だとそう思った。
ここに勤めている祓魔師は、中二級から夜勤務というものが当番制である。名前の通り夜に待機所にて緊急の呼び出しに対応したり、結界の周辺を見回り異常が無いか確認を行ったりというルーティンをこなす業務だ。そんなシフトに当たっているタイミングに、これだ。
こんな時間に電話をかけてくるような非常識な相手でもなく、それほど親しい訳でも無い。けれどかかってきた電話にすぐさま緊急事態であろうと察しがつき、外に出る準備を整えながら神木さんからの電話に出た。内容は単純なものではあったが、聞いた話だけではなんの悪魔によるものなのか特定は厳しい。しかし、女子寮という単語にニヤリと口角を厭らしく歪めるピエロの顔が過ってそう言うことかと理解する。
こういう時にタイミングよく夜のシフトを充てられていれば、あからさま過ぎていっそ笑えた。あの理事長はどうやらこの件…櫛谷さんの件を僕に一任しているつもりらしい。端からこちらもそのつもりではあったが、所詮は悪魔の手の平の上で都合よく転がされているのだとまざまざと思い知らされて、そのことに苛立ちを覚えない訳ではない、というか盛大に腹が立った。
そうか、成程女子寮か。盲点だったなと歯噛みしながらもう一人の待機要員に一言声をかけて外に出る。もしもう一人の祓魔師が女性であれば間違いなく自分はここで待機だっただろうが、ご都合主義極まれり、湯本先生だったためそんなことにもならなかった。一瞬赤髪の自称18歳の露出狂を思い出したが思い出しただけで終わった。あの人が今日シフトに当たっていないという事は、フェレス卿としては彼女は担当外ということだ。愉快犯でしかないな本当にあの悪魔は。
そんなことをつらつらと考えていたら、携帯がメールの着信を知らせる。「男子生徒が深夜の女子寮に!なんて健全たる我が校ではあるまじき事態です。本来であれば……」と無駄に長く続く内容をザッと斜め読みすれば、今回はしょうがないので出入りを認めますとのこと。こんな内容を送ってくる時点で、全てを把握していてこちらの思考まで覗かれているようで悪寒が走り、思わずメールを削除した。手が滑っただけである。
夜の正十字学園町は、この町になれていない人間には歩きにくい場所だ。ただでさえ入り組んだ作りをしているうえに、夜になるとこれでもかと薄暗くなる路地が多くなる。大きな通りであればそんなことはないが、最短ルートというのはその大きな通りからは離れてしまっていることが多い。例にももれず、一番近場の鍵で外に出て、そこから女子寮への道は暗く狭い通りだ。というより、そもそも出られる扉の場所が裏通りに近いせいか、これは。
電話の相手、塾生である神木出雲さん曰く、どこからか女性の声が聞こえてくるのだという。丁度丑三つ時の折にそんな現象が起き、同じ部屋である朴さんの精神的によろしくないのと、自分では何の悪魔なのかも検討が付けられないとのことだ。聞こえてきた声は妙に近くで聞こえてくるようだが部屋の中に悪魔の気配はない。寮の中を少し見回っている間にまた声が何度か聞こえたらしく、出所を探そうとしたが失敗に終わったそうだ。声は「とじて」、「しめて」と単語だけで聞こえてくるようで、囁き声にも関わらずどこにいても同じ音量で聞こえてくるのだとか。これだけの情報で彼女が電話までかけてくるなんて妙だと思い問いただせば、言いにくそうに悪夢を見たとだけ教えてくれた。巫女の血の流れる彼女であればそう言った面で感受性が高くてもなんら可笑しくない。
さてどこから入ろうかと女子寮の正面につくと、控えめな声が鼓膜を揺らした。
「先生!」
「…もしかして連絡をくれてから待っていましたか?すみません」
「勝手に待っていただけなので平気です、入れないと思ったので」
「助かります」
女子寮に入るにはそこに住んでいる女子生徒の生徒手帳が必要で、エントランスのキー代わりになっているとは噂では聞いていたがどうやら本当だったらしい。正直ここにつけばあの理事長からまた何らかの連絡が来ると踏んでいたのだが、どうやら神木さんがここで待っているという事も織り込み済みだったらしい。どうりでメールに入り方などの記載がなかったわけだ。
「朴さんは?」
「とりあえずドリームキャッチャーをベッドにかけて、使い魔を置いてきました」
「現状ではそれが精いっぱいですね、ありがとうございます」
自販機の明かりだけが妙に明るいエントランスを抜けて、非常灯だけが照らす廊下を進んでいく。暗い中通路を進むと、自分の速度が曖昧になるような気になって気持ちが悪くなる。距離感が分かりにくいからなのか、視界が悪いからなのかは定かではないが感覚が可笑しくさせられているのは確かだ。それが気持ち悪くて落ち着かない。壁が迫ってくるような、気が付いたら突き当りがこちらに向かって来ているような。自分の影だけが明かりを通り過ぎるたびにすいと後ろに消えていく、その隙間に何者かが潜んでいそうで昔はこんなところ一人で歩くなんてできなかった。もしそこに何者かがいたとしても聖水をかけただけで消えてしまうような弱いものだと知ったが、それでも気持ち悪さは未だにしこりのように残っている。
「あれから声は?」
「不定期に単語だけ聞こえてくるんです、でも出所は分からなくて」
「しめて、とじて、でしたか」
閉めて、閉じて。何らかの意味のあるものなのだろうがこれだけでは何とも言えない。
ふむ、と考えるふりをしながら視線を巡らせる。エレベーターホールで上向きの三角がそこだけ色味を帯びていて、はたして彼女たちは知り合いなのかと思案しながら口を開いた。
投稿日:2019/0608
更新日:2019/0608