縊鬼ー下

ここに住む生徒ならば誰もが一度は聞いた覚えのある噂というものはいくつも存在している。件のそれはそこまで有名というほどでもないが、ありがちな内容であるために誰もが聞いたことがあると“錯覚する”類のそれだった。不気味な噂というものはテンプレートに似たものがある。例えば三階のトイレでは虐められていた女の子の生霊がいるだとか、廊下の絵画を書いた生徒は描き終えた後に気が狂っただとか。真偽はともかく、よくある怪談というものは確かにあって、そのせいか初めて聞くものだったとしても使い古されたテンプレートに沿っていると、なんだか知っていたような心地になったって仕方のないことだ。
そう、例えば女子寮のある部屋で生徒が首つり自殺をしていたなんてありがちな噂であれば典型的とも言ってもいいかもしれない。


「しかし部屋が分かっていればそれなりに広まりそうですけど、僕は初めて聞きましたね」


「いや…部屋は人によっていう事が違うんです」


両隣が人のいない部屋、8階のとある部屋、ある階の角部屋、最上階の6号室。指折り数えながらつらつらとそう語る神木さんをみるに、それなりに話題には上がっているのが見て取れる。同時にころころと内容が変わっているという事も。だからこそ噂というべきか、人の口を伝っているうちにどんどん話が転じていくことはままあることだ。ましてや真偽が定かではないこの手のものは余計に尾ひれがつきやすい。実際この女子寮で人が死んでいるのだとすれば、少なくとも祓魔師には話が通るだろう。何年前の事だったとしても、悪魔に通じる可能性のあるそういった事実は資料にも残す決まりになっている。そしてそんな事実を祓魔師である自分が知らない時点で、答えは偽であると出ている。


「神木さんの聞いた部屋の一つがそこだということですか?」


「それもあるんですけど、その部屋今言った部屋の条件全部当てはまるんです」


「………8階が最上階でしたっけ」


「そうです」


「両脇が空いているなんてありえるんですか?それに角部屋だと…」


「片方は雨漏りのせいで人が住めなくなって、もう片方はもともと屋上の貯水槽の監理をするための部屋なので、角と言えば角です」


なるほど頭が痛くなってきた。
曰く、そうやって色々と部屋の情報が錯綜している中で、ふと誰かが全部当てはまればいいのでは、なんて言い始めたらしい。実際にその条件とやらを全て把握して部屋を調べた生徒がいるのかは定かではないが、薄らと「806号室」という話が出てきてしまったのだとか。もちろん、実際に生徒が住んでいる部屋でもあるため、不謹慎だという理由でなのか大々的に広まるようなことはなかったが、部屋の条件に一つも重なっていないような生徒の中ではこっそりとだが噂は続いているのだという。


「ああ、たしかに角部屋で、両隣が空室ですね」


雨漏りで空き部屋だという805号室の隣が806号室。突き当りにも扉がありそこが貯水槽の監理室なのだろう。806号室の向かいに部屋はなく消火器が壁に埋め込まれているだけだった。記憶にある限りだと櫛谷さんの部屋は二人部屋。グレモリーの件があった時に調べさせてもらったし、呪いもかけさせてもらった。因みにこの処置に関しては理事長直々に指示されていたものだったりする。なんでも「不純異性交遊も!不純同性交遊も!我が校は認めておりません!」とのことだ。
部屋は一見何の変哲もない。特別なにか妙な気配がある訳でも無い。神木さんがここじゃないんじゃ、というような事をぽつりとつぶやいたが、妙な確信が自分の中に根強くあった。いつも、普段通りの顔色で日常に紛れて呪われ祟られうっかり死にかけているのだ。


『とじて』


「!」


「いま…!」


声が聞こえるのとほぼ同時に、睨むように視線を向けていた806のプレートがぱたんとひっくり返った。上下逆さになり、8のバランスが可笑しくなったその様子は明らかに異常だ。しかし神木さんが言ったように確かに声がここから聞こえてきているという訳ではないらしい。どこから、と問われると耳元からだ。ゾッと背筋に嫌なものが走った。銃を構え、安全装置も外しいつでも発砲できるようにする。念の為サイレンサーを持ってきておいてよかった。流石にこの寝静まった寮の中で発砲すれば音が響き大騒ぎになるだろう。


『しめて』


扉の横に背を付けて神木さんに下がるように指示をだす。一度息をついて、そっと扉のノブに手をかける。やはり、開いている。キィ、と小さく音を立てて扉が内側に滑っていくのを追いかけるように拳銃の先を室内に向け、入口付近に異常がないことを確かめ、一気に足で開け放ち体を正面に滑らせるようにして片膝をついた。
廊下の明かりが室内に伸びている。暗い室内の中で、ぼうっと浮かび上がる人影が見えて照準を合わせる。


『しめて』


人影はベッドの枕元に立って、ちょうど真上から横になっている誰かの顔を直立で覗き込んでいるようだ。首だけがほぼ90度に曲がり、垂れ下がった髪で顔は見えない。微動だにしない影から意識を外さずにざっと室内を一瞥しどうやら横になって眠っているのが櫛谷さんらしいというのが分かった。レプラコーンが潜んでいたという、お守り付きの彼女の鞄がベッドの足元にあったのだ。
そして、ゆっくりと銃を下ろす。


「先生?」


「同室の方、ですね」


「え!?」


ベッドは二つ。そのうちの一つは膨らみがあり、もう片方はかけ布団がずるりと床に落ちかけてそこに誰もいないのが一目で分かった。そしてその主が目の前で不気味につっ立っている彼女だ。スウェット姿であるし、顔も見えないが背丈も髪の長さも体格も当てはまる。実弾の入ったこれでは不味いと急いで別の銃に切り替え、カプセルに聖水の入った弾丸のものにする。聖水が効く類のものかは定かではないが間違いなく現段階で実弾の出番はない。申し訳ないが非常事態であるため銃口を床に向けたまま部屋に一歩踏み入れる。改めて室内を見渡してもおかしなところは何もない。


「……ぉ」


『とじて』


耳元で聞こえる声の直前に、本当に小さな囁きが鼓膜を揺らした気がした。ハッとして更にゆっくりと棒立ちの彼女の元へ足を進める。髪のカーテンの隙間から薄らとだけ覗く唇が空気を吐き出したのかゆら、と小さく毛先が躍った。
そういえばこの状況で櫛谷さんは眠れているのかとちら、と視線を向け一気に血の気が下がった。あんまりな光景に自然と力が抜けてしまったのか、一瞬指先から引き金が離れかけた。
青白い顔だった。寝苦しそうであればまだましだと思うくらいに静かな顔で横たわっている櫛谷さんをみて、一瞬死んでるのかと疑ってしまった。細い櫛谷さんの手首が、布団からにょっきりと生えるようにはみ出している。両手の手首のあたりでクロスされ、指先に力が入っているのが白んだ爪先から分かった。



「くびを」


『締めて』



2019.6.8

 - return - 

投稿日:2019/0608
  更新日:2019/0608